歩き始めて、五分。私は既に四キロという長さに絶望していた。

「一生、家に着く気がしない……」
「大袈裟だなぁ。大分進んでいるって。まぁ、まだ五百メートルも歩いてないけど」
「なんで今フォローするフリして現実を突きつけたの!?」
「ごめんごめん、もうすぐ二キロだよ」
「今更見え透いた嘘をつかないで!」

 お酒も程よく抜けているような、抜けていないような。深夜テンションのような、普段のままのような。そんなよく分からないテンションで私は笠木くんと話している。夜風は冷たいのにお酒でほてった頬にはちょうど良くて、むしろもっと風が吹いてほしいと思ってしまう。もう風で髪型が崩れるとか気にする段階でもなかった。
 五分歩いただけで既にタクシーを呼ぶたくなっている私は、笠木くんにある提案を持ちかけた。

「よし、笠木くん。決めた。アプリで距離を測りながら歩いて、一キロごとにご褒美作ろう」
「ご褒美?」
「そう! 自販機でジュースを買ったり、ちょっとコンビニでアイス食べたり!」
「歩いた分のカロリー全部飛びそうだね」
「なんでそういうこと言うの!?」

 私のツッコミに笠木くんは楽しそうに笑いながら、「でもいいね、ご褒美」と乗り気になって来ている。笠木くんの横を歩いているのだから、当たり前に隣を見れば笠木くんの横顔が見える。それでも居酒屋でも笠木くんの向かいに座っていたので、笠木くんの横顔はレアに感じてしまう。

「じゃあ長谷川さんの提案通り一キロはジュース、二キロはアイスで良いとして……三キロはどうする?」
「うーん、笠木くんが決めて良いよ」
「じゃあ三キロがスクワットで、四キロが腕立て伏せね」
「死ぬよ!? 簡単に私が死ぬよ!?」
「ふはっ、ごめん。長谷川さんと話すのが楽しくて」

 笠木くんの言葉の意味は「私をイジるのが楽しくて」って意味だって分かっているのに、人たらしな笠木くんは「私と話すのが楽しくて」と言うのだ。そういう所は本当にずるいと思う。

「じゃあ三キロが(あめ)で、四キロがハイタッチにしよ。四キロってことはもう長谷川さんの家に着いてるしゴールなんだから」
「でも、笠木くんはそこからもう一キロあるんでしょ?」
「そう。だから俺だけゴール手前のハイタッチ。それはそれで元気出そう」
「じゃあ私は残りの一キロを歩いている笠木くんに思いを()せながら、先にお風呂入っとくね!」

 わざと意地悪な冗談を言ってツッコミ待ちだったのに、笠木くんは「お風呂で足をマッサージしたら歩いた疲れが取れると思うよ」とアドバイスしてくれる。そういう所も本当にずるいと思う。
 笠木くんがアプリを起動して距離を測り始める。ついでに今まで歩いた距離も地図で確認してくれているようだった。

「お、今度は本当に五百メートルは歩いてる。もう四キロの八分の一」
「え! もう!?」
「そ。案外、喋りながら歩くと早いだろ?」

 それはきっと笠木くんと話しているからだろうけれど、もう八分の一と言われるとどこか寂しく感じてしまう。案外四キロなんてすぐに終わるかもしれない。

「さて、長谷川さん。あと五百メートルで一キロだけど、自販機で何買う? 一キロぴったりに自販機ある訳ないし、そろそろ決めとこう」
「スポーツドリンク! 運動部っぽいの飲みたい!」
「じゃあ、俺も一緒にするわ」

 それからの五百メートルは自販機を探しながら進んだ。「あれ、自販機じゃない!?」「違くない?」「見間違えたっぽい」とかそんなくだらない会話をしながら進んだ。一キロ直前に本当に自販機があって、私たちはそこで一旦立ち止まった。
 そしてスポーツドリンクを買おうと財布を取り出した私より先に笠木くんがお金を入れてしまう。

「あー、先越されたー!」
「違うよ、これは長谷川さんの分」
「え、奢ってくれるの!? 金欠なんじゃないの!?」
「ジュース一本奢るお金くらいはありますー」

 あー、どうしよう。なんか今すごい楽しい。学生時代のようなキラキラとした青春のように感じてしまう。
 自販機で何を買うか話し合って、くだらない会話をして。大人になるにつれ段々そんな会話が減っていたのかもしれない。だからきっと楽しくて堪らないんだと思う。
 キャップを開けて、キンキンに冷えたスポーツドリンクを喉に通す。乾いていた喉が一気に潤されて、今までで一番美味しいスポーツドリンクのように感じる。

「運動後の飲み物ってこんなに美味しいんだね!」
「でしょ? 運動後のスポーツドリンクは部活時代から最高だった」

 笠木くんの部活時代の話も聞いてみたいな、なんて思ってしまう。それはきっと私がもっと笠木くんを知りたくなっているからだろう。

「さ、笠木くん。二キロ地点を目指そ!」

 まだ始まったばかりの深夜ウォーキングで、私は既に終わらないでほしいなんて考え始めていた。