「……私が今のような考えに至ったのは、謝女官のお言葉があったからです」

 まだ具合の悪そうな謝女官が椅子に掛けるのを見守ってから、玉蘭はそう言った。

「……私、何か言いましたでしょうか……」
 謝女官が困惑している。
「はい。楊賢妃さまのお考えを迷信だとおっしゃっていました。自分の主人を、よその宮殿の人間に説明するに当たって、それはずいぶんとあけすけで、遠慮が無いな、と感じました」

『昔から群青色の守り石を持つ親戚の方と折り合いが悪く、その迷信をすっかり信じていられます』

 そう言っていた。

「つまり、謝女官は……迷信だと感じていた。迷信だと信じるほどの何かがどこかにあった、と。そうですね?」
「……はい」

 謝女官は観念したようにうなずくと、楊賢妃をじっと見つめた。
 その瞳は慈母のようであった。
 幼い頃から、楊賢妃に仕えている忠臣。

「……先ほど馬玉官がおっしゃった陰陽について……、楊玉官も同じことを申しておりました。『自分は賢妃を、影から補佐したい。何か困りごとがあればいつでも言ってください』と……」
「な……」

 楊賢妃の動揺に、謝女官は辛そうに目を伏せた。

「……だ、だから……相談、してしまったのです。あの子のことを……、そうしたら、死んでしまった……!」
「あの子……?」

 今度は玉蘭が戸惑う番だった。
 ここから先は、玉蘭もほとんど仮説しか持ち合わせていない。
 細かな登場人物までは把握できていないのだ。

「馬玉官は朱瓔宮に大粛清の対象者がいたことは、ご存じでしょうか?」
「はい、白英から聞きました。でも、外様の官だったとも……」
「はい。女官でした。まだうら若い、素朴な少女……。異動でやってきただけの……」

 謝女官の瞳が涙に潤んだ。

「……半年以上前、噂が起こりました。彼女が他の宮殿の宦官と密通していると。当時はまだ皇帝陛下も健在でしたから、これはいけないと私は信頼できる女官たちと調査をすると、確かに彼女が他の宦官と密かに会っているのが確認できました……」

「…………」

 密会。密通。
 あのラピスラズリ自体はそれとは無関係だったが、朱瓔宮にはそのスキャンダルの芽はかつてあったというわけだ。
 もしかしたらラピスラズリ発見の時、密会説が女官たちから出てきたのは、『あの子』のことがあったからかもしれない。

「……悩んだ末、私は楊玉官に相談しました。他の宮殿の宦官についても、彼に話しました。宝玉宮の玉官であれば、彼らの情報も持っているだろう、と」
「……確かに」

 宝玉宮の情報アドバンテージは大きい。玉蘭だってそれを利用して、後宮の妃嬪たちと商人として縁を作るつもりでここに来たところがある。
 原則、後宮の誰もが宝玉宮に情報を納める必要がある。
 今は人手不足で手が回っていないが、大粛清前の玉官健在時はもっとしっかりした情報源として機能していたはずだ。

「……しかし話して半月も経たないうちに楊玉官は、死にました。……大粛清に巻き込まれたと世間では申していましたが……」
「……暗殺だそうよ。姫宦官が教えてくれました」

 静かに聞いていた楊賢妃が謝女官を慰めるようにそう言った。

「……ああ」

 謝女官が顔を覆った。

「……彼女の、死んだ女官のことはもちろん、わたくしも覚えております」

 謝女官の代わりに、楊賢妃が口を開いた。

「楊玉官が亡くなってすぐに、彼女も大粛清で亡くなりました。……それだけではないの? 謝……」
「……はい。あの子が亡くなってすぐ、遺品は私が整頓することになりました。何か重要なものが見つかれば、私が処理をしなくてはいけません。上に提出するか、隠蔽するか……。それを他のものに任せるわけにはいきませんでした」

「……これ以上、犠牲を出したくなかったのですね」
 玉蘭はそう尋ねた。その気持ちはわかる気がした。
「……はい」

 謝女官が揺れた。

「そこで私は……見つけてしまいました……。あの子の荷物の中……。少ない服の中……。布にくるまれて、一番奥底に隠されていた……傷のついたラピスラズリ……っ。楊玉官の……!」

 謝女官は震えながら、そう言い切った。
 玉蘭はうなずいた。それは仮説通りだった。

「謝女官は感づいていたのですね。楊玉官の死因に」
「でも、言えなかった……! 私のせいだと思った。私が楊玉官にあの子について相談したから……。楊玉官が死んだ! 楊賢妃さまへの心遣いも知られぬまま……!」

 謝女官はぐったりとしていた。

「……ラピスラズリは私の個室に隠し、あの子の他の遺品は処分しました。大したものは残っていなかった……」
「ついでにラピスラズリも処分することは、どうしてもできなかったのですね、謝女官」

 玉蘭は静かに問いかけた。

 合理的な判断だけを重視するのなら、暗殺された宦官の持っていたラピスラズリなど、どうにか処分されるはずだったのだ。
 玉塚にでも納めればいい。
 それが出来なかった理由。されなかった理由。それはラピスラズリの持ち主に何らかの思い入れがある人間が関与していたからだ。

「守り石だと断定したのも不思議なことはない。あなたは最初から知っていのです。……だから、動揺した」

 玉蘭が守り石ではない可能性を指摘したときの動揺。
 あれは『守り石ではないかもしれない』という動揺では無かったのだ。『守り石だとつい言ってしまった』という後悔から来る動揺だったのだ。

「……時折、取りだし眺め、己の罪と向き合いました。いえ、向き合ったつもりになって、自己憐憫に浸りました……。それが、あの日は……ああ、具合が、悪かったのです。ずっと悪かった。あの日、楊玉官が死んでから、ずっと。手が震えて……」

 今、全身が震えているように。

「ラピスラズリが廊下に転がり落ち、追いかけようとして立ちくらみを起こし、気がついた頃には、女官たちに見つかっていました。これが一週間前の出来事のすべてです」

「……守り石の失せ物は、こうして完成したのですね」

 玉蘭はそうまとめた。