今でもしょっちゅう夢に現れる。
 かつて、大雅に暴力の限りを尽くした、『父親』と名乗る存在の男だ。
 大雅は親の愛情を知らずに育った過去をもつ。気に食わないことがおこると途端に癇癪をおこし、大雅に暴力を振るう男が父親だった。
 殴る、蹴るは日常茶飯事で、それだけで済むならましな方だった。
 幼い大雅が痛みに泣き喚き、「やめてください、ごめんなさい」と叫んでも、暴力の雨が止むことはなかった。
 ある冬の日などは、ひとしきり殴打されたあと、衣服を剥ぎ取られ、全裸で寒空の下に放り出された。全身を刺すような冷たい風に吹き付けられながら、大雅は必死で涙をこらえていた。体の震えは、寒さを耐え忍ぶ生理現象なのか、感情の波を鎮めるための心の震えなのか判別がつかなかった。
 大雅が日常で受けているそれらの行為が『虐待』と呼ばれるものであることを知ったのは、彼が中学生になった頃のことだった。
 中学に入学した大雅は、入学式の当日に教師に呼び出され、その日のうちに児童相談所に保護された。大人の社会の仕組みなど分からぬ大雅にとっては、その怒濤な展開に戸惑うほかなかった。充分な説明も受けないまま、あるいは説明をしてくれたのかもしれないが、それを理解できないまま、児童相談所の公用車の後部座席に乗せられた大雅は、また大人への不信感が募っていった。
 周りの大人たちは、大雅をようやく地獄から助け出せたと安堵していたのかもしれない。仮に、大雅の暮らしていた日常が地獄だったとしよう。ではそれを定義し、助け出そうとした大人たちは正義のために動いたのか。大雅のことを本当に親身に思って動いた者はいたのか。体も心も成長し、大人としての片鱗を見せ始めた彼が、親からの暴力に苦しむ夢をまだ見るということは、傷が癒えていない確固たる証拠なのではないか。大雅が枕を濡らし、うなされ、眠れぬ夜があることを知っている者は、彼と一緒の空間で毎夜を過ごしている陽太のみであった。