「私達、守り石に呪われているんだと思います。あの子……あの子の石を、すり潰したりなんてしなければ……」
 宮女達の目に怯えが走る。
「おとなしく玉塚(ぎょくづか)に納めていれば……」
 玉塚とは、行き場を失った守り石を(まつ)る塚である。後宮では身寄りもなく遺言も遺せず突然亡くなる女も少なくない。そんな彼女たちの守り石は玉塚に納められる。
「でも、彼女はあなた達にその使い方で良いと言ったのでしょう? それとも、それは虚偽なのですか? あるいは、何か無理矢理にでも届けを出させた?」
 玉蘭の問いかけに、宮女3人は顔を見合わせる。
「……いえ、いえ、そんなことは」
「そうです! 誓ってそのようなことはありませんでした!」
 真珠の宮女は声を詰まらせ、瑪瑙の宮女は大声で、そして最後の1人、金剛石の宮女は暗く俯いた。
「……でも、もしかしたら、あの子には無理矢理に思えたのかも」
「そんなこと……そんな……こと……」
 大声を出した瑪瑙の宮女は否定しようとして、否定しきれなかった。
「だって! 私、あの子の守り石、羨ましいって言ったことあるわ。緑色で、綺麗で、まるで高貴な(ユー)みたいって……!」
 金剛石の宮女がそう叫んだ。

 ユーとは宝玉の中でも、長きにわたりもっとも貴ばれてきた宝玉だ。
 基本的に軟玉(ネフライト)のことを指す。
 王族の守り石は大抵ネフライトだ。貴族や官僚は王族にはばかって、守り石にネフライトを選ぶことは少ない。
 一方、田舎の金持ちであれば、王族に会うことなどまずないので、あまり気にせずにネフライトを選ぶこともよくある。

 そして3人の宮女はちらりと玉蘭の胸元を見た。そこに光るネフライトの宝玉を見た。
 田舎の商人である馬家の娘の守り石。
 宝石商の娘だけあって、玉蘭の守り石は高貴な妃嬪のそれらに引けを取らない品質に大きさだ。
 柔らかな光沢があり、不透明。緑がかっているがどちらかというと白に近い。
 さらに言えば細工も細かい。蘭の花の意匠が彫られている。馬家一番の職人が手がけた一級品だ。

(なるほど、その目でその子の守り石も見たというわけだ)
 3人の目は、羨望に染まっていた。
 きっと玉蘭がこれを欲しければ何かやれと命じれば、よほど難しいことでなければ彼女達はおとなしく従うだろう。
 そういう欲深い目をしていた。
 しかし玉蘭はそれに気分を害することもない。

 良い物を見たら欲しくなる。そのようなことは当たり前のことであり、その感情があるからこそ、商人というものは成り立つのだから。
「私達が、本当はあの子の意に沿わないことをしていて、だから守り石に呪われた……そうは思いませんか、馬玉官」
 金剛石の宮女が縋るような目でこちらを見た。
「思いません」
 玉蘭はきっぱりとそれを否定した。

「馬玉官」
 そこに白英が戻ってきて、玉蘭に声をかけた。手には帳面を持っていて、すでに頁を開いている。
「ありがとう」
 玉蘭はそう言って、白英から帳面を受け取る。
 そこには3人の宮女と同じく高夫人に仕えていた宮女の守り石に関する遺言が記されていた。
 じっくり読む。記されている限り、手続きに特に問題はなかった。
 顔を上げ、白英に目配せする。白英も小さくうなずく。
 彼の目から見ても、手続き上の問題はないらしい。

「……それで、その守り石の粉末は?」
 帳面を伏せ、玉蘭は尋ねた。
「……こちらに」
 真珠の宮女が小さな壺を取り出した。手のひらに簡単に収まる大きさだった。
 そして壺は朱色の布に包まれていた。朱色は時に魔除けに使われる色である。
 玉蘭はためらわずさっと布を取り払った。
 壺にはご丁寧に魔除けの札まで貼られていた。この後宮でどう手に入れたのやら。
 玉蘭はその札も迷わず引き剥がす。

「ひっ……」

 息の漏れるような悲鳴が宮女たちから上がった。

 そして壺の中には、確かに青々とした緑色の粉末があった。
「……うん、確かに」
 すべて帳面に書いてあったとおりであった。
 その頁が作られた日付は4か月前だった。玉蘭の赴任前なので、記載がきちんとしているか不安だったが、問題はなかった。
 そう、何も問題はなかったのだ。

「安心なさってください。これは呪いではありません。単なるかぶれです。医官のところでそう言って手当を受けてください。適切な治療さえすれば、そのうち腫れもひくと思います」
「かぶれ……。たしかにそうも見えます……。いえ、でも……」
「あの子はこの石をずっと身に着けていたのに……?」
「石の状態と粉末の状態では、毒性が異なることはよくあることです。特にこの石は、この輝きは、砕かれていてもわかります、これは孔雀石(マラカイト)です」
 孔雀石――孔雀のように鮮やかな緑を持つことから名付けられた石。またの名を石緑(せきりょく)ともいう。
 その石の特筆すべき点は――。

「マラカイトは美しい石です。しかし実は不純物が多く含まれています。それ故、粉末にして肌に触れるとかぶれやすい。ただ、それだけのことですよ」
 そう。本当にただそれだけだ。守り石の呪いなどではない。そんなものはありはしない。しかし、宮女たちは、そういったことも知らないくらい、宝玉には疎く、本来なら縁遠い。

 後宮に来なければ、彼女たちがマラカイトと邂逅することもなかっただろう。
 庶民の手に入る守り石はその土地の近くでよく採れるものであることが多い。
 金剛石は比較的広い地域で取れるが、真珠は珠国の北東、瑪瑙は西方、そしてマラカイトは南西で採れるのだ。
 彼女たちの出身地は恐らくバラバラだったのだろう。
 珠国は広大な国だ。遠い地域のことはお互いよく知らない。
 だから生き残った3人はマラカイトの特性を知らなかった。
 ただ、それだけだ。それだけのことだった。

 3人の宮女はすっかり安心した顔をした。
「そうだったんだ……」
「よかった……」
「だから言ったじゃない! 私達何も間違っちゃいないって!」
「…………」
 玉蘭は3人のやり取りをじっと見つめた。じっと、じっと。
「……それで、この粉末、どうされます? 化粧にはもう使わない方がよいと思いますが」
 玉蘭は壺を持ち上げ、彼女たちに尋ねた。
「ど、どうしましょう……」
「あの子は別に3人で使うなら使い道は指定しなかったけど……」
「でも顔料として使うにしたって、化粧以外だと私達に使い道なんて……」
 宮女達は困って顔を見合わせた。

「……では、こうしましょうか? 私が何か小さな、そうですね木に嵌めた鏡でも贈ります。その木を飾る顔料として、残ったマラカイトを使う。これならどうでしょう。3人で鏡を使えば、遺言通りになるのでは?」
「たしかに。でも、よいのですか? 玉官にそんなお手間を……」
「構いません、このくらいは。では、こちらはしばらくお預かりするということで。完成しましたら、そちらに贈りますね」
「ありがとうございます! 馬玉官!」
「ああ、あなたに相談してよかった」
「玉官が不在の半年間、私達、それはそれは不安で……」
 宮女たちの感謝の言葉に玉蘭は静かに微笑んだ。

 そう言ってもらえるのなら、自分がここに来たかいがある。



 そうして3人の宮女たちは胸を撫で下ろし、笑顔で帰って行った。

 玉蘭は、それをじっと見送る。彼女達の症状は引いていくだろう。
 けれども――。