最後の一キロで歩くスピードを遅くしたら不審に思われるだろうか。疲れたからっていう理由だったら嘘だとバレないだろうか。
 そんなことを考えているのに歩くスピードをゆっくりにする勇気すらなくて、勝手に足は動いていく。心はついていかなくても、体はこのウォーキングを勝手に終わらせようとしている。
 初めは冗談めかして言えた言葉もきっと今は言えないかもしれない。

「にしても、四キロって歩けるもんでしょ?」
「うん、びっくりした」
「ついに長谷川さんもウォーキング仲間になっちゃうかー」

 分かっている。ここはノリで「なるはずないでしょ!」ってツッコむ所。
 だって歩き始める前の私だったら、きっとそう返していた。

「なる……」
「え?」
「いや、ウォーキングって案外楽しいなーって思って! 美術部の私にウォーキングの楽しさを教えてくれるなんて、笠木くんはプレゼン上手だよね!」

 自分の誤魔化しの言葉が下手なことも分かっている。でも、良いの。もし私の誤魔化しが下手でこの気持ちがバレたって良い。だってあと一キロもしないうちにこのウォーキングは終わってしまう。

「案外楽しかったから、私も笠木くんの家まで歩いても良いかも!」

 意味の分からない口走り。深い意味はないのに、意識しているから言ってしまった後に深い意味を考えてしまう。

「長谷川さんはその後一人で自分の家に戻るってこと? 危ないから駄目ですー」

 軽く冗談のようにそう返してくれる笠木くんには、「笠木くんの家に寄る」という選択肢が一ミリもないことに胸が苦しくなった。こんなに人に惹かれるのって早いものだったっけ?
 深夜の雰囲気に当てられたからとか、お酒が残っているからとかじゃない。もう普通に笠木くんに惹かれていることは誤魔化しようがなかった。

 自分の家が見える。視界に入る。

 もう終わりだと勝手に頭が伝えてくる。嫌だ、と思っても立ち止まることも出来ない。家に着く直前、僅か十メートル前、笠木くんの足が止まった。

「長谷川さん、大丈夫? なんか三キロの後から元気なくない?」
「全然! ちょっと疲れたのかも! でも最高に楽しかった!」

 もう子供じゃない。これくらいの誤魔化しは身体に染み付いていて、自然に出て来てしまう。もうこのウォーキングは終わるのに。

「長谷川さん、まるでもうウォーキングが終わったみたいに言うじゃん」
「え、だって……」

 もう家はしっかり見えているし、着いたと言っても何もおかしくない距離だ。

「あと十メートル残っているし、何よりハイタッチが最後に残ってるでしょ」

 笠木くんがそう言いながら私の前に立った。電灯の逆光で笠木くんの表情は上手く見えない。

「長谷川さんさ、最後の十メートルはケンケンで行かない?」
「ケンケン?」
「そう片足歩き。これくらいの距離なら行けるでしょ」

 「なんで?」という元気もなくて、何よりこの時間が長くなるなら何でも良かった。
 二人で並びなおして、片足立ちをする。

「じゃあ、笠木くん行くよ。よーい……」

 



「長谷川さんさ、俺も五キロはタクシー使うよ。それに深夜だし」





 「スタート」は言えなくて、私は片足立ちのまま笠木くんの方を振り向いた。

「それに気になってる子だから駅まで送ってきたの。サークルのメンバーに二人の家は近いから送ってあげてって言われてラッキーって思った。まぁそのまま二人とも寝ちゃったのは予想外だったけど」

 ずっと片足立ちのまま、笠木くんの顔を見てしまう。自分ってこんなにバランス感覚良かっただろうか、とか意味の分からない疑問が頭を巡った。まさに動揺しているんだと思う。


「さ、気を取り直して……スタート!」


 動揺した頭にスタートと言われ、何より笠木くんが片足立ちで進んでいくので、私はつられて追ってしまう。先に片足立ちで私の家の前についていた笠木くんは私が家の前に着いた瞬間に両手を掲げた。

「長谷川さん、ハイタッチ」

 動転したまま手を上げれば、パンッとハイタッチの音が深夜の空気に響き渡る。

「長谷川さん、また俺とウォーキングしませんか? 今度は深夜以外でも」

 返答はもう無意識に飛び出してしまっていた。

「する……!」

 涙声でそう返した私に笠木くんは笑っている。きっと私が笠木くんとのウォーキング時間が終わってほしくないって思っていたのもバレていたんだと思う。だってもう気持ちは漏れ出してしまっていた。

「長谷川さん、深夜ウォーキングも悪くないでしょ?」

 悪いはずない。笠木くんと歩けるなら、四キロも五キロも短い。深夜のウォーキングも悪くないし、一キロごとのご褒美も悪くない。
 そっと頷いた私を見て笑った笠木くんの表情は、今度は逆光にならなくて嬉しそうな笑顔がよく見えた。



fin.