しばらくして謝女官が自ら、宝玉宮まで迎えに来てくれた。
昨日のような依頼ではなく、ただ道案内のためなら、もう少し下っ端でも良いはずだ。彼女が直接また来たということは、何か思惑があるのだろうと玉蘭ですら思った。
「お邪魔いたします」
謝女官は静かに頭を下げた。
「ようこそ、お茶をお出ししますね」
白英がそう言った。つまり白英は謝女官に『少しここにいて話をしていけ』と言外に言っている。この男、武官だと言い張るには腹芸に慣れ過ぎている。
徳秀は玉蘭の後ろで落ち着かない様子で立って控えている。
謝女官は一瞬、徳秀に目を留めたが、特に気にした様子もない。
みすぼらしい少年宦官など、見慣れているのだろう。
さて、こちらにはずいぶんと情報がある。しかしどこから切り出したものか。
徳秀の証言によれば、楊賢妃の親族、楊玉官の守り石はラピスラズリだった。
それくらい謝女官も楊賢妃も知らぬはずもない。
であれば、何故黙っていたのか。
あるいは、何故思い至らなかったのか。
「……その、昨夜は眠れましたか……?」
我ながら間の抜けた質問からになってしまった。しかし謝女官の顔色は思わずそう言ってしまうほどに、悪かった。
「……はい」
謝女官はうなずいた。誰でも嘘とわかるような嘘だった。
「……その後、どうでしょうか。その守り石ではないとしたら、誰かがラピスラズリを所有していた可能性というものは……。それこそ楊賢妃さまご自身とか……」
四妃ほどの偉い女性だ。無数に宝玉など持っているだろう。
もっともその可能性が低いことを、玉蘭はもう知っている。
あれは楊賢妃の持ち物ではなく、楊玉官の守り石だ。
「……ラピスラズリを楊賢妃さまはお持ちで無いのです」
やけにはっきりと謝女官はそう言った。
「そうなのですか?」
「元々、楊賢妃さまは……あそこまではっきりした群青色がお好きではなく……」
謝女官は困ったような顔でそう言った。ふっと視線が過去を彷徨った。
『青い守り石を持った人間を毛嫌いしている』
尚宮局で聞いた噂はやや本当だったというわけだ。しかしあの女官が持っていたアイオライトは群青色とはほど遠い、少しねじ曲がった噂が伝わっている。
後宮は広い。隅から隅まで情報が正しく伝わることは稀だ。
玉蘭だって、これまで新任玉官を訪ねてきた人に「女性!?」と驚かれたことは、十回じゃ済まない。
「もちろん他のものが守り石として下げるくらいは許しますが、自分が身につけることはございません」
「そう、でしたか……」
玉蘭は相槌を打つ。
お茶を持ってきた白英が不思議そうな顔をする。
「そんなことあるんですね」
まるで噂など知らず、初耳であるかのような物言いだ。
「馬玉官、なんかマズい逸話でもあるんですか、ラピスラズリって」
「いや……」
玉蘭はじっと考え込む。
「楊賢妃さまの守り石は茶色やオレンジ……ですか?」
「……は、はい」
謝女官は驚いた顔をした。昨日の切羽詰まった驚きとは違う、純粋な困惑があった。
「何故……?」
お茶を配り終え、玉蘭の横に立った白英も驚いている。
この我が物顔で場を仕切る宦官に対し、ようやく少し鼻を明かしてやれた気になる。
「謝女官が『ラピスラズリ』ではなく『群青色』とおっしゃったので」
玉蘭はそっと昨日のラピスラズリと、ついでに饅頭を食べた後に、用意しておいた自分の宝石コレクションを取り出す。
「これは色ごとに宝石を分けたものです」
額装され居並ぶ宝石は円形に配置されていた。前世で色相環カラーチャートと呼ばれていたものに似ている。
「この向かい合った別の色は補色とも呼ばれていて……、補色の守り石を持つもの同士は相性が悪いとされています。ずいぶん古い迷信ですが」
補色という言葉はまだこの世界では聞いたことはないが、話を進めやすいように使っておく。
「色的にはむしろお互いを引き立てるんだけどね」
そう付け加えて玉蘭は謝女官を見る。
謝女官は小さくうなずくと、口を開いた。
「楊賢妃さまの守り石は、紅縞瑪瑙でございます」
サードオニキスは赤やオレンジ、茶褐色がメインの色で、白い縞模様が入っているのが特徴だ。
「その中でもより茶色に近いものです」
「ふむ」
「わたくしは元から楊賢妃さまの家に仕えていたので、楊賢妃さまのことは幼いころから存じ上げております。楊賢妃さまは……昔から群青色の守り石を持つ親戚の方と折り合いが悪く、その迷信をすっかり信じていられます」
「なる、ほど」
だいたい繋がってきた。
群青色の守り石を持つ親戚。
恐らく徳秀が教えてくれた楊玉官。
しかし謝女官はやっぱり楊玉官に言及しない。
隠したいのか、話したくないのか。
そしてそれを玉蘭が追求するべきか、しないべきか。
(迷信、か……)
謝女官は主の考えをそう切って捨てた。
それはとげとげしいというよりは、困った子供の話をするような口ぶりだった。
幼い頃から知っている相手なら、賢妃だろうとそうもなるのだろう。
「では、まとめますと、楊賢妃さまの宮殿にラピスラズリなんて持ち歩いている人間が出入りしていたら、誰かは気付く、と考えていいわけですね?」
「はい」
「となると、表に出して持ち歩いていない宦官の持ち物か、楊賢妃さまの不興を買わないよう本物の守り石を隠していた女官や宦官がいたか……。または嫌がらせ……」
考えられる可能性を口にしていく。
玉蘭が『嫌がらせ』と言った瞬間、謝女官がピクリと動いた。玉蘭はそこを追求する。
「……自分の宮殿にラピスラズリが落ちていたら、楊賢妃さまは……えっと、どう思われるでしょうか? というか、実際どういう反応でしたか?」
「……最初は明らかに嫌そうな顔でしたが、持ち主が見つからず、女官と密通している宦官の出入りを疑う流れになり、嫌がっている場合ではない、となりました」
「なるほど」
玉蘭は白英の方を見た。
白英はまばたきだけを返した。ここで何かを聞く気はないようだ。
白英ですら聞かないのなら、楊玉官については玉蘭もここでは保留にするべきなのだろう。
「……では朱瓔宮にお邪魔してもよろしいですか」
玉蘭はいよいよ本丸へ切り込むことにした。
昨日のような依頼ではなく、ただ道案内のためなら、もう少し下っ端でも良いはずだ。彼女が直接また来たということは、何か思惑があるのだろうと玉蘭ですら思った。
「お邪魔いたします」
謝女官は静かに頭を下げた。
「ようこそ、お茶をお出ししますね」
白英がそう言った。つまり白英は謝女官に『少しここにいて話をしていけ』と言外に言っている。この男、武官だと言い張るには腹芸に慣れ過ぎている。
徳秀は玉蘭の後ろで落ち着かない様子で立って控えている。
謝女官は一瞬、徳秀に目を留めたが、特に気にした様子もない。
みすぼらしい少年宦官など、見慣れているのだろう。
さて、こちらにはずいぶんと情報がある。しかしどこから切り出したものか。
徳秀の証言によれば、楊賢妃の親族、楊玉官の守り石はラピスラズリだった。
それくらい謝女官も楊賢妃も知らぬはずもない。
であれば、何故黙っていたのか。
あるいは、何故思い至らなかったのか。
「……その、昨夜は眠れましたか……?」
我ながら間の抜けた質問からになってしまった。しかし謝女官の顔色は思わずそう言ってしまうほどに、悪かった。
「……はい」
謝女官はうなずいた。誰でも嘘とわかるような嘘だった。
「……その後、どうでしょうか。その守り石ではないとしたら、誰かがラピスラズリを所有していた可能性というものは……。それこそ楊賢妃さまご自身とか……」
四妃ほどの偉い女性だ。無数に宝玉など持っているだろう。
もっともその可能性が低いことを、玉蘭はもう知っている。
あれは楊賢妃の持ち物ではなく、楊玉官の守り石だ。
「……ラピスラズリを楊賢妃さまはお持ちで無いのです」
やけにはっきりと謝女官はそう言った。
「そうなのですか?」
「元々、楊賢妃さまは……あそこまではっきりした群青色がお好きではなく……」
謝女官は困ったような顔でそう言った。ふっと視線が過去を彷徨った。
『青い守り石を持った人間を毛嫌いしている』
尚宮局で聞いた噂はやや本当だったというわけだ。しかしあの女官が持っていたアイオライトは群青色とはほど遠い、少しねじ曲がった噂が伝わっている。
後宮は広い。隅から隅まで情報が正しく伝わることは稀だ。
玉蘭だって、これまで新任玉官を訪ねてきた人に「女性!?」と驚かれたことは、十回じゃ済まない。
「もちろん他のものが守り石として下げるくらいは許しますが、自分が身につけることはございません」
「そう、でしたか……」
玉蘭は相槌を打つ。
お茶を持ってきた白英が不思議そうな顔をする。
「そんなことあるんですね」
まるで噂など知らず、初耳であるかのような物言いだ。
「馬玉官、なんかマズい逸話でもあるんですか、ラピスラズリって」
「いや……」
玉蘭はじっと考え込む。
「楊賢妃さまの守り石は茶色やオレンジ……ですか?」
「……は、はい」
謝女官は驚いた顔をした。昨日の切羽詰まった驚きとは違う、純粋な困惑があった。
「何故……?」
お茶を配り終え、玉蘭の横に立った白英も驚いている。
この我が物顔で場を仕切る宦官に対し、ようやく少し鼻を明かしてやれた気になる。
「謝女官が『ラピスラズリ』ではなく『群青色』とおっしゃったので」
玉蘭はそっと昨日のラピスラズリと、ついでに饅頭を食べた後に、用意しておいた自分の宝石コレクションを取り出す。
「これは色ごとに宝石を分けたものです」
額装され居並ぶ宝石は円形に配置されていた。前世で色相環カラーチャートと呼ばれていたものに似ている。
「この向かい合った別の色は補色とも呼ばれていて……、補色の守り石を持つもの同士は相性が悪いとされています。ずいぶん古い迷信ですが」
補色という言葉はまだこの世界では聞いたことはないが、話を進めやすいように使っておく。
「色的にはむしろお互いを引き立てるんだけどね」
そう付け加えて玉蘭は謝女官を見る。
謝女官は小さくうなずくと、口を開いた。
「楊賢妃さまの守り石は、紅縞瑪瑙でございます」
サードオニキスは赤やオレンジ、茶褐色がメインの色で、白い縞模様が入っているのが特徴だ。
「その中でもより茶色に近いものです」
「ふむ」
「わたくしは元から楊賢妃さまの家に仕えていたので、楊賢妃さまのことは幼いころから存じ上げております。楊賢妃さまは……昔から群青色の守り石を持つ親戚の方と折り合いが悪く、その迷信をすっかり信じていられます」
「なる、ほど」
だいたい繋がってきた。
群青色の守り石を持つ親戚。
恐らく徳秀が教えてくれた楊玉官。
しかし謝女官はやっぱり楊玉官に言及しない。
隠したいのか、話したくないのか。
そしてそれを玉蘭が追求するべきか、しないべきか。
(迷信、か……)
謝女官は主の考えをそう切って捨てた。
それはとげとげしいというよりは、困った子供の話をするような口ぶりだった。
幼い頃から知っている相手なら、賢妃だろうとそうもなるのだろう。
「では、まとめますと、楊賢妃さまの宮殿にラピスラズリなんて持ち歩いている人間が出入りしていたら、誰かは気付く、と考えていいわけですね?」
「はい」
「となると、表に出して持ち歩いていない宦官の持ち物か、楊賢妃さまの不興を買わないよう本物の守り石を隠していた女官や宦官がいたか……。または嫌がらせ……」
考えられる可能性を口にしていく。
玉蘭が『嫌がらせ』と言った瞬間、謝女官がピクリと動いた。玉蘭はそこを追求する。
「……自分の宮殿にラピスラズリが落ちていたら、楊賢妃さまは……えっと、どう思われるでしょうか? というか、実際どういう反応でしたか?」
「……最初は明らかに嫌そうな顔でしたが、持ち主が見つからず、女官と密通している宦官の出入りを疑う流れになり、嫌がっている場合ではない、となりました」
「なるほど」
玉蘭は白英の方を見た。
白英はまばたきだけを返した。ここで何かを聞く気はないようだ。
白英ですら聞かないのなら、楊玉官については玉蘭もここでは保留にするべきなのだろう。
「……では朱瓔宮にお邪魔してもよろしいですか」
玉蘭はいよいよ本丸へ切り込むことにした。



