「今日は結構飲みました?」
「ん? そうかもな。明日、金曜日だし」
「金曜に飲みすぎると、土曜を半分くらい潰れません?」
「いや」
「あんまり後に残らないタイプですか?」
「あー……どちらかというと、一日、だ」
「え?」
「明日、これ、絶対起きれない感じだ」
意外だった、と言うのには少し意外性が足りないかもしれない。
ぐしゃぐしゃと髪を搔き乱した芹沢は大きなため息を吐いた。
「ほんと、学生みたいなことしてんな、俺たち」
ははっとやや乾いた笑いをしながら、ゆらゆらと歩く芹沢の後ろ姿はいつも武装している仕事モードとは違うように見えた。肩の力が抜けて、ふにゃふにゃしている。きりっとした顔は幼くなり、可愛さが顔を除いた。
都内のおかげで一駅先の距離はそう遠くない。一駅手前で電車を降りてウォーキングをするというのは案外お手軽な運動なのかもしれないと、麻衣はつま先を見ながら歩いた。
街はまだ眠ることはしないようで、店の明かりが暗くなっている方が少ない。行きかう人々も麻衣たちのように終電を逃しているのか、もともとオールで過ごすつもりだったのか、誰も彼もが赤らんだ顔をしていた。
駅沿いを歩きながら、ネットカフェ、漫喫をいくつか訪ねてみたけど、今日はどういうわけか空いていない。
「意外とないですね」
「なー」
会話は先ほどからスローペースもいいところ。さっきから芹沢は会話する思考能力まで落ちている。フラフラとした足取りを誘導するように、麻衣はジャケットの裾を握って歩く。
時折吹いてくるビル風が火照った体を冷やしてきた。このまま歩いていても、風邪をひかれても困る。幸いにして、麻衣の家まであと一駅分と二十分くらい。歩けるだろうか。
「芹沢さん、家に来ますか? どこも空いていないですし、探し回るよりは良いと思うんですけど」
麻衣の提案に何か反応したかのように、芹沢が手を振りほどいた。さっきまでの力の無さから一転、想定していなかった力強さに麻衣はよろめいた。ヒールでは踏ん張り切れなく、結局芹沢に肩を支えられた。
「……ごめん」
聞いたことが無い芹沢の弱い声に、麻衣が上目遣いで相手の顔を見た。そっぽを向いているからか、表情を知ることができない。眉根を寄せて麻衣は訊いた。
「……何がですか」
「いや、後輩に迷惑を掛けちゃいけないし、ていうか、俺、今めちゃくちゃカッコ悪いし」
「急な早口。どうしたんですか。酔いでも回りました?」
「だから、俺が気にしているのはそう言うのじゃなくてだな」
何か言い訳めいた言葉を並べたてる芹沢は、会社で見るような理路整然としたできる先輩ではなくなっていた。
一歩離れて態勢を立て直した麻衣は、芹沢の正面に立った。麻衣を支える必要がなくなった芹沢は何かを隠したいのか右手で口元を覆っていた。目には困惑と驚きと恐れが入り混じったまま麻衣の顔色を伺っていた。
こんなに動揺している姿は見たことない。
これぞ、役得なんだろうか。同じ路線の。
でも、きっと知られたくない姿なんだろうな。
頭の片隅に計算めいたものが弾かれたが、気づかなかった振りをする。そのくらい大人になっているから、大人は大人らしく空気を読むべきだ。
「何を勘違いしてるんですか? 芹沢さんに風邪をひかれて、寝込まれて、月曜日出社できないとかになったら、責められるの私じゃないですか」
隠さなきゃいけない。
酔っている時に本音が出る、というのは誰に聞いた話だったか。それともネットの情報だっただろうか。
それでも今は知られちゃいけない。
からかうような口調になった麻衣の言葉を聞いて、芹沢は目を丸くして麻衣をまっすぐ見ていた。モゴモゴと何かを言っているようだけど、残念ながら口を自分の手で塞いでいるから、はっきりとした言葉が聞こえてこない。
「歩いて一時間もかかんないですし、歩き回るよりは良いと思います。どうです? 良い提案だと思いませんか?」
「……そういうのは仕事で取っておけよ」
「ですよね。プレゼンスキルの向上が今後の課題ですね」
「……とりあえず、あそこの公園にでも行くか。少し休みたい」
駅の大通りから一本細道に入ったところに、外灯が一つだけ突きっぱなしの公園があった。反対する理由もなく、麻衣はまた芹沢のジャケットの裾を掴んで歩き出した。さっきまでの口から言葉がこぼれるようなことは無く、黙ったまま歩く芹沢の顔色を気にしながら、芹沢を公園のベンチに座らせた。
星が瞬く空を見るように、背もたれに体を預けた芹沢を残し、麻衣は近くの自販機で水が入ったペットボトルを二本買った。ひんやりとした冷たさは、目を覚ますほどではないが、お酒で火照った体には気持ちよかった。
ペットボトルを差し出しても芹沢が受け取らないので、無理やり手に持たせてから、麻衣は少し間を開けて隣に座った。冷たい空気に随分冷やされたようで、服越しにも冷たさが伝わってきた。
酔いが醒めるには時間がかかるだろうが、少し休憩すればまた歩き出せるだろう。
でも、どこに向かって歩く?
麻衣の家に無理やり連れて行ったところで、玄関でひと悶着ある可能性が高い。それならば、このまま線路沿いに歩いて、この冷たい夜を明かせそうな場所を探すしかないかもしれない。どのくらい歩くかは皆目見当がつかないけど、今はそれ以外ない。
「芹沢さーん、少し回復したら、歩きますよー」
「どこに?」
「ん? そうかもな。明日、金曜日だし」
「金曜に飲みすぎると、土曜を半分くらい潰れません?」
「いや」
「あんまり後に残らないタイプですか?」
「あー……どちらかというと、一日、だ」
「え?」
「明日、これ、絶対起きれない感じだ」
意外だった、と言うのには少し意外性が足りないかもしれない。
ぐしゃぐしゃと髪を搔き乱した芹沢は大きなため息を吐いた。
「ほんと、学生みたいなことしてんな、俺たち」
ははっとやや乾いた笑いをしながら、ゆらゆらと歩く芹沢の後ろ姿はいつも武装している仕事モードとは違うように見えた。肩の力が抜けて、ふにゃふにゃしている。きりっとした顔は幼くなり、可愛さが顔を除いた。
都内のおかげで一駅先の距離はそう遠くない。一駅手前で電車を降りてウォーキングをするというのは案外お手軽な運動なのかもしれないと、麻衣はつま先を見ながら歩いた。
街はまだ眠ることはしないようで、店の明かりが暗くなっている方が少ない。行きかう人々も麻衣たちのように終電を逃しているのか、もともとオールで過ごすつもりだったのか、誰も彼もが赤らんだ顔をしていた。
駅沿いを歩きながら、ネットカフェ、漫喫をいくつか訪ねてみたけど、今日はどういうわけか空いていない。
「意外とないですね」
「なー」
会話は先ほどからスローペースもいいところ。さっきから芹沢は会話する思考能力まで落ちている。フラフラとした足取りを誘導するように、麻衣はジャケットの裾を握って歩く。
時折吹いてくるビル風が火照った体を冷やしてきた。このまま歩いていても、風邪をひかれても困る。幸いにして、麻衣の家まであと一駅分と二十分くらい。歩けるだろうか。
「芹沢さん、家に来ますか? どこも空いていないですし、探し回るよりは良いと思うんですけど」
麻衣の提案に何か反応したかのように、芹沢が手を振りほどいた。さっきまでの力の無さから一転、想定していなかった力強さに麻衣はよろめいた。ヒールでは踏ん張り切れなく、結局芹沢に肩を支えられた。
「……ごめん」
聞いたことが無い芹沢の弱い声に、麻衣が上目遣いで相手の顔を見た。そっぽを向いているからか、表情を知ることができない。眉根を寄せて麻衣は訊いた。
「……何がですか」
「いや、後輩に迷惑を掛けちゃいけないし、ていうか、俺、今めちゃくちゃカッコ悪いし」
「急な早口。どうしたんですか。酔いでも回りました?」
「だから、俺が気にしているのはそう言うのじゃなくてだな」
何か言い訳めいた言葉を並べたてる芹沢は、会社で見るような理路整然としたできる先輩ではなくなっていた。
一歩離れて態勢を立て直した麻衣は、芹沢の正面に立った。麻衣を支える必要がなくなった芹沢は何かを隠したいのか右手で口元を覆っていた。目には困惑と驚きと恐れが入り混じったまま麻衣の顔色を伺っていた。
こんなに動揺している姿は見たことない。
これぞ、役得なんだろうか。同じ路線の。
でも、きっと知られたくない姿なんだろうな。
頭の片隅に計算めいたものが弾かれたが、気づかなかった振りをする。そのくらい大人になっているから、大人は大人らしく空気を読むべきだ。
「何を勘違いしてるんですか? 芹沢さんに風邪をひかれて、寝込まれて、月曜日出社できないとかになったら、責められるの私じゃないですか」
隠さなきゃいけない。
酔っている時に本音が出る、というのは誰に聞いた話だったか。それともネットの情報だっただろうか。
それでも今は知られちゃいけない。
からかうような口調になった麻衣の言葉を聞いて、芹沢は目を丸くして麻衣をまっすぐ見ていた。モゴモゴと何かを言っているようだけど、残念ながら口を自分の手で塞いでいるから、はっきりとした言葉が聞こえてこない。
「歩いて一時間もかかんないですし、歩き回るよりは良いと思います。どうです? 良い提案だと思いませんか?」
「……そういうのは仕事で取っておけよ」
「ですよね。プレゼンスキルの向上が今後の課題ですね」
「……とりあえず、あそこの公園にでも行くか。少し休みたい」
駅の大通りから一本細道に入ったところに、外灯が一つだけ突きっぱなしの公園があった。反対する理由もなく、麻衣はまた芹沢のジャケットの裾を掴んで歩き出した。さっきまでの口から言葉がこぼれるようなことは無く、黙ったまま歩く芹沢の顔色を気にしながら、芹沢を公園のベンチに座らせた。
星が瞬く空を見るように、背もたれに体を預けた芹沢を残し、麻衣は近くの自販機で水が入ったペットボトルを二本買った。ひんやりとした冷たさは、目を覚ますほどではないが、お酒で火照った体には気持ちよかった。
ペットボトルを差し出しても芹沢が受け取らないので、無理やり手に持たせてから、麻衣は少し間を開けて隣に座った。冷たい空気に随分冷やされたようで、服越しにも冷たさが伝わってきた。
酔いが醒めるには時間がかかるだろうが、少し休憩すればまた歩き出せるだろう。
でも、どこに向かって歩く?
麻衣の家に無理やり連れて行ったところで、玄関でひと悶着ある可能性が高い。それならば、このまま線路沿いに歩いて、この冷たい夜を明かせそうな場所を探すしかないかもしれない。どのくらい歩くかは皆目見当がつかないけど、今はそれ以外ない。
「芹沢さーん、少し回復したら、歩きますよー」
「どこに?」


