「なぁ、まだつかねぇの?」
「もうすぐ着くって。琥珀は、少しいい子にしてらんないの?」
「あー、またガキ扱いしやがって……」
「だって、本当に子どもみたいなんだもん」
悠介がクスクス笑っているから、俺まで嬉しくなってしまう。今は、悠介に子ども扱いされることも悪くないなって思う。
今日は「秘密の場所に連れてってあげる」と朝の仕事が終わってすぐに、バスに乗り込んだ。
このバスがどこに向かっているのかはわからないけれど、俺と悠介以外お客は乗っていないし、更に山奥へと向かっている気がする。
「なぁ、本当に大丈夫なのか? 俺、どこかに捨てられちゃうとか?」
「あははは! 琥珀そんなの心配してたの? 大丈夫だよ。もし琥珀が捨てられてても、俺がまた拾いに行くから」
「絶対だぞ?」
「絶対だよ。そもそも、俺が琥珀を捨てるわけないじゃん。ほら、着いた。降りるよ」
「あ、ちょっと待って」
バスから降りていく悠介を俺は追いかける。バスから降りた瞬間、太陽の日差しが燦燦と降り注ぎ、一気に汗が噴き出してくる。「うるさーい!」と怒鳴りたくなるほど、蝉が鳴いているし、道は舗装されていない砂利道だ。おまけに辺りを見渡しても、人影なんてない。
それこそ熊が出るんじゃないか……。俺はどんどん不安になっていく。
「あれ? でも、ここ……、なんか見覚えがある」
必死に記憶の糸を手繰り寄せる。いつだろう。でも俺は、ここを知っている。
きっと、それは――。
「ほら、琥珀。こっちだよ。ってか、もう見えてるでしょ?」
「え?」
「どうしても、俺はこれを琥珀に見せたかったんだ」
「すげぇ……。悠介、すげぇ……」
涼しい風が吹いてきて、俺の髪を揺らす。汗で額に張り付いた前髪が、風に揺れて気持ちがいい。
「すげぇ……。一面の向日葵畑だ……」
俺はポツリと呟いた。今、俺の目の前には、見渡す限り一面にたくさんの向日葵畑が広がっている。思わず言葉を失ってしまい、俺は呆然とその光景を見つめた。
太陽の光を一身に浴びようと、大輪の花が青空に向かって咲いている。それが、まるで笑っているように見えた。綺麗? 立派? 可愛らしい? この光景をどんな言葉を使って表現したらいいのだろうか。
「琥珀、もう少し近くまで行ってみよう?」
「うん」
悠介は俺の手を取るとゆっくりと歩き出す。さりげなく繋いでくれた手が、俺は嬉しかった。
「ヤバイ、すげぇ綺麗で感動する」
「ね? 綺麗でしょ? ここは地元の人しか知らない秘密の場所なんだよ」
「そうなんだ。ありがとう、俺を連れてきてくれて」
「どういたしまして」
「なぁ、悠介。……俺、泣きそうだ」
「え? どうしたの、突然? 体調でも悪くなった?」
「ううん。違う」
余程俺の言葉に驚いたのか、悠介が俺の肩を掴む。慌てふためく悠介の姿が申し訳ないけど可笑しくて、俺は笑ってしまった。
「俺、東京で嫌なことがあったって言ったじゃん? それで母親に言われて秩父に来たんだ。今までの俺は、ずっと下ばっかり見てた。でも、ここに咲いているたくさんの向日葵は太陽を見上げてる」
「琥珀……」
「俺も、下ばっかり見てないで、向日葵みたいに上を向きたいって思った。だって、太陽はあんなにも眩しいじゃん!」
俺は大きく伸びをしながら深く息を吸う。
「俺、秩父に来てよかった。ありがとう、悠介」
「よかった。琥珀がそう思ってくれて」
悠介が幸せそうに笑うから、俺の口角も自然に上がってしまう。でも、やっぱり照れくさい。心臓の高鳴りが、いつまでも治まってくれない。
「琥珀ちょっと待ってて。ここの地主さんに許可はもらってるんだけど……」
「え? 悠介、どこに行くんだ?」
「いいから、少しだけ待ってて」
「わかった」
俺は不思議に思いながらも悠介を見送った。背が高い悠介でも、向日葵畑の中に入ってしまうと姿が見えなくなってしまう。ガサガサと向日葵が揺れると、そこから悠介が顔を出した。
「ねぇ、琥珀。この向日葵を受け取ってもらえるかな?」
「え? これを俺に?」
「うん。俺、この向日葵をプレゼントしたくて、今日ここに琥珀を連れてきたんだ」
「マジか……。ありがとう。なんか向日葵の匂いって、悠介の匂いに似てる」
「え、うそ!? 本当? 俺、香水とかつけてないけどな」
照れくさそうに頬を掻く悠介から、向日葵の花束を受け取る。蝉の鳴き声がやたらうるさいのに、心臓の鼓動のほうがよっぽどうるさい。
『はい、琥珀。この向日葵あげる』
『え? いいの? ありがとう』
その時、俺の記憶が脳裏を過る。そうだ、あの時――。
「なぁ、悠介。小さかった頃にもこうやって向日葵の花束をくれたよな?」
「え? 覚えててくれたんだ。嬉しいなぁ。実はね……」
悠介が頬を赤めながら、そっと視線を落とす。
「あの頃から、俺は琥珀のことが好きだったんだ」
「……は……?」
「向日葵の花言葉を母さんに教えてもらったんだけどね」
「花言葉?」
「そう。向日葵を六本プレゼントするのには意味があるんだよ。『あなたに夢中です』ってさ」
照れくさそうに顔を上げて微笑む悠介が、俺には向日葵みたいに見えた。明るくて元気で、太陽みたいだ。
「そ、そんな花言葉、馬鹿みてぇ」
俺は悠介の顔を直視することができずに、そっぽを向いてしまう。本当は、泣きたいくらい嬉しいくせに……。なんで素直に「嬉しい。ありがとう」と言えないんだろうか。
「久しぶりに会ったとき、琥珀があまりにも綺麗になってたから、俺マジでびっくりした。それと同時に、好きっていう思いが溢れてきて……」
「な、なんだよ、それ……」
「改めて好きだなって思ったら、むしろ昔より好きな気持ちが強くなっちゃって、どうしようもなかった。だから、琥珀と恋バナなんてできるはずないじゃん⁉」
「昔から好きだったとか、信じらんねぇよ」
「俺は、嘘っぺえなんて言わねえ(嘘なんて言わない)!だから、めった(何回も)好きなんて言わせないで。恥ずかしいだんべぇに(恥ずかしいから)……」
最近になってわかったことがある。悠介は照れたときに自然と秩父弁が出てしまうようだ。そんな悠介を見ていると心が温かくなる。
「ごめんな、素直になれなくて。多分、俺も悠介のことが……」
俺は悠介に見つからないように、そっと向日葵の花束に顔を埋めて、小さく呟いた。
◇◆◇◆
「できた! 案外上手くできたかも」
「本当だ。こうちゃん、ありがとう」
「これくらいしかできないけど、やれることは言ってよね」
「本当に助かるよ」
そう笑う祖父を見ると、こんな自分も誰かの役にたてるんだって嬉しくなってしまう。
俺は悠介の家からキュウリとナスをもらってきて、精霊馬を作って仏壇に飾った。仏壇は俺が丁寧に掃除をして、手作りの和菓子にたくさんの花、果物も供えた。初めてやってみたけど、これだけ立派に飾り付ければ、きっとご先祖様だって喜んでくれるだろう。
お盆の初日は迎え火でご先祖様をお迎えする、そういった古くからの風習が秩父には残されていた。
そして俺が居候させてもらっている部屋には、六本の向日葵が大きな瓶に飾られている。切り花になった向日葵からは種がとれないらしい。「また来年もあげるから」と悠介は笑っていたけど、俺はこの向日葵がいつか枯れてしまうことが悲しかった。
「琥珀、何してるの?」
「あ、悠介。じいちゃんの手伝いで仏壇を綺麗にしてたんだ」
「へぇ、偉いね。なんか、すっかり秩父に馴染んできてるじゃん」
「本当?」
「うん。このまま東京なんかに帰らないで、秩父にいればいいのにって思う。こっちの高校に転校してきたら?」
ひょっこりと顔を出した悠介が笑った。でもそれがお世辞に感じられなかった俺は、いたたまれなくなって悠介から視線を逸らした。
俺が秩父に来て夏休みの半分が経とうとしている。
朝の四時に起きることも、近所にコンビニがないことも、終電が早いことも……慣れてしまえば全然気にならない。そんなことより、真っ暗の中、悠介や功丞、宗助と花火をしたことのほうがよっぽど楽しかった。
奮発して買った打ち上げ花火が、とても綺麗だったことを思い出すだけで、思わず口角が上がってしまう。
「あのさ、今晩同窓会があるから出掛けてくるね?」
「は? 同窓会?」
俺は仏壇の飾り付けをしていた手を止めて、悠介のほうを見る。同窓会、という言葉を聞いただけで、俺は不機嫌になってしまいそうなのに、悠介はいつも通り飄々としていた。
「そう。同じ中学の友達で集まって、ご飯を食べようって誘われたんだ。未成年だから酒は飲めないけど、友達の家がお好み焼き屋をやってるから、そこに集まることになったんだ」
「へぇ。それはよかったな」
「なに琥珀? 突然どうしたの?」
秩父に来てから悠介は俺を気遣ってか、いつも一緒にいてくれた。だから悠介の交友関係について考えたことなどなかったけれど――。そうだよな、こんな性格の悠介なら、きっと友達がたくさんいるはずだ。
「でも、やっぱり面白くねぇ!」
「ん?」
突然立ち上がった俺の腕を、悠介が驚いたように掴んだ。
「琥珀、どうした? 何か怒ってる?」
「別に、何も怒ってねぇし」
「嘘だ。言いたいことがあるなら言ってよ」
真剣な顔で俺のことを見つめる悠介。でも、こいつは全く悪いことなんてしていない。ただ俺は、悠介が俺以外の奴と仲良くすることが面白くないだけだ。
「なぁ、その集まりに元カノとか来るの?」
「え? 元カノ? 来るわけないじゃん。ってか、俺はずっと琥珀のことが好きだったんだから、元カノ自体いないよ」
「で、でも、女の子はいるだろう?」
「女の子は来るだろうけど、柔道やってたガタイが良くて、気の強い子ばかりだよ」
「プッ、なんだよ、それ」
その言葉に俺は思わず吹き出してしまう。それに、少しだけ安心してしまった。
「大丈夫だよ。琥珀より可愛い子なんて来ないから」
「はぁ⁉」
「だって、俺が浮気するんじゃないかって心配だったんでしょ?」
「う、浮気って、俺たちそういう関係じゃないじゃん」
「まぁ、今はね……」
意味深そうに笑う悠介に、俺の顔は茹蛸のように真っ赤になってしまう。俺の心の内を全て見透かされているようで、思わず悠介に背を向けた。
「そんなに心配なら琥珀も来る?」
「行かない。田舎者と飯食たって面白くないし」
「そっか。じゃあ、俺は行ってくるからね」
「勝手にしろよ」
「はいはい。行ってきます」
まるで俺を宥めるかのように頭を撫でてから、悠介は自宅へと戻ってしまったのだった。
◇◆◇◆
「まだ帰ってこねぇのかよ」
俺は縁側で膝を抱えて蹲る。古い柱時計を見ると、夜の十時を回っている。
「秩父の人は九時に寝るんじゃなかったのかよ。あー、蚊がいる!」
プーンと不快な音をたてながら俺の周りを飛び回る蚊を、団扇で打ち落とす。これじゃ、ただの八つ当たりだ。俺は近くに置いてあった蚊取り線香に火をつける。
暑いからと付けた扇風機の風が、風鈴を揺らし耳触りのいい音を奏でている。ヒグラシと蚊取り線香、そして風鈴。俺はこれらがとても好きだ。
心が、落ち着く……。
田んぼからはグワッグワッと蛙の大合唱が聞こえてくる。最初の頃はそれさえ不快に感じていたけれど、今ならわかる。
「お前たちも、一人でいるのが寂しいから一緒にいてくれる恋人を探してるんだよな」
そう思うと、俺は蛙の気持ちがわかるような気がする。あの中に交じって、俺も一生懸命鳴いていれば悠介は俺を見つけ出してくれるだろうか。
例えば蝉や鈴虫になったとしても、一生懸命に鳴く俺を見つけ出してくれるだろうか。
「見つけ出して『好き』って言ってくれるかな――」
俺は火照る頬を両手で包み込んで冷やす。
「悠介、会いたい」
俺は唇を噛んで、拳を握り締める。
秩父の暗闇が怖いから、手を繋いでもらわないと眠れないから――。もうそんな言い訳はしない。俺は悠介の傍にいたいんだ。
チリンチリン。風鈴の涼やかな音が、涙を誘う。会いたい。悠介に会いたい――。悠介と離れている数時間が、とても長い時間に感じられた。
「あれ? 琥珀?」
「あ、悠介……」
「こんな所で何してるの? 蚊に食われちゃう(刺されちゃう)だろう?」
「悠介……」
「琥珀、ただいま」
「悠介‼」
「おっと!」
俺は裸足のまま縁側から飛び出して、悠介に飛びつく。悔しいけれど、悠介からは美味しそうなお好み焼きの香りがした。
「琥珀のことが心配で早く帰って来たよ」
「遅ぇよ、馬鹿。もう夜の十時過ぎてるぞ」
「秩父の終電が早いの知ってるでしょ? 琥珀が待ってると思ったから、途中から走って帰ってきたんだから。琥珀、俺がいなくて寂しかったの?」
耳元に響く悠介の優しい声が、俺の鼓膜を震わせる。俺は更に力を籠めて悠介にしがみついた。
「ねぇ、琥珀。寂しかった?」
「……寂しかった」
「ふふっ。可愛い」
子どもみたいに不貞腐れる俺を、悠介はギュッと抱き締めてくれる。
もう子ども扱いをされても構わない。俺は、こうやって悠介に優しくされることが大好きだった。



