――名もなき剣に、雪が降る
  ――最初に、彼を見たのは、雪の降る朝だった。
  そこここに雪煙の立ち上る里山の境を歩いていた。
  田畑はもう何も植えられておらず、薄く白く凍っていた。川も、細い命のように音を立てながら、ただ黙って流れていた。
  その川沿いに、一人の男がいた。
  白い着物に、裸足。首元から覗くのは、血のように濃い墨染めの紐だった。
  肩に担いだ剣が、誰かのものか、自分のものか、遠くからではわからなかった。
  動いていなかった。
  ただ、立っていた。
  雪の中に――木立の向こう、風の影のなかに。
  こちらに気づいたのかも、わからなかった。
  声も、音も、残されてはいなかった。
  けれど、どうしてか忘れられなかった。
  あの背中を思い出すたびに、
  わたしは思うのだ。
 「きっと、あの人は――」
  名乗ることもなく、何処にも帰らず、
  ただ誰かのために剣を振るい、
  何処かへ還っていった。
  その名もなき剣士の話を、今からしようと思う。