七月十九日、金曜日。午後八時五十八分、新宿駅南口の甲州街道高架下に立つ駿の手には、印刷したA3サイズの「夜の恩返しロードマップ」第一版。そこには〈緊急動物医療支援〉〈深夜清掃ボランティア〉〈終夜避難案内〉など十マスが描かれ、中央に★マークの〈ナガレボシ里親決定〉が光っている。
和奏が腕時計を指差す。
「二十一時まで、あと二分。遅刻ゼロで集まろう」
その瞬間、秀斗が小走りで現れ、息を切らしながら紙袋を掲げた。
「差し入れにエナジーバー三種買ってきた。チョコ味とプロテイン味と……なんか緑色味」
「それ抹茶味だろう」駿が笑い、袋を受け取る。
樹里は駅構内の書店から飛び出し、分厚い見取り図を広げる。
「深夜営業施設リスト最新版。公共トイレの所在地も追記済み」
四人が揃った瞬間、駿はロードマップを掲げた。
「第一目標:ナガレボシの譲渡会準備。第二目標:深夜迷子サポートのパイロット運用。タイムリミットは始発まで。さあ、行動開始!」
◆二十一時十五分 代々木動物メディカルセンター
受付前に置かれた白いケージには、包帯の外れたナガレボシが丸まり、来客の子どもに愛想を振りまいている。星野獣医は微笑みながら駿たちを迎えた。
「譲渡会は来週土曜の正午から。今日は会場設営の動線を確認します」
和奏はメジャーで廊下幅を測り、秀斗は折り畳み式案内ボードを開いて角度を調整。樹里はタブレットで見取り図を修正し、星野の要望を反映していく。
◆二十二時三十分 動物病院裏口
搬入口に置かれた段ボールから猫砂二袋を運び出そうとしたとき、隣のビルの陰から少年の声がした。
「すみません! 道、迷いました……」
中学生らしい彼はスマホを握りしめ、目に涙。終電で叔母の家へ向かう途中、乗り換えを間違えたらしい。終電はすでに発車済み。
駿は即座に地図アプリを開き、最短ルートと深夜バスの時刻表を提示。和奏は叔母との電話を仲介し、秀斗はバス停まで同行を申し出る。少年は涙を拭き、頭を下げた。
◆二十三時十五分 新宿西口ロータリー
深夜バス停留所で少年を見送り、秀斗が戻ってくると、樹里がロードマップに新しいマスを描いた。〈終夜迷子サポート①:達成〉の文字。
「これで“夜の恩返し”一個クリアね」
駿は安堵の息をつきながらも腕時計を叩く。
「次、二十三時三十分から西新宿清掃ボランティア開始。目的地まで徒歩九分。急ごう」
◆二十三時三十分 西新宿高層ビル街連絡デッキ
夜景が透けるガラス柵の下、区が委託した深夜清掃員がゴミ袋を抱えている。駿たちは事前申請していたボランティア腕章を受け取り、長柄トングと蛍光ベストを装備。
和奏が手際よくタスクを分担する。
「駿は吸い殻ライン、秀斗は植え込みライン、樹里は瓶・缶分別ポイント。私は記録担当」
四人が黙々とゴミを拾う間、高層ビルの窓に映る自分たちの姿が妙に誇らしかった。
◆午前零時二十分 都庁前広場
ゴミ袋三つを清掃員に引き渡し、腕章を返却。清掃員の壮年男性が深く頭を下げる。
「若いのに助かったよ。夜は人手が足りなくてね」
駿は「こちらこそ経験になりました」と握手。樹里はロードマップに〈清掃ボランティア:達成〉と太字で記入し、空きマスは残り八つ。
◆午前零時三十五分 歌舞伎町一番街入口
ネオンの洪水を抜けると、ビルの壁に貼られた大きなポスターが目に留まる。〈深夜献血キャラバンカー 本日二十四時〜四時 新宿区役所前〉。
秀斗が小声で問い掛ける。
「夜中に献血って需要あるのかな」
「夜勤明けの医療スタッフに回す血液が不足してるらしい」和奏が即答。
駿は腕をまくり、献血カードを取り出した。
「恩返し第二弾、決定だ」
◆午前零時四十五分 新宿区役所前特設献血車
内部は白いライトで明るく、ラジオから流れる深夜トークが静かに響く。看護師が駿の血圧を測りながら笑う。
「この時間帯、若い方が来てくれるのは珍しいですよ」
「夜しか空いてない人もいるんで」駿が肩をすくめる。
献血後、紙パックジュースと菓子パンを受け取り、樹里が「補給食ゲット」とロードマップにメモ。
◆午前一時三十分 花園神社境内
屋台の閉じた通りを抜け、本殿前で手を合わせる。蝉の抜け殻が石段に落ち、夜風が木々を揺らす。
「無事ナガレボシの里親が決まりますように」秀斗が囁く。
「終電逃した夜が、誰かを助ける夜になりますように」和奏の願いが重なる。
駿は最後に柏手を打ち、深く一礼した。
◆午前一時五十五分 靖国通り沿いのカフェ「オールナイトBean」
七十年代ソウルが流れる店内で、四人はロードマップをテーブルに広げた。
「ここまでで三マス達成。残り七つは来週以降に回そう」駿がまとめると、秀斗がエナジーバーを机に並べた。
「今夜はラストスパートで“深夜グルメアンケート”を終わらせよう。ビンゴの拡張版だし」
樹里は即座にアンケートフォームを表示し、店員に許可を取ってカウンター席の客へ声を掛ける。
◆午前二時三十五分 店外の歩道
アンケート回答十六件を確保し、樹里がサーバーにアップ。和奏が袋に余ったエナジーバーを詰め込み、駿がロードマップに「深夜グルメデータ:収集開始」と書き込む。空はまだ真っ黒だが、街灯が僅かに明度を落としている。
「次は?」
秀斗の問いに、駿は腕時計を見つめた。
「残り二時間弱。疲労も溜まってきたし、締めに行こう」
◆午前二時五十五分 都庁北展望室
エレベーターで四十五階へ上がると、ガラス壁の外に無数の光が瞬いていた。先週と同じ東京の夜景だが、心境が違うせいか、より温かく感じる。
和奏がバッグから三脚を取り出し、夜景を背景に四人のセルフタイマー撮影を試みる。しかしカメラの角度が決まらず、何度もやり直すうちに自然と笑いがこみ上げる。
シャッター音。駿の背後で街の灯が宝石のように散りばめられ、秀斗がポーズを決め、和奏がわずかに頬を染める。樹里はカメラを回収しながら宣言した。
「写真タイトルは“夜の恩返し・第1章”で決まり」
◆午前三時三十八分 甲州街道歩道橋
始発まで残り六十七分。車の流れは減り、アスファルトが夜露を含んで鈍く光る。駿は歩道橋の欄干に寄り掛かり、深呼吸。
「夜の活動、思ったより疲れないな」
「達成感がカフェインより効いてるのよ」和奏が微笑む。
秀斗は空を指差した。北斗七星の一部がビルの隙間から覗く。
「星、見えるんだな。東京でも」
樹里はスマホで星図アプリを開き、名前を確認する。
「メグレズ。意味は“尻尾の根元”。支える星だって」
「いいね。俺たちのチーム名にしようか」駿が提案し、全員が笑顔で頷く。
◆午前四時三十五分 新宿駅南口改札前
シャッターが開き、始発アナウンスが流れる。ロードマップは折り目だらけだが、中央の★は濃い赤で塗り直されていた。
「来週の譲渡会、本番は昼だ。でも準備はまた夜にやろう」駿が言うと、秀斗が拳を掲げた。
「深夜組“メグレズ”出動決定!」
和奏は静かに笑い、樹里が最後の空マスに小さく書き込む。
――〈始発を待つ笑顔〉――
自動改札が青く光り、四人はホームへ吸い込まれていく。車内で駿はロードマップを畳み、胸ポケットへ。窓の外、群青の空に白い筋雲が流れ始めた。
夜が終わるたび、恩返しは増える。始発列車が動き出す振動に合わせ、駿は小さく呟いた。
「さて、次はどのマスから埋めようか」
和奏が腕時計を指差す。
「二十一時まで、あと二分。遅刻ゼロで集まろう」
その瞬間、秀斗が小走りで現れ、息を切らしながら紙袋を掲げた。
「差し入れにエナジーバー三種買ってきた。チョコ味とプロテイン味と……なんか緑色味」
「それ抹茶味だろう」駿が笑い、袋を受け取る。
樹里は駅構内の書店から飛び出し、分厚い見取り図を広げる。
「深夜営業施設リスト最新版。公共トイレの所在地も追記済み」
四人が揃った瞬間、駿はロードマップを掲げた。
「第一目標:ナガレボシの譲渡会準備。第二目標:深夜迷子サポートのパイロット運用。タイムリミットは始発まで。さあ、行動開始!」
◆二十一時十五分 代々木動物メディカルセンター
受付前に置かれた白いケージには、包帯の外れたナガレボシが丸まり、来客の子どもに愛想を振りまいている。星野獣医は微笑みながら駿たちを迎えた。
「譲渡会は来週土曜の正午から。今日は会場設営の動線を確認します」
和奏はメジャーで廊下幅を測り、秀斗は折り畳み式案内ボードを開いて角度を調整。樹里はタブレットで見取り図を修正し、星野の要望を反映していく。
◆二十二時三十分 動物病院裏口
搬入口に置かれた段ボールから猫砂二袋を運び出そうとしたとき、隣のビルの陰から少年の声がした。
「すみません! 道、迷いました……」
中学生らしい彼はスマホを握りしめ、目に涙。終電で叔母の家へ向かう途中、乗り換えを間違えたらしい。終電はすでに発車済み。
駿は即座に地図アプリを開き、最短ルートと深夜バスの時刻表を提示。和奏は叔母との電話を仲介し、秀斗はバス停まで同行を申し出る。少年は涙を拭き、頭を下げた。
◆二十三時十五分 新宿西口ロータリー
深夜バス停留所で少年を見送り、秀斗が戻ってくると、樹里がロードマップに新しいマスを描いた。〈終夜迷子サポート①:達成〉の文字。
「これで“夜の恩返し”一個クリアね」
駿は安堵の息をつきながらも腕時計を叩く。
「次、二十三時三十分から西新宿清掃ボランティア開始。目的地まで徒歩九分。急ごう」
◆二十三時三十分 西新宿高層ビル街連絡デッキ
夜景が透けるガラス柵の下、区が委託した深夜清掃員がゴミ袋を抱えている。駿たちは事前申請していたボランティア腕章を受け取り、長柄トングと蛍光ベストを装備。
和奏が手際よくタスクを分担する。
「駿は吸い殻ライン、秀斗は植え込みライン、樹里は瓶・缶分別ポイント。私は記録担当」
四人が黙々とゴミを拾う間、高層ビルの窓に映る自分たちの姿が妙に誇らしかった。
◆午前零時二十分 都庁前広場
ゴミ袋三つを清掃員に引き渡し、腕章を返却。清掃員の壮年男性が深く頭を下げる。
「若いのに助かったよ。夜は人手が足りなくてね」
駿は「こちらこそ経験になりました」と握手。樹里はロードマップに〈清掃ボランティア:達成〉と太字で記入し、空きマスは残り八つ。
◆午前零時三十五分 歌舞伎町一番街入口
ネオンの洪水を抜けると、ビルの壁に貼られた大きなポスターが目に留まる。〈深夜献血キャラバンカー 本日二十四時〜四時 新宿区役所前〉。
秀斗が小声で問い掛ける。
「夜中に献血って需要あるのかな」
「夜勤明けの医療スタッフに回す血液が不足してるらしい」和奏が即答。
駿は腕をまくり、献血カードを取り出した。
「恩返し第二弾、決定だ」
◆午前零時四十五分 新宿区役所前特設献血車
内部は白いライトで明るく、ラジオから流れる深夜トークが静かに響く。看護師が駿の血圧を測りながら笑う。
「この時間帯、若い方が来てくれるのは珍しいですよ」
「夜しか空いてない人もいるんで」駿が肩をすくめる。
献血後、紙パックジュースと菓子パンを受け取り、樹里が「補給食ゲット」とロードマップにメモ。
◆午前一時三十分 花園神社境内
屋台の閉じた通りを抜け、本殿前で手を合わせる。蝉の抜け殻が石段に落ち、夜風が木々を揺らす。
「無事ナガレボシの里親が決まりますように」秀斗が囁く。
「終電逃した夜が、誰かを助ける夜になりますように」和奏の願いが重なる。
駿は最後に柏手を打ち、深く一礼した。
◆午前一時五十五分 靖国通り沿いのカフェ「オールナイトBean」
七十年代ソウルが流れる店内で、四人はロードマップをテーブルに広げた。
「ここまでで三マス達成。残り七つは来週以降に回そう」駿がまとめると、秀斗がエナジーバーを机に並べた。
「今夜はラストスパートで“深夜グルメアンケート”を終わらせよう。ビンゴの拡張版だし」
樹里は即座にアンケートフォームを表示し、店員に許可を取ってカウンター席の客へ声を掛ける。
◆午前二時三十五分 店外の歩道
アンケート回答十六件を確保し、樹里がサーバーにアップ。和奏が袋に余ったエナジーバーを詰め込み、駿がロードマップに「深夜グルメデータ:収集開始」と書き込む。空はまだ真っ黒だが、街灯が僅かに明度を落としている。
「次は?」
秀斗の問いに、駿は腕時計を見つめた。
「残り二時間弱。疲労も溜まってきたし、締めに行こう」
◆午前二時五十五分 都庁北展望室
エレベーターで四十五階へ上がると、ガラス壁の外に無数の光が瞬いていた。先週と同じ東京の夜景だが、心境が違うせいか、より温かく感じる。
和奏がバッグから三脚を取り出し、夜景を背景に四人のセルフタイマー撮影を試みる。しかしカメラの角度が決まらず、何度もやり直すうちに自然と笑いがこみ上げる。
シャッター音。駿の背後で街の灯が宝石のように散りばめられ、秀斗がポーズを決め、和奏がわずかに頬を染める。樹里はカメラを回収しながら宣言した。
「写真タイトルは“夜の恩返し・第1章”で決まり」
◆午前三時三十八分 甲州街道歩道橋
始発まで残り六十七分。車の流れは減り、アスファルトが夜露を含んで鈍く光る。駿は歩道橋の欄干に寄り掛かり、深呼吸。
「夜の活動、思ったより疲れないな」
「達成感がカフェインより効いてるのよ」和奏が微笑む。
秀斗は空を指差した。北斗七星の一部がビルの隙間から覗く。
「星、見えるんだな。東京でも」
樹里はスマホで星図アプリを開き、名前を確認する。
「メグレズ。意味は“尻尾の根元”。支える星だって」
「いいね。俺たちのチーム名にしようか」駿が提案し、全員が笑顔で頷く。
◆午前四時三十五分 新宿駅南口改札前
シャッターが開き、始発アナウンスが流れる。ロードマップは折り目だらけだが、中央の★は濃い赤で塗り直されていた。
「来週の譲渡会、本番は昼だ。でも準備はまた夜にやろう」駿が言うと、秀斗が拳を掲げた。
「深夜組“メグレズ”出動決定!」
和奏は静かに笑い、樹里が最後の空マスに小さく書き込む。
――〈始発を待つ笑顔〉――
自動改札が青く光り、四人はホームへ吸い込まれていく。車内で駿はロードマップを畳み、胸ポケットへ。窓の外、群青の空に白い筋雲が流れ始めた。
夜が終わるたび、恩返しは増える。始発列車が動き出す振動に合わせ、駿は小さく呟いた。
「さて、次はどのマスから埋めようか」



