七月二十日、土曜日の午後四時。駿は新宿御苑前のコピーショップで大量のチラシを抱え、店外に飛び出した。紙面には〈七月二十七日(土)正午 ナガレボシ譲渡会〉〈会場:代々木動物メディカルセンター〉と赤字。その下で灰白の猫がウインクする写真は和奏が撮影したものだ。
 秀斗は歩道脇に組み立てた簡易スタンドへチラシを補充し、通行人へ声を掛ける。
「保護猫の里親募集です。医療費は全額こちらで負担済み、当日は獣医が健康説明をします」
 しかし、風が強くなり、チラシの半分が舞い上がった。樹里が慌てて追い掛けるが、一枚だけ信号機に引っ掛かる。
 和奏がひと言。
「空飛ぶマーケティング……案外目立つかも」
 駿が笑い、「では目立つ方法でいこう」と背広を脱いでチラシスーツを作り始める。背中一面にチラシを安全ピンで固定し、胸には〈話しかけると猫トークできます〉の文字。
 午後六時。新宿駅東口アルタ前は買い物帰りの人々で溢れている。駿が“歩くチラシ”として颯爽と歩くと、女子大生二人組が足を止めた。
「猫トークって何を話せるんですか?」
「脱臼治療の方法から好きな猫漫画まで、なんでもどうぞ」
 五分後、二人が譲渡会の参加予約フォームに入力し、樹里が「予約番号21、22」と書き込む。
 午後八時。カラオケ店「歌劇場・新宿南口本館」のフリーラウンジには、チラシ配布を終えた四人の姿。テーブル上には残ったチラシ十八枚。駿が腕組みし、「明日は池袋と渋谷で配る」と宣言。
 秀斗は疲労を隠さず、椅子にもたれ込む。
「脚が棒だ。でも二十一件の予約は上出来」
 和奏が湯気の立つカップスープを差し出し、「塩分を補給して」と労う。樹里はタブレットで予約管理表を更新し、「収容予定数は三十匹だから、あと九枠」と呟いた。
 午後十時三十分。会計を済ませようとしたそのとき、カラオケ店員の青年が駿のチラシスーツに目を留めた。
「動物病院で譲渡会やるんですね。姉が猫好きで……参加してもいいですか?」
「もちろん。名前と連絡先をこちらに」
 青年はタブレットに入力し、樹里が「予約番号23」と追加。駿はスーツを脱ぎ、シワを伸ばして笑った。
 ――獲得予約、残り八枠。
 午後十一時。甲州街道歩道橋で打ち合わせを終えると、和奏がふと足を止める。
「終電まで余裕がある日って、逆に物足りないね」
 駿が頷き、「では小田急線の終電を見送ってから帰ろう」と提案。秀斗は驚いたが、樹里が「夜行性データの追加チャンス」と目を輝かせた。
◆七月二十七日(土) 譲渡会当日・午前十時
 代々木動物メディカルセンターの待合ロビーは白い風船と手書きの案内札で彩られ、和奏の撮った猫写真が壁一面に飾られている。駿は背広姿で受付に立ち、秀斗は案内パネルを持って入口へ。樹里は会計デスクにノートパソコンを据え、予約表を開く。
 星野獣医がナガレボシを抱き、治療経過を説明するリハーサル。和奏は参加者動線を歩きながらチェックし、混雑が起きないか頭の中でシミュレーションを重ねる。
 午前十時四十五分。最初の参加者が到着。親子連れの母親が受付票を手渡す。
「うちの子、猫アレルギーが心配で……」
「医師が常駐しておりますので、個別にご相談を承ります」駿が丁寧に応じた。
◆正午 譲渡会スタート
 予約者の列は外通路まで伸び、三十分で会場は熱気に包まれる。秀斗は緊張を抱えつつも笑顔で案内し、和奏はカメラ片手に記録。駿は星野と並び、健康説明を補足する。
 午後零時三十分。小学生の少女がナガレボシのケージを覗き込み、目を輝かせる。
「お母さん、この子がいい」
 母親は星野の説明に頷き、必要書類にサイン。
「名前はもう決めてるんだ。“ヨゾラ”って呼びたい」
 少女の声にナガレボシが「ニャッ」と答え、会場の空気が和む。樹里が予約表に赤丸を付け、「★譲渡成立」と書き込んだ。
 午後一時四十五分。譲渡会はピークを迎え、受付脇に設けた休憩コーナーでチラシスーツを着た駿が子どもたちと“猫クイズ大会”。
「猫の鼻紋は人間の指紋と同じく個体識別に使えます。○か×か?」
「○!」
 正解するとチラシ型ステッカーをプレゼントし、会場は笑いに包まれる。和奏はその様子を撮影し、動物病院公式SNSへ即投稿。十分ちょっとでで「いいね」が二百を超えた。
 午後三時。用意した三十匹のうち二十二匹が譲渡決定。残る八匹のケージ前で、秀斗が緊張気味の青年に話しかけている。
「新生活に猫は癒やしになりますよ。お部屋の広さは?」
「ワンルームですが、キャットタワーを置く予定です」
 駿が書面を確認後、星野が健康状態を説明し、樹里が譲渡条件を丁寧に案内。青年はサインし、二十二匹目の譲渡が決まった。
 午後四時十分。譲渡会終了時刻。残った八匹は病院が預かり継続となったが、星野は満面の笑み。
「今日は大成功ですね」
「まだ目標は達成していません。夜に残り八枠のプロモーションをします」
 駿の言葉に三人が同時に「了解!」。
◆午後六時 歌舞伎町“ラーメン栄光”のカウンター
 背脂たっぷりの一杯を平らげながら、樹里がロードマップを広げる。中央の★が塗り潰され、「ナガレボシ→ヨゾラ」と矢印が追加された。秀斗はどんぶりを抱え、涙目で笑う。
「猫の未来に乾杯。残り八匹もきっと大丈夫だ」
 和奏は替え玉を注文し、「夜が私たちの出番」と箸を握る。