「僕たちの界隈では、年齢や立場は関係なくお互いのことを名前で呼ぶんです。それがしきたりみたいな感じで」


へぇ、と少し興味深げに身を乗り出した田口先生。


「校長からそれとなく君たちの話を聞いていたんだけど、本当に不思議な世界にいるんだね」


名前は祥吾(しょうご)だよ、そうつけ加えた祥吾先生はどこかワクワクした顔でキッチンに戻っていく。

祥は吉兆を意味し、吾は自分自身のことを意味する。沢山の吉兆がありますように、という意味だろうか。

人の名前の意味を推測する癖は、この世界に来てから自然と身に付いた。


「言祝ぎに満ちたいい名前ですね」


私が言うよりも先に聖仁さんが答える。名前を聞いたあとはそう返すのがお決まりだ。

これまた興味深げな顔をした祥吾先生。


「コトホギ……この場合は(こと)()ぐと書く方の"言祝ぎ"かな? 喜びを言う、祝福する、なんかの意味がある言葉だね。現代語の"祝う"とほぼ同義だけど、君らの場合は神事的意味があるのかな。へぇ、名前を聞いたあとはそう答えるのがしきたりなのか。興味深いな」


私たちが解説せずとも手持ちの知識でスラスラと回答にたどり着いた。さすが、古典の先生なだけある。


「あんたは私たちのこと、胡散臭いとは思わないのか。あんな校長の元で働いてんだろ」


出されたコーヒーをずずっと啜った亀世さん。祥吾先生は苦笑いをうかべて肩を竦めた。