四つ葉のクローバーがどういう仕組みでできるか知っているだろうか。
栞に教えてもらった話だ。
もともと、クローバーつまりシロツメクサというものは突然変異が多い品種だという。
咲いている環境で変化するといえば紫陽花が有名だが、それは土壌のちがいによるもので、色くらいしか変わらない。
クローバーの葉は、遺伝子で3枚になるように決まっている。
ではなぜ四つ葉が生まれるかというと、人に踏まれたり器具に当たってしまったりなど、外的要因で変化してしまう。
いわゆる事故みたいなものだ。
成長する過程で生まれる細胞群が傷付いてしまうと、通常なら3つに分かれるところが、それ以上の数に分裂してしまいそのまま成長してしまう。
踏まれたものすべてが変化するわけではない。一部の個体が変化するという珍しさにあやかって、四つ葉のクローバーを見つけると幸せになるという言い伝えがある。
だから、幸運という花言葉がつけられているそうだ。
四つ葉、はたまたたくさんのクローバーも存在するという。それらはさらに見つけることが難しくなり、金運や社会的な成功など成し遂げることが困難なもののたとえにも使われる。
ロマンティックでしょ。と栞は言っていた。
どうかなって僕は思う。たしかにクローバーといえば四つ葉の格好をしているデザインが多いけど、そこから幸運なんて言葉を結び付けて考えたことがなかった。
花より団子なのかな。と栞は聞いてきた。
別にそうじゃない。花見なんてしたことはないけれど、食べてばかりにはならないと思う。きちんと桜を見てられると思うし、毎年テレビ中継で訪れるネモフィラなんかも美しいだろう。
とくべつ好きな花なんて考えたことがなかった。
もちろんクローバーもきらいではないけれど、四つ葉のイメージが定着していて、そこに特別感が見いだせないだけなのだ。
実際に探し出すなんて思いもしなかった。
・・・
足元気を付けてね。
先に入っていった栞に言われて、僕もあとを追う。
と、その前に少し足を止めた。自転車の脇に置いた荷物からペットボトルを取り出すと、ひとくちより多めにのどに流しこんだ。
思えばカフェでアイスコーヒーを飲んだのが最後で、ここに来るまでなにも飲んでいなかった。
クローバーのひとつひとつはとても小さかった。
まず目にしたのはもちろん普段の三つ葉のもので、近くにもそれらが咲いていた。
もちろん抜いて葉の数を数えるにはいかないので、見ながら探していくしかなかった。
かがんでいた腰を上げて、周りを見渡した。
とても小さい花たちがこんなにも集まっている。視界の先までどこまでも広まっている。
あたり一面草花ばかり。
この中からたったひとつ四つ葉のものを探すのは途方に暮れるだろう。けれども、そんな非情なことを思うことはなかった。
ロマンチストであってもなくても、この光景に感動しない人はいないだろう。
実際に探しはじめると、ほんとうに見つけられるじゃないかという期待があった。いや、どこかにあるだろうという確信めいたものを感じている。
今日はずっと素晴らしい自然というものに心を奪われている。
栞はずっと懸命に探しているようだ。
こちらのことを見向きもせず、瞳を下に向けている。
時折長い髪が揺れては首元から流れていく。最初は手で払いのけているようだったが、次第にそういうこともしなくなった。
ふと、思う。
朝比奈 栞はどんな人物だろう。
僕のひとつ年上だと言っていたから、もし同じ学校なら先輩にあたる人物。それが愛嬌よく接してはフランクに話してくる。少し高めの声色だけを聞いていると、まるで年齢を感じさせない。
不思議な存在だった。
たまたま今日旅行に来ただけの僕に。
たまたまカフェで彼女の姿を見ただけの僕に。
ほんとうに初対面なんだろうか。一切そんな素振りは感じなかった。
ここで、彼女が顔を上げた。
ほら、光希くんも探さないと。目線で注意されて、僕も腰を下ろした。
しかしながら、どこを見ても三つ葉のクローバーしかなかった。あたりを手でかき分けてみても、少し奥に歩いて行っても、見つけたいものは出てこない。
頂点から照らしていた太陽が少し傾いても、風向きが変わったのも。集中している僕たちは全く気付くことができなかった。
かならず見つけることができる。
妙に確信めいたものを胸に秘めているから、自然と焦りは感じなかった。
不思議な感情だった。
この自信はどこから生まれているのか、自分でも分からなかった。
なぜ絶対見つけられると言い切れるんだろう。
探したいのは自分じゃなくて彼女なのに、僕はなぜ付き合っているんだろう。
――自分のためでしょう。
心の中で声が聞こえた気がした。
いろいろ考えたいことがあったのに、僕はそれらのすべてを放棄した。別にいいじゃないか、それで良かったと思う。
栞が見つけたいから。
僕が彼女を手伝いたいからって思ったから。
花言葉のとおり、約束したんだから。
僕たちは楽しい出来事を共有している。その感情が僕を動かしている。
ひとすじの汗が流れる。
手で拭ってみて、少し集中力が切れたなって思った。足を延ばしたいから、軽く立ち上がる。
入り込む影の角度がちがっているから、かなりの時間を探していたなと気づかされる。
少し水を飲もうと考えて、自転車のある場所まで戻ろうと思ったところだった。振り返ったのが功を奏したのだろう。
足元に、四つ葉クローバーがあったのだ。
「栞、あった! あったよ!!」
すると、少し遠くで身をかがめていた栞が即座に体を起こす。
「え、ほんとうなのー!?」
「そう、そうだよ。ここにあるって」
彼女は立ち上がったまま、色んな表情を作り出した。
最初はきょとんとした真顔だったものが、少しずつ口や目が開いていく。
少しずつ頬に朱色が映えていく。
顔全体で喜びの表情を作って、そのまま立ち尽くしていた。
かと思いきや、両手で口を包み込んではこちらを見つめている。太陽の光が差し込んで、瞳がきらめいていた。
こんなに表情が移りゆくなんて見たことがなかった。
こんなに見つめられるなんて、つい恥ずかしくなってしまう。
「そっち行くねー!!」
栞はきょろきょろと足元を見渡しては、スカートを持ち上げて慎重に歩きながらこちらに向かって歩いてくる。
ここまで来た彼女は、自分の前にしゃがみこんで四つ葉の姿を確かめた。そして、いつの間に持っていたのかポケットから手芸用のハサミを取り出すと、ちょこんと茎を切った。
栞は手に取ったクローバーを天に掲げる。
堂々とした表情は誇らしくて凛々しくて、特別なミッションを成し遂げたという気迫さえ感じた。とても美しいものだと思って、しばし見つめてしまった。
それにしても、クローバーを見つけたのは自分なんだけど、あまり詮索はしないであげよう。手柄を自分のものにしたいなんて、そんな無粋な考え方は持っていたくなかった。
ふたりだけの結果なんだ。
ふたりが味わえる幸福なんだ。
きっと彼女もそう思っていてくれると嬉しい。
天に掲げられたクローバーは、太陽光によって照らされている。少し葉が透けて、きれいだった。自然の恵みを、またひとつ知ってしまった。
そんな時にひとつの言葉を思いつく。
――緑のきらめき。
栞がつけているペンダントも、そんな色をしていた。
栞に教えてもらった話だ。
もともと、クローバーつまりシロツメクサというものは突然変異が多い品種だという。
咲いている環境で変化するといえば紫陽花が有名だが、それは土壌のちがいによるもので、色くらいしか変わらない。
クローバーの葉は、遺伝子で3枚になるように決まっている。
ではなぜ四つ葉が生まれるかというと、人に踏まれたり器具に当たってしまったりなど、外的要因で変化してしまう。
いわゆる事故みたいなものだ。
成長する過程で生まれる細胞群が傷付いてしまうと、通常なら3つに分かれるところが、それ以上の数に分裂してしまいそのまま成長してしまう。
踏まれたものすべてが変化するわけではない。一部の個体が変化するという珍しさにあやかって、四つ葉のクローバーを見つけると幸せになるという言い伝えがある。
だから、幸運という花言葉がつけられているそうだ。
四つ葉、はたまたたくさんのクローバーも存在するという。それらはさらに見つけることが難しくなり、金運や社会的な成功など成し遂げることが困難なもののたとえにも使われる。
ロマンティックでしょ。と栞は言っていた。
どうかなって僕は思う。たしかにクローバーといえば四つ葉の格好をしているデザインが多いけど、そこから幸運なんて言葉を結び付けて考えたことがなかった。
花より団子なのかな。と栞は聞いてきた。
別にそうじゃない。花見なんてしたことはないけれど、食べてばかりにはならないと思う。きちんと桜を見てられると思うし、毎年テレビ中継で訪れるネモフィラなんかも美しいだろう。
とくべつ好きな花なんて考えたことがなかった。
もちろんクローバーもきらいではないけれど、四つ葉のイメージが定着していて、そこに特別感が見いだせないだけなのだ。
実際に探し出すなんて思いもしなかった。
・・・
足元気を付けてね。
先に入っていった栞に言われて、僕もあとを追う。
と、その前に少し足を止めた。自転車の脇に置いた荷物からペットボトルを取り出すと、ひとくちより多めにのどに流しこんだ。
思えばカフェでアイスコーヒーを飲んだのが最後で、ここに来るまでなにも飲んでいなかった。
クローバーのひとつひとつはとても小さかった。
まず目にしたのはもちろん普段の三つ葉のもので、近くにもそれらが咲いていた。
もちろん抜いて葉の数を数えるにはいかないので、見ながら探していくしかなかった。
かがんでいた腰を上げて、周りを見渡した。
とても小さい花たちがこんなにも集まっている。視界の先までどこまでも広まっている。
あたり一面草花ばかり。
この中からたったひとつ四つ葉のものを探すのは途方に暮れるだろう。けれども、そんな非情なことを思うことはなかった。
ロマンチストであってもなくても、この光景に感動しない人はいないだろう。
実際に探しはじめると、ほんとうに見つけられるじゃないかという期待があった。いや、どこかにあるだろうという確信めいたものを感じている。
今日はずっと素晴らしい自然というものに心を奪われている。
栞はずっと懸命に探しているようだ。
こちらのことを見向きもせず、瞳を下に向けている。
時折長い髪が揺れては首元から流れていく。最初は手で払いのけているようだったが、次第にそういうこともしなくなった。
ふと、思う。
朝比奈 栞はどんな人物だろう。
僕のひとつ年上だと言っていたから、もし同じ学校なら先輩にあたる人物。それが愛嬌よく接してはフランクに話してくる。少し高めの声色だけを聞いていると、まるで年齢を感じさせない。
不思議な存在だった。
たまたま今日旅行に来ただけの僕に。
たまたまカフェで彼女の姿を見ただけの僕に。
ほんとうに初対面なんだろうか。一切そんな素振りは感じなかった。
ここで、彼女が顔を上げた。
ほら、光希くんも探さないと。目線で注意されて、僕も腰を下ろした。
しかしながら、どこを見ても三つ葉のクローバーしかなかった。あたりを手でかき分けてみても、少し奥に歩いて行っても、見つけたいものは出てこない。
頂点から照らしていた太陽が少し傾いても、風向きが変わったのも。集中している僕たちは全く気付くことができなかった。
かならず見つけることができる。
妙に確信めいたものを胸に秘めているから、自然と焦りは感じなかった。
不思議な感情だった。
この自信はどこから生まれているのか、自分でも分からなかった。
なぜ絶対見つけられると言い切れるんだろう。
探したいのは自分じゃなくて彼女なのに、僕はなぜ付き合っているんだろう。
――自分のためでしょう。
心の中で声が聞こえた気がした。
いろいろ考えたいことがあったのに、僕はそれらのすべてを放棄した。別にいいじゃないか、それで良かったと思う。
栞が見つけたいから。
僕が彼女を手伝いたいからって思ったから。
花言葉のとおり、約束したんだから。
僕たちは楽しい出来事を共有している。その感情が僕を動かしている。
ひとすじの汗が流れる。
手で拭ってみて、少し集中力が切れたなって思った。足を延ばしたいから、軽く立ち上がる。
入り込む影の角度がちがっているから、かなりの時間を探していたなと気づかされる。
少し水を飲もうと考えて、自転車のある場所まで戻ろうと思ったところだった。振り返ったのが功を奏したのだろう。
足元に、四つ葉クローバーがあったのだ。
「栞、あった! あったよ!!」
すると、少し遠くで身をかがめていた栞が即座に体を起こす。
「え、ほんとうなのー!?」
「そう、そうだよ。ここにあるって」
彼女は立ち上がったまま、色んな表情を作り出した。
最初はきょとんとした真顔だったものが、少しずつ口や目が開いていく。
少しずつ頬に朱色が映えていく。
顔全体で喜びの表情を作って、そのまま立ち尽くしていた。
かと思いきや、両手で口を包み込んではこちらを見つめている。太陽の光が差し込んで、瞳がきらめいていた。
こんなに表情が移りゆくなんて見たことがなかった。
こんなに見つめられるなんて、つい恥ずかしくなってしまう。
「そっち行くねー!!」
栞はきょろきょろと足元を見渡しては、スカートを持ち上げて慎重に歩きながらこちらに向かって歩いてくる。
ここまで来た彼女は、自分の前にしゃがみこんで四つ葉の姿を確かめた。そして、いつの間に持っていたのかポケットから手芸用のハサミを取り出すと、ちょこんと茎を切った。
栞は手に取ったクローバーを天に掲げる。
堂々とした表情は誇らしくて凛々しくて、特別なミッションを成し遂げたという気迫さえ感じた。とても美しいものだと思って、しばし見つめてしまった。
それにしても、クローバーを見つけたのは自分なんだけど、あまり詮索はしないであげよう。手柄を自分のものにしたいなんて、そんな無粋な考え方は持っていたくなかった。
ふたりだけの結果なんだ。
ふたりが味わえる幸福なんだ。
きっと彼女もそう思っていてくれると嬉しい。
天に掲げられたクローバーは、太陽光によって照らされている。少し葉が透けて、きれいだった。自然の恵みを、またひとつ知ってしまった。
そんな時にひとつの言葉を思いつく。
――緑のきらめき。
栞がつけているペンダントも、そんな色をしていた。


