早速徳秀に留守番を頼んで、朱瓔宮へ向かうこととなった。
 石畳の上を淡々と歩んでいく。

「……あの子供を留守番役にするのは……、文字も書けないようですし……」
「いないよりはマシじゃない」

 白英の苦言を玉蘭は無視した。
 チラリと前をキビキビと進む謝女官を見つめる。

「……そんなことより、調べていた例の玉官は、どちら?」
 玉蘭は努めて言葉を濁しながら、そう訊いた。
 楊玉官についてまだわかっていないことがある。
 玉官7人は全員が大粛清で処分されたというのが表向きの発表。しかし真実は3人が何らかの理由で暗殺されていた。

 楊玉官がどちらなのかで、話の持って行き方も、真相への道も変わってしまう。

「……暗殺」

 白英は小さな声でそうとだけ答えた。

「……それって、その、ご親族は?」
「何もご存じありません」
「…………」

 つまり楊賢妃たちは、楊玉官を罪人だと認識していることになる。これはずいぶんとややこしい事態だ。
 迂闊に話に出しづらいではないか。これで白英が謝女官を追及しなかった理由もなんとなくわかった。

 盤面に楊玉官が現れたことで、白英にもまた負い目が生じてしまったのだ。
 楊賢妃の親族の死を、隠蔽している一人だという負い目が。

 これはずいぶん、どうにもややこしい。

 半年前の死人の守り石が一週間前に、親族の宮殿で見つかった。一年前にはついていなかった傷とともに。
 そしてその死人は暗殺されていた。

「……まさか犯人は……」
 謝女官の後ろ姿を見つめた。折り合いの悪い親族。それを楊賢妃が何らかの理由で殺してしまった?
 だから、守り石が朱瓔宮から見つかった?
「ごほん」
 白英がわざとらしく咳払いをする。
 その咳に冷静になる。
 だとしたら、なおさらあのラピスラズリを宝玉宮に持ってくるのはおかしい。

 内々にどうにか処理したかったはずだ。
 処理できなかった理由はなんだ?
 朱瓔宮にいる何者かが、内々に処理することを許さなかった?
 それは、楊賢妃か? 謝女官か?
 あるいはまだ見ぬ誰かなのか。

 玉蘭が一人思い悩んでいると、ようやく朱瓔宮にたどり着いた。

「ようこそ、朱瓔宮へ。……先に失せ物を見つけた場所に案内します」
「楊賢妃さまへのご挨拶は?」
「後回しで構いません。主人もそう申しております」
「わかりました」

 謝女官がそう言うのなら、従おう。

 宮殿は広かった。
 宝玉宮も元は7人の宦官が一人ずつ部屋を与えられる程度には広いが、それとは比べものにならない。
 賢妃。皇后に次いで偉い四妃のうちの一人の宮殿。

「……むしろこの広い空間で、よく落とし物なんて見つかりましたね」

 玉蘭はぽつりと呟いた。
 棚の下にでも入り込もうものなら、一生見つからない気がする。

「……そうですね」

 謝女官は静かにうなずいた。

「こちらです。ここに転がり落ちていました」

 そこは宮殿の中程まで進んだ場所だった。
 廊下の隅。

「このあたりは主に女官たちの寝所です」
 戸を指し示しながら謝女官が説明する。
「身分別に寝所が分かれています。こちらは身分の高い女官がいます。あちらが私の個室です」

 謝女官が指さした個室は、すぐ近くだった。

「廊下と個室の間に大きな段差はなし。これなら各部屋から廊下へ転がっていってもおかしくはなさそうですね」
 玉蘭は床をじっと確認する。板の床。ここにラピスラズリを落としても、傷はつかないのではないだろうか。
「個室を持っている女官は何名くらいですか?」
 白英が補足するように質問した。
「私の他に、今は5名。……そのうち1名は皇帝陛下のお気に入りでした」

 一般の女官でも皇帝の目にとまれば寵姫への道は開ける。

「……お気に入り『でした』? 過去形ですか?」
「ああ、皇帝陛下は病を得てから、もう、そのようなお元気がないので」
 謝女官が何か言うまえに、白英がそう言った。
「そうなの……」

 病気なのは知っていたが、そこまでとは知らなかった。

「朱瓔宮ではもう半年近く、お姿を見かけておりません。他の宮殿も似たようなもののようですが」
「ええ、まあ」

 謝女官の補足に、白英が静かにうなずいた。元東宮の護衛。玉蘭はもちろん、賢妃付きの謝女官よりも皇帝の状態には詳しいようだ。

「へえ……。発見されたのも女官ですか?」
「はい。中堅の女官が数名、ここを通って……騒がしかったので個室から出ましたら、これが」
「謝女官も発見時にいらしたのですね。たとえばその数名の女官が共謀して、その時にラピスラズリを置いたというような可能性はありませんか? たとえば……、わざと守り石を発見させ、ここら辺の女官に密会の罪を着せたかった……とか」
「……いえ、どうでしょう。絶対にないとは言い切れませんが……。そういう感じでは、なかったです。彼女らも、楊賢妃さまのお耳に入ることに怯えて、私がやって来たのにも驚いていたくらいですし……」
「つまり発見した女官も、どちらかというとなかったことにしたがっていた?」
「はい」
 謝女官は静かにうなずく。無理矢理心を落ち着けているようにも見える。
「それでも話を宝玉宮に持ってくることにされたのは、何故ですか?」
 玉蘭はそう尋ねた。仮に謝女官、あるいは楊賢妃が楊玉官の守り石だと気付いていたのなら、わざわざ宝玉宮の力を借りる必要はあるだろうか?
「それは……これが守り石であれば、なくしたものが困っているだろうと」
「それを言い出したのは?」
「……私です」

『困っているだろう』
 つまり謝女官は守り石の持ち主が生きていると考えていたことになる。
 楊玉官の守り石、つまり死人の守り石だとは思わなかったのだろうか?
 いや、謝女官と楊玉官に面識がなかったとも考えづらい。ならば、これすらも偽装なのか?

「私がそう言って、女官達はそこで初めて、これが守り石かもしれないと気付いたようでした。何しろ朱瓔宮にはラピスラズリが守り石の人間はいないはずでしたので……」

 玉蘭は深くうなずいた。
「もしかして、密会説が出てきたのは、そのときですか?」
「はい。女官の一人が、『謝女官さま、これが守り石なら……誰か、外の宮殿から来た人のものでは?』と……」
「そして女官なら、大体首から提げているから、宦官、と」
「はい……。それで探しに来ないのなら……密通、と」
 謝女官が顔をしかめた。
「ありがとうございます。その女官達にお話を聞けますか?」
「はい、ただ、その前に楊賢妃さまにどうかお目通りを」
「もちろん」

 とうとう楊賢妃に会う。
 小さな緊張が玉蘭を襲った。