秋の夜。夏の暑さが通り過ぎて、でも、まだ寒くはない。
夜の散歩には、ちょうどいい季節。
住宅街を並んで歩く。
静かだ。
ここらへんは一軒家が多い。
都会の外れたところにある住宅街。
新旧の一軒家があり、ファミリーカーや子供用自転車が停まってる。
ファミリー層が住んでいる住宅街。
そこにぽつんと私の住む単身者用のマンションがそびえ立っている。
上手い具合に溶け込んで、邪魔になっていない。
朝はちょっと小学生の群れの中に突っ込まなければいけないのが気が引けるけど、夜はほとんど誰も歩いていない。
時折大きな道路の方から車が走り去る音が聞こえる。
「……なんもないね」
「そうだな」
航一がこくんとうなずいた。
コンビニくらいなら近くにあるけれど、別にコンビニに行きたかったわけでもないだろう。
「大学近くは、わりと色々あったね」
「学生街だったもんな」
大学時代もお互い一人暮らしだった。
周囲には学生用のアパートがたくさなって、夜までやってるお店に同じような学生がたむろしていた。
一人で夜出歩くことはなかった。いつも航一が一緒にいてくれた。
こんな風に日付が変わるくらいの時間ふらふらしていることもたまにあった。
ああ、懐かしい。
別に、戻りたいとは思わないんだけれど。
若気の至りだなと感じることもたくさんあるけれど。
懐かしい。
でも、その懐かしさに、寂しさは今はない。だって、航一が隣にいるから。
「……どうしたの、急に」
私はそう聞いた。
「俺さ、この時間帯のここら辺、好きなんだよね。終電で帰るとき、通るけど」
「初耳」
「うん、初めて言った」
航一がまた緩やかに微笑む。
笑顔にいちいち反応してしまうのは珍しいからではなく、嬉しいからだ。
「終電で帰るから、茜を誘うわけにもいかなくて、なんか……共有したかった」
「これを?」
「これを」
困った。別に良いものなんて何もない。
都会の夜だ。空も暗くて星もない。
静かなのが、良いくらい。
何考えてるのか、よくわかんない。
「安心するんだ、ここら辺。住宅街で、家族向けで、うるさくなくて、変な酔っ払いとかもいなくて……。この町に茜が住んでるって安心する」
「なにそれ」
困惑。
こんな変哲のない町のこと、航一はそんな風に思ってたんだ。
「きっと、今夜も茜は安心だって、そう思いながら帰れるんだ」
「…………」
言葉に詰まる。
何も言えなくなる。
知らなかった。そんなこと考えてたなんて。
自分は夜の道を一人で帰ってるくせに、マンションで、時にはもう寝ている私のことなんて心配してる。
「……チェーンしてるし」
なんとかそう言った。
「そうそう、チェーン。いつものチェーンの音と、この静かな町で、俺、いつも安心しながら、帰ってる」
「……そんなこと、考えてるの? 帰りながら? 私のこと?」
「そうだよ」
静かに航一がうなずいた。
「将来、住むなら、こういうとこがいいなって。こういう車買ってさ」
航一が通りすがりの家の車を指さした。
車の名前には疎いけど、CMで見たことがある。四人家族が遠出するCMだった。
暗い夜なのに、その中のチャイルドシートがずいぶんと光っているかのように目についた。
「……車、欲しいの?」
まだどこか自惚れることができないまま、そう言っていた。
大学時代はたまにレンタカーで遠出をした。
私は完全にペーパードライバーだから、旅程なんかも含めて、航一に丸投げだった。
航一の地元はちょっとした地方都市だから、車の運転は手慣れていた。
学生時代、卒業前、一回お邪魔したことがある。
のんびりした感じのご両親が帰り際、力強く「また来てね、茜さん」と言ってくれたことが妙に思い出される。
「いや、一人ならいらない」
航一はあっさりとそう言った。
「……茜と乗りたい」
「……そ、そっか」
ファミリーカー。意識してしまう。
まだ1年半だ。社会人になって1年半。
仕事に慣れないなんて言えないくらいになってきたけど、胸を張れるほどではまだない。
そんな立場で、そんなこと考えるなんて、早すぎる。
ずっと、そう思っていたけれど。
「いつか、買おうね。……その頃には私、また教習所通ってペーパー卒業しようかな」
「うん、いつか」
暗い外。
誰ともすれ違わない閑静な住宅街。
普通の声で話をするのも、ためらわれるほど静かな夜。
小さな約束をした。
さっきまで、ただの住宅街だった町。その家の一つ一つに、急に個性が見えてきた。
ここにはたくさんの家族が暮らしている。
あの大きな玄関の家を、朝一気に出て行く一家。
今、機敏に目を覚ましじっとこっちを見ている犬の散歩をしている一家。
フラットな石畳の上を置かれたベビーカーを押して出てくる一家。
全部どこか航一と茜の姿で思い描いてしまう。
「お互い半年後、部屋、更新だろ?」
「そうだね」
次に何を言われるか、わかった気がした。
「一軒家は、まあ早いにしてもさ、二人で住めるとこ……、エリアとか、物件とか、今からちょっとずつ探しておこうか」
「……うんっ」
私は大きくうなずいて、そして微笑んだ。
手を伸ばす。手を繋ぐ。夜の町を、まだまだ私達はゆっくり歩き出した。
夜の散歩には、ちょうどいい季節。
住宅街を並んで歩く。
静かだ。
ここらへんは一軒家が多い。
都会の外れたところにある住宅街。
新旧の一軒家があり、ファミリーカーや子供用自転車が停まってる。
ファミリー層が住んでいる住宅街。
そこにぽつんと私の住む単身者用のマンションがそびえ立っている。
上手い具合に溶け込んで、邪魔になっていない。
朝はちょっと小学生の群れの中に突っ込まなければいけないのが気が引けるけど、夜はほとんど誰も歩いていない。
時折大きな道路の方から車が走り去る音が聞こえる。
「……なんもないね」
「そうだな」
航一がこくんとうなずいた。
コンビニくらいなら近くにあるけれど、別にコンビニに行きたかったわけでもないだろう。
「大学近くは、わりと色々あったね」
「学生街だったもんな」
大学時代もお互い一人暮らしだった。
周囲には学生用のアパートがたくさなって、夜までやってるお店に同じような学生がたむろしていた。
一人で夜出歩くことはなかった。いつも航一が一緒にいてくれた。
こんな風に日付が変わるくらいの時間ふらふらしていることもたまにあった。
ああ、懐かしい。
別に、戻りたいとは思わないんだけれど。
若気の至りだなと感じることもたくさんあるけれど。
懐かしい。
でも、その懐かしさに、寂しさは今はない。だって、航一が隣にいるから。
「……どうしたの、急に」
私はそう聞いた。
「俺さ、この時間帯のここら辺、好きなんだよね。終電で帰るとき、通るけど」
「初耳」
「うん、初めて言った」
航一がまた緩やかに微笑む。
笑顔にいちいち反応してしまうのは珍しいからではなく、嬉しいからだ。
「終電で帰るから、茜を誘うわけにもいかなくて、なんか……共有したかった」
「これを?」
「これを」
困った。別に良いものなんて何もない。
都会の夜だ。空も暗くて星もない。
静かなのが、良いくらい。
何考えてるのか、よくわかんない。
「安心するんだ、ここら辺。住宅街で、家族向けで、うるさくなくて、変な酔っ払いとかもいなくて……。この町に茜が住んでるって安心する」
「なにそれ」
困惑。
こんな変哲のない町のこと、航一はそんな風に思ってたんだ。
「きっと、今夜も茜は安心だって、そう思いながら帰れるんだ」
「…………」
言葉に詰まる。
何も言えなくなる。
知らなかった。そんなこと考えてたなんて。
自分は夜の道を一人で帰ってるくせに、マンションで、時にはもう寝ている私のことなんて心配してる。
「……チェーンしてるし」
なんとかそう言った。
「そうそう、チェーン。いつものチェーンの音と、この静かな町で、俺、いつも安心しながら、帰ってる」
「……そんなこと、考えてるの? 帰りながら? 私のこと?」
「そうだよ」
静かに航一がうなずいた。
「将来、住むなら、こういうとこがいいなって。こういう車買ってさ」
航一が通りすがりの家の車を指さした。
車の名前には疎いけど、CMで見たことがある。四人家族が遠出するCMだった。
暗い夜なのに、その中のチャイルドシートがずいぶんと光っているかのように目についた。
「……車、欲しいの?」
まだどこか自惚れることができないまま、そう言っていた。
大学時代はたまにレンタカーで遠出をした。
私は完全にペーパードライバーだから、旅程なんかも含めて、航一に丸投げだった。
航一の地元はちょっとした地方都市だから、車の運転は手慣れていた。
学生時代、卒業前、一回お邪魔したことがある。
のんびりした感じのご両親が帰り際、力強く「また来てね、茜さん」と言ってくれたことが妙に思い出される。
「いや、一人ならいらない」
航一はあっさりとそう言った。
「……茜と乗りたい」
「……そ、そっか」
ファミリーカー。意識してしまう。
まだ1年半だ。社会人になって1年半。
仕事に慣れないなんて言えないくらいになってきたけど、胸を張れるほどではまだない。
そんな立場で、そんなこと考えるなんて、早すぎる。
ずっと、そう思っていたけれど。
「いつか、買おうね。……その頃には私、また教習所通ってペーパー卒業しようかな」
「うん、いつか」
暗い外。
誰ともすれ違わない閑静な住宅街。
普通の声で話をするのも、ためらわれるほど静かな夜。
小さな約束をした。
さっきまで、ただの住宅街だった町。その家の一つ一つに、急に個性が見えてきた。
ここにはたくさんの家族が暮らしている。
あの大きな玄関の家を、朝一気に出て行く一家。
今、機敏に目を覚ましじっとこっちを見ている犬の散歩をしている一家。
フラットな石畳の上を置かれたベビーカーを押して出てくる一家。
全部どこか航一と茜の姿で思い描いてしまう。
「お互い半年後、部屋、更新だろ?」
「そうだね」
次に何を言われるか、わかった気がした。
「一軒家は、まあ早いにしてもさ、二人で住めるとこ……、エリアとか、物件とか、今からちょっとずつ探しておこうか」
「……うんっ」
私は大きくうなずいて、そして微笑んだ。
手を伸ばす。手を繋ぐ。夜の町を、まだまだ私達はゆっくり歩き出した。



