宵闇が迫る古い屋敷の中、紗奈は薄汚れた着物に身を包み、黙々と水を汲んでいた。
 床は冷たく、凍えるような空気だ。それでも彼女の心は動じない。幼い頃から、この屋敷の冷たさと、義母や義妹の辛辣な言葉に慣れきっていたからだ。
 「紗奈、お前は何をぼんやりしているんだい!早く、お萌美様の荷造りを手伝いな!」
 義母の声が、氷のように突き刺さる。
 「はい、お母様」
 紗奈は静かに返事をして、水を運ぶ手を止めた。
 明日、義妹の萌美は、国の安寧を祈る巫女の儀式に参加するため、帝都へ向かう。
 萌美は、この国の若き皇帝、聡に寵愛され、将来の妃の座に就くことを夢見ていた。
 元々、紗奈の生家は巫女の一族だった。しかし、父が亡くなり、母が病に倒れてからは家が没落。義母と萌美に引き取られ、家事全般を押し付けられていた。
 「お姉様、明日はいよいよ、聡様に会えるのよ。わたくし、きっと見初められてしまうわ」
 萌美が、煌びやかな着物を纏い、上機嫌で話しかけてくる。その声は、どこか見下すような響きを含んでいた。
 紗奈は、萌美の放つ強い感情の光を「心の眼」で見ていた。それは、強い嫉妬と、独占欲に満ちた、濁った光だ。しかし、彼女はその力を自覚しておらず、ただ「萌美は、また何か強い想いを抱いているな」と漠然と感じるだけだった。
 「きっと、聡様も喜んでくださるでしょうね」
 紗奈が静かに言うと、萌美は鼻で笑った。
 「当たり前じゃない。お前みたいな地味な女と違って、わたくしは聡様を幸せにして差し上げられるのよ」
 萌美はそう言って、紗奈を睨みつけた。
 翌朝、紗奈は萌美の荷物持ちとして、帝都へと向かう馬車に揺られていた。
 到着した帝都は、活気に満ち溢れ、煌びやかだった。宮廷へ続く石畳の道は、普段紗奈が歩いている道とは全く違う。
 宮廷の奥にある謁見の間で、萌美は聡に謁見する。
 「これより、次期巫女候補、萌美殿を謁見する」
 高官の声が響く中、萌美は堂々と聡の前に進み出た。
 萌美の背後で控える紗奈は、そっと聡を見上げた。
 聡は、病のため顔色が悪く、見るからに弱々しい。だが、彼の瞳は、深く、澄んでいた。
 紗奈は、聡の心から発せられる光に驚いた。それは、まるで月明かりのように優しく、清らかな光だった。その光は、彼の体調不良とは裏腹に、強い意志と誠実さを感じさせた。
 「萌美殿、国の安寧のため、尽力いただきたい」
 聡の言葉に、萌美はにこやかに答える。
 「はい、聡様。わたくし、全身全霊をかけて、聡様とこの国のためにお仕えいたします」
 萌美の言葉は、恭しく、耳触りが良かった。しかし、聡の「心の眼」は、萌美の魂の濁りを見抜いていた。彼女の言葉に、真の誠実さがないことを。
 聡は、萌美の言葉に頷きながらも、その視線は、萌美の背後にいる、薄汚れた着物の少女、紗奈に向けられていた。
 彼女の放つ光は、何と清らかで、透き通っているのだろう。聡は、その光に、かつて父から聞かされた、伝説の巫女の力を感じ取っていた。
 父は言っていた。「真の巫女は、魂の光が月のように清らかだ」と。
 聡は、萌美との謁見を終えると、高官たちを下がらせ、紗奈に歩み寄った。
 「名は?」
 突然声をかけられ、紗奈は驚いて顔を上げた。
 「は、はい。紗奈と申します」
 「お前こそ、真の巫女の末裔ではないか。お前の放つ光は、この宮廷の闇を払う力がある」
 聡の言葉に、紗奈は困惑した。自分が特別な力を持っているなど、考えたこともなかったからだ。
 「聡様、何を仰っているのですか。わたくしが、真の巫女ですわ!」
 萌美が焦って声を荒げる。しかし、聡は萌美の言葉には耳を貸さなかった。
 「紗奈、私と共に来てくれ。私を、そしてこの国を、救ってほしい」
 聡は、紗奈の震える手を優しく握り、告げる。
 「お前を、私の妃として迎えたい」
 その言葉に、萌美と義母は、雷に打たれたような衝撃を受けるのだった。