――残響メーター:98 %




 六月の雨は午後になると途端に気まぐれになる。

 雲はまだ鉛色なのに光だけが先走ってグラウンドを銀色に照らしていた。

 理科棟二階の渡り廊下は、湿気をたっぷり吸いこんだ植物園の温室みたいにムッと暑い。

 誰もいないことを確かめ、朝霧柚花は窓枠に肘を置いた。
 

 その瞬間、ツ――ッ と細い糸が左耳の奥で弾けた。

 唐突な電気信号。

 脳が“異物”と判断するまでのコンマ何秒か、世界全体が一拍遅れて揺れる。
 
 耳鳴り。
 
 昨日、病名と一緒に正式にラベリングされたその症状は、文字にした途端少しだけ現実味を増した。

 ザザッと湿った砂が滑り落ちるようなノイズが、遠くの雷鳴と混線して鼓膜を叩く。
 

 やめてほしい。


 まだ授業が残ってるのに。
 
 苦く笑い、制服の胸ポケットからミニポラロイドを取り出す。

 いつもの“逃げ場所”だ。

 視界をレンズの丸い枠だけに縮めれば、耳鳴りは少しだけ輪郭を失う。
 窓の外では陸上部がハードルを並べ、跳ねあげられた水滴が夕方の光できらめいていた。

 ファインダー越し、空はまだ灰色で、ランナーたちの影が水たまりに映り込む。
 
 カシャ。
 
 シャッター音は残っている。

 それだけで十分だ——そう言い聞かせながら排出されたフィルムを手のひらで温める。

 指先に冷たい汗。

 耳鳴りは治まるどころか、カメラの機械音を貪欲に食いつぶしてノイズに塗り替えていく気がした。