書類を延々精査するというのは退屈極まりない仕事だ。
玉官の仕事なのでさまざまな宝玉について読めるが、実物ではないし絵入りなわけでもない。せいぜい「この地方出身ならこの石なのも納得ねえ」などと地理に思いをはせるくらいだ。
そんな退屈を紛らわせるため、玉蘭は口を開いた。
「そういえば姫宦官の守り石はなんなの?」
雑談である。
たいていの女は身分年齢問わず守り石を首から提げるが、男はそうでもない。人による。
だいたい仕事の邪魔になるという理由で、服の内側に隠してしまうことが多い。あるいは石を柔らかな布などにくるんで懐中に仕舞っていたりもする。
玉蘭が故郷にいたころ、親馬鹿な父が手配した荒くれ護衛のおじさんたちも、「首飾りは首が絞まりそうでいけねぇ」などと言いながら、腰の剣にぶら下げたりしていた。
佩玉よりは小さく、さりげないアクセサリーのようなものだった。
玉蘭は彼らの守り石を見るのが好きで、子供のころはよく磨かせてもらっていた。彼らも馬家のお嬢さんの『守り石磨き』屋さんごっこに付き合ってくれた。
懐かしい。みんな元気にしているだろうか。お酒を飲み過ぎて奥さんに叱られていないだろうか。
白英も元は武官だ。荒くれ護衛たちとはあまりに立場も見た目も違い、そして何より親しみやすさが違うが、体を使う仕事には違いない。
白英はいつも飾り気のない動きやすそうな服を着ている。
後宮の中だからなのか、鎧を着けているところは見たことがない。
布一枚で作られた上下が繋がった長めの上着のような缼胯袍。腰から下はスリットが入っている上に、ズボン型の袴を履いているので機動性に優れている。
この服装は故郷でも馴染みがある。
故郷の護衛たちは布製の留め具を堅苦しいと一個も二個も外していたものだが、白英はしっかりした性格なのか一番上までしっかりと留めている。
護衛達はだらしなく見えたが、白英は白英で窮屈そうに見える。
そのしっかりした服装のどこにも守り石の類いは見当たらない。腰から提げている剣にも、余計な装飾は見当たらない。
文官の宦官は、守り石を外に見えるように着けている人間も多い。
他人の守り石を眺め、それについて語らうというのは、一般的で気楽な娯楽だ。自由の少ない後宮では、話の種として、そうしている宦官も多いのだろう。
「自分のですか?」
白英はふむと顎をさすった。
「宦官はほら、宝がありますから……」
ニコッと笑いながら発せられた白英の言葉に、玉蘭は無言で彼の脛を蹴った。机の下で何回か思い切り蹴った。
「痛っ! 痛っ! 普通に痛い! 蹴りの角度が意外に鋭いっ! すみませんっ! 宦官冗句です! わりとおなじみのやつなんですっ! 痛いっ!」
叫びながら顔をしかめているが、足は微動だにしない。体幹が強い。あまりダメージを与えられていない。
パオ。
宦官が身の証を立てるためのもの。つまるところ、去勢した後のブツである。これはこれで縁起がいいと言われていて、代替の場合保管されるらしい。玉蘭は見たことはない。
「……あなた、こういう冗談、他の妃嬪相手にも言うの?」
疲れたので蹴るのをやめて、冷めた目で玉蘭は問うた。
「言いませんよ」
即答だった。
「言わないのかよ」
「馬玉官は嫌だったらちゃんと怒るだろうし……」
「よくわかってるじゃない……」
そう長い付き合いでもないはずなのに、お互い遠慮というものが一切なくなっている気がする。そちらの方が気楽と言えば気楽なのだが、それにしたって限度がある。
「いや、まあ、あれなんです。自分の守り石はパオと一緒に箱に入れて、保管してるんです。そういう宦官もわりと多いんですよ。なので、さすがにここでご開陳するのは……」
「最初からそう言え、そう」
回りくどい。
「はい」
白英はおとなしくうなずいた。
「ちなみに俺の守り石は故郷の近くで採れた山珊瑚です。玉にはせずに枝状のままですね。男児だから首飾りにしやすい玉じゃなくても困らないだろうって感じだったみたいです」
「なるほど」
見てみたくなるが、白英の言うとおりパオと一緒に保管しているのなら、ここで見せろというのもなんだか微妙だ。
「ところで昔から不思議だったんですが、珊瑚って海のものとして有名ですよね? 山珊瑚ってなんなんですか? 珊瑚の偽物?」
「ああ……」
山珊瑚。本来なら海から採れる珊瑚が山から採れるというのは確かに不思議だろうが、その理屈は簡単で、その山がかつては海だっただけだ。
たとえばヒマラヤ山脈。山珊瑚の産地としても知られ、世界で一番高い山がある彼の地はかつては海だった。ヒマラヤは大陸の衝突で出来た山脈で……。などという説明は、こちらの世界では通じない。
これは前世に持っていた知識だ。
大陸が動いて、ぶつかって、山が出来ました。
そんな理屈は、この時代では、まだおとぎ話だとしか思われない。
「……山に生えた珊瑚だから偽物でも似た物でもなくて本物よ」
というわけで玉蘭は簡素な説明で済ませた。
「へー」
白英の返事は軽かった。昔から疑問だったから良い機会なので聞いてみたが、実のところはだいぶどうでもよかったという感じだ。
まあ、雑談なんてそんなものである。
「……ねえ、姫宦官の故郷って……」
山珊瑚の産地はヒマラヤを始めいくつかある。どこなのか聞こうとしたところで、宝玉宮の中に鈴の音が鳴り響いた。
宝玉宮への来客を告げる鈴だった。
「行ってまいります」
白英がさっと立ち上がり、出迎えに向かう。その間に玉蘭は散らかした書類を片付け、人を招いても大丈夫なようにせっせと整える。
すぐに白英は戻ってきた。
「馬玉官、失せ物だそうです」
「……それはさすがに私の仕事じゃなくない? 落としたと思われる場所を丹念に探してくださいとしか……。あと窃盗の可能性があるなら、また別の部署でしょ……。どこかは知らないけど……」
信仰篤い守り石の担当とは言え、別に玉官には超能力があるわけではないのだ。守り石の居場所を感知するとか、占うとかそういうこともできない。
「いえ、その……」
白英は一瞬、説明に迷った。
「宮殿で持ち主不明の守り石が見つかった。この失せ物の持ち主を探してください、だそうです」
「……それはまた、なんだか面倒そうね?」
玉蘭は眉をひそめた。
玉官の仕事なのでさまざまな宝玉について読めるが、実物ではないし絵入りなわけでもない。せいぜい「この地方出身ならこの石なのも納得ねえ」などと地理に思いをはせるくらいだ。
そんな退屈を紛らわせるため、玉蘭は口を開いた。
「そういえば姫宦官の守り石はなんなの?」
雑談である。
たいていの女は身分年齢問わず守り石を首から提げるが、男はそうでもない。人による。
だいたい仕事の邪魔になるという理由で、服の内側に隠してしまうことが多い。あるいは石を柔らかな布などにくるんで懐中に仕舞っていたりもする。
玉蘭が故郷にいたころ、親馬鹿な父が手配した荒くれ護衛のおじさんたちも、「首飾りは首が絞まりそうでいけねぇ」などと言いながら、腰の剣にぶら下げたりしていた。
佩玉よりは小さく、さりげないアクセサリーのようなものだった。
玉蘭は彼らの守り石を見るのが好きで、子供のころはよく磨かせてもらっていた。彼らも馬家のお嬢さんの『守り石磨き』屋さんごっこに付き合ってくれた。
懐かしい。みんな元気にしているだろうか。お酒を飲み過ぎて奥さんに叱られていないだろうか。
白英も元は武官だ。荒くれ護衛たちとはあまりに立場も見た目も違い、そして何より親しみやすさが違うが、体を使う仕事には違いない。
白英はいつも飾り気のない動きやすそうな服を着ている。
後宮の中だからなのか、鎧を着けているところは見たことがない。
布一枚で作られた上下が繋がった長めの上着のような缼胯袍。腰から下はスリットが入っている上に、ズボン型の袴を履いているので機動性に優れている。
この服装は故郷でも馴染みがある。
故郷の護衛たちは布製の留め具を堅苦しいと一個も二個も外していたものだが、白英はしっかりした性格なのか一番上までしっかりと留めている。
護衛達はだらしなく見えたが、白英は白英で窮屈そうに見える。
そのしっかりした服装のどこにも守り石の類いは見当たらない。腰から提げている剣にも、余計な装飾は見当たらない。
文官の宦官は、守り石を外に見えるように着けている人間も多い。
他人の守り石を眺め、それについて語らうというのは、一般的で気楽な娯楽だ。自由の少ない後宮では、話の種として、そうしている宦官も多いのだろう。
「自分のですか?」
白英はふむと顎をさすった。
「宦官はほら、宝がありますから……」
ニコッと笑いながら発せられた白英の言葉に、玉蘭は無言で彼の脛を蹴った。机の下で何回か思い切り蹴った。
「痛っ! 痛っ! 普通に痛い! 蹴りの角度が意外に鋭いっ! すみませんっ! 宦官冗句です! わりとおなじみのやつなんですっ! 痛いっ!」
叫びながら顔をしかめているが、足は微動だにしない。体幹が強い。あまりダメージを与えられていない。
パオ。
宦官が身の証を立てるためのもの。つまるところ、去勢した後のブツである。これはこれで縁起がいいと言われていて、代替の場合保管されるらしい。玉蘭は見たことはない。
「……あなた、こういう冗談、他の妃嬪相手にも言うの?」
疲れたので蹴るのをやめて、冷めた目で玉蘭は問うた。
「言いませんよ」
即答だった。
「言わないのかよ」
「馬玉官は嫌だったらちゃんと怒るだろうし……」
「よくわかってるじゃない……」
そう長い付き合いでもないはずなのに、お互い遠慮というものが一切なくなっている気がする。そちらの方が気楽と言えば気楽なのだが、それにしたって限度がある。
「いや、まあ、あれなんです。自分の守り石はパオと一緒に箱に入れて、保管してるんです。そういう宦官もわりと多いんですよ。なので、さすがにここでご開陳するのは……」
「最初からそう言え、そう」
回りくどい。
「はい」
白英はおとなしくうなずいた。
「ちなみに俺の守り石は故郷の近くで採れた山珊瑚です。玉にはせずに枝状のままですね。男児だから首飾りにしやすい玉じゃなくても困らないだろうって感じだったみたいです」
「なるほど」
見てみたくなるが、白英の言うとおりパオと一緒に保管しているのなら、ここで見せろというのもなんだか微妙だ。
「ところで昔から不思議だったんですが、珊瑚って海のものとして有名ですよね? 山珊瑚ってなんなんですか? 珊瑚の偽物?」
「ああ……」
山珊瑚。本来なら海から採れる珊瑚が山から採れるというのは確かに不思議だろうが、その理屈は簡単で、その山がかつては海だっただけだ。
たとえばヒマラヤ山脈。山珊瑚の産地としても知られ、世界で一番高い山がある彼の地はかつては海だった。ヒマラヤは大陸の衝突で出来た山脈で……。などという説明は、こちらの世界では通じない。
これは前世に持っていた知識だ。
大陸が動いて、ぶつかって、山が出来ました。
そんな理屈は、この時代では、まだおとぎ話だとしか思われない。
「……山に生えた珊瑚だから偽物でも似た物でもなくて本物よ」
というわけで玉蘭は簡素な説明で済ませた。
「へー」
白英の返事は軽かった。昔から疑問だったから良い機会なので聞いてみたが、実のところはだいぶどうでもよかったという感じだ。
まあ、雑談なんてそんなものである。
「……ねえ、姫宦官の故郷って……」
山珊瑚の産地はヒマラヤを始めいくつかある。どこなのか聞こうとしたところで、宝玉宮の中に鈴の音が鳴り響いた。
宝玉宮への来客を告げる鈴だった。
「行ってまいります」
白英がさっと立ち上がり、出迎えに向かう。その間に玉蘭は散らかした書類を片付け、人を招いても大丈夫なようにせっせと整える。
すぐに白英は戻ってきた。
「馬玉官、失せ物だそうです」
「……それはさすがに私の仕事じゃなくない? 落としたと思われる場所を丹念に探してくださいとしか……。あと窃盗の可能性があるなら、また別の部署でしょ……。どこかは知らないけど……」
信仰篤い守り石の担当とは言え、別に玉官には超能力があるわけではないのだ。守り石の居場所を感知するとか、占うとかそういうこともできない。
「いえ、その……」
白英は一瞬、説明に迷った。
「宮殿で持ち主不明の守り石が見つかった。この失せ物の持ち主を探してください、だそうです」
「……それはまた、なんだか面倒そうね?」
玉蘭は眉をひそめた。



