「……そうなりますと……」

 白英が一歩前に踏み出し、場の主導権を握りだした。

「順当に考えれば、その女官……あるいは女官が通じていた宦官が楊玉官暗殺犯……ということになってしまいますね……」

 白英が困った顔をする。

「楊玉官の死因は頭部の殴打でした。その際に転がったラピスラズリを女官は持ち去った……。いや、何のために……?」
「そうね。殺害と無関係を装いたかったら、持ち去るより、放置した方がいいわよね。後宮勤めの女官なら、簡単に売れるわけでもないし……」

 玉蘭は腕を組む。
 玉官になってから確認したが、後宮での宝石の売買は様々な規則がある。
 特に後宮内部の人間が売る場合、盗品の可能性もあるからだ。
 外部から売りに来る場合は、そこまででもない。

「……もしかして、その女官は殺害犯ではなく……、殺害を告発したかった……?」
「あ……」

 謝女官が顔を上げ、玉蘭を見た。

「ああ、まあ……。そうですね。宦官と組んでいたということは、何らかの脅しで良いように使われていた、という可能性もありえます」

 白英がうんうんとうなずいた。

「まあ、これは我々のこれからの調査次第ですね」

 白英は切り上げるようにまとめた。

「これ以上、全員首を突っ込まないでください。死にたくなければ」

 賢妃も含めたこの場の全員に対し、かなり不遜な物言いだが、『死にたくなければ』という言葉はあまりに重かった。
 実際、楊玉官もその女官も死んでいる。

「調べます。お約束します。ラピスラズリに誓いましょう。というわけで謝女官、その女官と宦官の情報をくださいますか?」
「はい、宦官の一覧はこちらに」

 折り畳まれた紙を謝女官は白英に差し出した。
 玉蘭はちらりとその紙を見たが、白英はさっさと懐にしまってしまった。玉蘭に見せる気はないらしい。

「それから女官の名前は、崔女官……」

「ん?」

 聞き覚えがある。

「えーっと、ああ、そうだ。梅環宮で藍宝石(サファイア)の女官に石の名前を教えていた……。いや、でも、あれは大粛清後の出来事だから、生きてるのね。別人かしら……」
 崔はありふれた名字だ。

「サファイア?」
 謝女官が玉蘭を見た。

「ええ、ああ、はい」
「……サファイアは崔女官の守り石でした。澄んだ水色でした」

「……サファイア」

 玉蘭は思い出す。梅環宮での会話を。

『……下のお名前と異動先は?』
『忘れました……。ああ、でも守り石は覚えています。真っ赤な紅玉(ルビー)
『ルビーですか。ルビーとサファイアは同じコランダム。だから、知っていた、のかな……?』

「……藍宝石(サファイア)紅玉(ルビー)……。同じ鉱床から採れることもある近い性質を持つ……双子のような、石……」

 じわりと汗をかいた。
 何か、符牒のようなものを感じずにはいられなかった。

「……ひとまず、そちらも調べるとして、あとは……」

 白英は玉蘭を見た。

「今後、ラピスラズリをどうするか、馬玉官、宝玉宮に戻って決めませんと」
「え、あ……、もしかして楊玉官の守り石の記録、あるかも?」

「はい。持ち主がわかった以上、それに合わせて処理しなくては」

「そっか……そっかあ……」

 またあの膨大な記録を漁らなければいけないのかと、玉蘭は遠い目をした。

 こうして玉蘭たちは一旦、朱瓔宮を後にした。
 ラピスラズリは預かったまま、けれども、恐らくラピスラズリの処理のために最低でも、もう一度朱瓔宮に戻るのだろうという気はした。



 白英と並んで石畳を歩く。
 この道のどこかで、楊玉官は殺された。その気持ちを紛らわすように、玉蘭は口を開いた。

「……白英、これって謝女官にはお咎めあるの?」
「はて、何を咎めることがあるでしょうか。やったことは自分が落としたものを宝玉宮に持ち込んだだけ……。つまるところボケ始めているのかもしれませんね、良いお年ですし」
「そういう風に処理するのね、人間の方は」
「そうですね、これが一番丸いかと。ご不満ですか?」
「……いいえ」

 そうしてふたりは宝玉宮に帰り着いた。

 宝玉宮の中は、家具の配置が換わっていた。

「……盗人!?」

 白英が玉蘭を背に庇うように、宝玉宮の中に飛び込んだ。

「え!?」

 宝玉宮の中から、戸惑いの声が聞こえてきた。徳秀のものだった。
 徳秀は、床に膝をつき、せっせと床磨きをしていた。

「お、おかえりなさいませ!」
「徳秀、何を……?」
 白英が緊張を緩めながらそう言った。
「て、手持ち無沙汰だったので、お掃除を……」
「お前、それは……」

「ありがとう、徳秀」

 白英が何か言いかけたのを、玉蘭は遮った。

「一旦、お茶にしましょう。休憩よ。白英、お茶」
「……はい」

 諦めたようにため息をつき、白英が厨房へ歩いて行った。
 徳秀が家具の配置を直すのを手伝いながら、玉蘭は口を開く。

「私達が留守の間に誰かいらした?」
「は、はい。とても身なりの良い方が。忙しいらしく、お二人が不在と知ると、すぐに出て行かれました。その方からは手紙を預かっております。あと、その方に『お前はこんなところで何をしている?』と聞かれたので、『留守番なのですが、何をしていいかわからず』とお答えしたら、『掃除でもしていたらどうだ?』と……」
「へえ、変な人。徳秀もそんな人の言うことなんて聞かなくてよいのよ?」
「いえ、暇でしたし……。あ、お手紙、こちらです」

 徳秀が手紙を取り出した。

「えーっと、包みは白紙? あ、ハンコが捺されて……いる……」

 玉蘭は固まった。

「お茶をお持ちしました」

 白英が三人分のお茶を持ってやってきた。

「……馬玉官? どうされました? 家具なんて運んだせいでぎっくり腰ですか?」
「白英、これ、偽物かしら?」
「はい?」

 玉蘭が白英に差し出した手紙の包みには簡潔な文字が捺されていた。

『東宮印』

「…………本物です」

 白英が、長い沈黙の末、そう言った。

「なんで!?」
「……さあ」

 そう言って白英は自分で運んできたお茶を、気付けのようにさっさと飲み干した。

「え、あの……何か? 問題でも」

 徳秀がオロオロとこちらを見ている。
 果たしてこの少年宦官にこのことを伝えてやってもいいものか。

 お前に掃除でもしてろと言ったのは、皇太子、この国で皇帝の次に偉い人だぞ、なんて言ったら、この子はひっくり返ってしまうのではないだろうか。
 そう思いながら、玉蘭も立ったまま、白英の持つお盆からお茶をひったくり、グビグビと飲み干した。

 宝玉宮に、休む暇はなさそうであった。



 一週間後、玉蘭はラピスラズリを手に朱瓔宮を訪問した。
 必死に記録庫を漁って見つけた楊玉官の記録には以下のように記されていた。
『楊賢妃に献上。断られた場合は、玉塚へ』

 その日から、楊賢妃の胸元にはふたつの石が並ぶようになった。

 朱瓔宮では今日も、紅縞瑪瑙(サードオニキス)瑠璃(ラピスラズリ)が楊賢妃の胸元で光沢を放っている。