診察室の椅子は冷たく硬い。
母が隣でハンドバッグを握る手に力を込めたのを、柚花は視線の端で捉えた。
ホワイトボードに貼られた耳の断面図、聴覚神経を示す赤いラインが妙に生々しい。
若い医師がタブレットを操作し、波形グラフを拡大して示す。
「朝霧さん、こちらが本日のオージオグラムです」
グラフには右肩下がりの曲線。
二日前、検査室で聞き分けたはずの純音が実は聞こえていなかったのだと、図が他人事のように教えてくる。
医師は穏やかな声で続けた。
「診断名は感音性難聴(急速進行型)。このまま経過すると、三カ月――およそ百日で会話域の音がほとんど拾えなくなる可能性が
高いです。」
百日。
数字は現実味を持たないまま宙に浮き、柚花の鼓膜より先に心臓を叩いた。
早鐘の音が血管を通って指先を痺れさせる。
脳裏では、学校の昼休みに聞こえるざわめきやシャッター音が、白いノイズに押し流されていくイメージが洪水のように広がった。
母が動揺を悟られまいと「治療法は」と問う。
医師は薬物療法と補聴器と、最終的な人工内耳の選択肢を淡々と語る。
言葉は意味を保ったまま、薄いフィルムを一枚挟んで遠くに置かれた。
柚花は頷き続ける自分を、天井カメラで俯瞰して観察しているような気分になった。


