「事の起こりは一年前です」

 玉蘭はそう口火を切った。

「一年前……、大粛清のあった半年前ではなく?」
「はい。厳密に言えば我らが証言を得られたのが、一年前の出来事です。楊賢妃さまからの証言さえ得られればもっと……数十年前にでも遡れます」

 つまり楊玉官が生まれた頃、守り石を手に入れた頃だ。
 そういえば楊玉官はいくつだったのだろうか?
 楊賢妃より年上なのか? 年下なのか?
 そんなことすら、玉蘭は知らないままに話をしている。
 なんて不格好な探偵役だろうか。

「……口を挟んでごめんなさい。続けてください」
「はい」

 楊賢妃の促しに、玉蘭はうなずいた。

「一年前、とある少年が宦官としてこの後宮へやって来ました」

「地方領主からの献上品のひとりです」

 白英が静かに補足した。
 献上品。つまるところ奴隷だ。
 そうか徳秀は奴隷だったのだ。
 だから白英はああも警戒していたのだろう。
 奴隷。出世の野心があるわけでもなければ、皇帝に忠誠を誓うわけでもなく、ただ領主の都合で後宮に連れられてきた存在。
 しかも徳秀には愛する母親ももういない。
 彼が何をしても連座はない。何をしでかすかわからない。

 その気付きを呑み込んで、玉蘭は楊賢妃への説明を続ける。

「その少年は宝玉宮で、たまたま楊玉官に最初の守り石の登録を担当してもらいました。彼が楊玉官の守り石であるラピスラズリを見たと証言してくれました」
「あなたはそれを結びつけた……。献上品に過ぎない宦官の証言をそこまで信用したのですか? それだけで四妃に、もの申しにきた、と?」

 楊賢妃は怒ってはいなかった。
 ただひたすら困惑している。

「はい」

 玉蘭はうなずいた。

「彼は信頼できると判断しました」

 勘だった。
 けれどもあの涙は本物だと感じた。
 あの母を失った苦しみ、あの郷里を離れた寂しさ、あの玉官のことを語る安堵。
 そして何より守り石のアメジストの丁寧な編まれ方。

「……そうですか。私は楊玉官のことを信頼してやれなかったのにね」

 楊賢妃は少し自嘲的にそう言った。

「そして一年前、そのラピスラズリには傷がついていませんでした。これも少年宦官の証言です。では、いつついたのか?」

 玉蘭は両手の指を一本ずつ立てた。

「一年前、傷のついていないラピスラズリ。半年前、楊玉官が暗殺。そして一週間前、あのラピスラズリが発見……」

 玉蘭は指を左右に動かしながら、語る。

「ラピスラズリが発見された朱瓔宮の廊下を見ました。板の床でした。故にあそこで落としたとしても、ラピスラズリに傷はつかない」
「では……一週間より前……?」
「はい。そこで、重要なのは……少年宦官がラピスラズリを見られたということは、楊玉官は普段から守り石を下げていらしたということだと思われます」
「……ええ、これ見よがしにあの群青色を見せびらかして歩いておりました」

 楊賢妃の言葉はトゲトゲしかったが、どこか親しみのにじんだトゲトゲしさだった。

「であれば、暗殺されたときも、下げていたはずなのです」
「あ……」

 楊賢妃の顔が青くなった。

「……っ、暗殺、で傷がついた……っ。その、ラピスラズリが朱瓔宮に……? そ、それでは、まるで……!」

「そう、まるで朱瓔宮の人々が楊玉官を殺したかのようですね」

 玉蘭はうなずき、ちらりと白英を見た。

「……確かに、楊玉官の遺体が発見されたのは、宝玉宮から朱瓔宮に向かう途中の道でした」

 白英の証言に、玉蘭は今日の道のりを思い出す。
 石畳の上を歩いてきた。あそこに落としたのなら、ラピスラズリに傷がついてもおかしくはない。
 あるいは殺されたときに、守り石の上に倒れ込んだか。

「……我々は親族である楊賢妃に用事があったのだろうと考えていました」
「そ、それはありえません!」
 楊賢妃が狼狽する。
「私は後宮に入ってから、本当に必要な事務的な手続き以外で宝玉宮との関係は絶っていました! あの男がここに来るなんてことは、ありません」
「そ、そこまで……?」

 白英が困惑する。

「守り石の迷信のせい、ですね?」
「……はい」

 玉蘭の問いに楊賢妃が落ち着きを取り戻す。

「……楊玉官は私の半年後に生まれた年の近い親族です。ですが親しくはありませんでした。楊家の中でも私の父と楊玉官の父はどちらかといえば、家の中で反目しあっていましたから。……楊玉官の守り石がラピスラズリだったのも、私の茶色いサードオニキスに当てつけたものだと思います」
「え?」

 白英が意外そうな声を出す。

「……私は物心ついたときから、後宮へ嫁ぐために育てられました。恐らく生まれたときから、父はそのつもりだったのだと思います。私が後宮で皇后にでもなれば、父の楊家での地位は確立され、逆に反目していた楊玉官の父君の地位は失墜が決まる。……実際、そうなりましたから」

 玉蘭には縁遠い話だが、白英は納得したらしく、うなずきだした。

「……恐らく楊玉官の父君は楊玉官が女児であることを望んでいたのだと思います。しかし男児だった。そこでわたくしと相性の悪い守り石を選ぶことで、まあ嫌がらせ、したのでしょうね」

「……子のための守り石をそのような理由で選ぶなんて……」

 白英は顔をしかめた。皇后まで輩出した姫家の人間にしては、権力闘争への感性がまっとうだ。

「それで楊賢妃さまは群青色もラピスラズリも嫌っている、と」

 玉蘭はじっと楊賢妃を見つめた。

「でも、楊賢妃さま、それはあくまで楊玉官の父君の思惑です」
「……それは、どういう?」
「何故、楊玉官は宦官になったのでしょう。先ほどの少年のような献上品ではない。彼の意思ですよね?」
「は、はい。世間はわたくしの補佐なのだろうと噂を囁いていましたが、そういう事実はありませんでした。我々は……この広くて狭い後宮にあって、協力し合うことはなかった……」

 楊賢妃がどこか悔いるようにそう言った。

「そうですね。……相性の悪い色。補色。これはまあ、簡単に説明すると真反対の色なのです」
「真反対……」
「はい。太陽と月、南と北、男と女。……ですが、この国には古くから陰陽という考えが、あります」
「陰陽……ですか……」
「はい。真反対のふたつのうち、どちらが多くてもダメ。調和こそが大事……。まあ、これは今更私が言うまでもないと思いますが」
「ええ。調和……」

 楊賢妃はどこか不安そうな瞳でうなずいた。

「はい。補色。補う色。……確かに楊玉官の父君の意向はあなたへの嫌がらせだったのかもしれませんが……。楊玉官は、補うために、後宮へいらしたのかもしれません」
「……え?」
「群青色の彼が、茶色のあなたを、補うために後宮にいた……なんて考え方も、ありではないかと」

「……それ、は」

 楊賢妃はうつむいた。

「……今となっては、確かめようもありません……。それにそれは、今話していることと、何か関係があるのですか?」
「……あるかもしれません。ねえ、謝女官」

 玉蘭は振り返る。そこには女官たちに支えられた謝女官がいた。

「……席を外して、申し訳ありません、皆様」

 謝女官はそう言って頭を下げた。