そんな私をチラ見してから、肩に掛けてたリュックを急に直して、成戸くんが顔を背ける。心臓が跳ねて、ビクつく。呆れた? 怒らせたかな。

「……あ、の」
「コンビニ寄るか。ほしいもんある? おごる」

 彼の意図がわからない。今の私、すごく変な顔してそう。

「食うの、どうするかな。……嫌じゃなければ、近くの公園で」

「――最後の……晩餐?」

 少し気まずそうに、視線が泳いでるのがわかる。彼にしては珍しい反応。余計なことだったろうか……と、大好きな眼差しが言ってる。それが今の私には、過去最高のサプライズディナーに見えた。
 そこまで特別じゃない人間の、こんなめんどくさい展開を受け入れてくれている。
 ……そうだ。わかってた。彼は、こういう人だ。だから、皆に好かれるんだ。そして、私も……

「――マカロン。クリームとフルーツたっぷり乗ったやつ」
「片切さんて、そういう冗談言う人だっけ」

 ふは、と苦笑した。そんな顔も初めて見た。今になって次々に、甘いご馳走(ちそう)がやってくる。治まってきたはずの目眩がぶり返してきた。

「……酔ってるから」
「じゃ、酔い覚ましがてら行くか」

 私がうなずくと同時に、スタスタ、と成戸くんが歩き出した。結構ビール飲んでるはずなのに、酔ってる素振りはあまり感じない。足取りも軽快でしっかりしてる。

 もうすぐ、終電が来る。けど、駅と反対の方向に歩いてるなんて展開。びっくりして動揺してる反面、嬉しくて泣きそうだった。これから二人きりで、真夜中にスイーツ食べるなんて、ささやかなデートみたいで。
 ……同情でしてくれてるってわかってる。私が彼の優しさにつけ込んだようなもので、はた迷惑な話。浮かれてるのは私だけ。けど、これくらいのワガママなら(ゆる)されるかなって……思ったんだ。

 私達は、特に親しい訳じゃない。彼にとって私は、ただのサークル仲間の一人。辞めた後は、こんな風には二度と会えないかもしれない。今だって、たまにSNSで話せる程度だ。いつかそれすらも切れて……そのうち忘れられる。薄い友達関係なんてそんなもんだって、今までの経験で嫌という程、知った。
 そもそも、彼女さんと今後どうなるかなんて、私には関係ないことなんだ。彼は私を『好き』ではないんだから。
 頑張って勉強して、やっと受かった大学、思い描いていた目標、おまけにささやかな甘い願いまで、今夜で全部、失う……
 酔いのせいもあってか、自暴自棄になっているのが、自分でもわかる。卑屈になって、ネガティブの沼にどっぷり沈んでいって、もうどうにでもなれって、勝手に落ち込んで……


「ベンチにでも座って、待ってて」

 いつの間にか、いつもは通り過ぎる小さな公園に着いていた。足早に通りの向こうに駆けて行く音が、たまらなく嬉しくて、痛い。甘過ぎて胃もたれしそう。
 ……もし、今夜、告白なんてしたら彼女さんに悪いかな。どうせフラレるんだし、あの子とは友達ってわけじゃないんだから、言ってしまってもいいかもしれない。
 でも、友達としてキレイな思い出にして、このまま終わらせた方がいい気もする。既に迷惑なやつって、内心思われてるかもしれないけど。
 こんなのは初めてで、何が正解なのか分からない。元々、人付き合いが下手くそだ。もっと色々経験してたら、上手くやれたんだろうか。

 今夜、潔く散るか。朝になってから、自然に枯れて終わっていくか。なんだか花の生き死にの話みたいだ。大袈裟で、酔ってて、重い感傷だけど、この恋は、私にとってそのくらい鮮やかで、短くて、儚かった。
 けど、育ててる間は、辛いだけじゃなかった。楽しい事もあったんだ。臆病者でぱっとしない、大した人間なんかじゃない私が、夢見てられた。
 死に際を自分で決められるだけ、キリスト様よりはずっと恵まれてて救いがある分、マシだとは思う。とんでもなくバチあたりだけど。


「――お待たせ。限定プリンとシュークリーム……あと普通のマカロンならあった」

 ベンチでそんなこと考えてうつ向いてたら、上から降ってきた声と、軽い息切れの音で我に返った。虚ろな眼差しを向ける。視界も足元もふわふわしてて、浮いてる。
 淡々と袋から出されて、隣に並べられていくお酒の缶と小さなスイーツ達。ビニール袋から微かに漂う、バニラみたいな微かな甘い香りと、ヒヤッ、とした冷気が、揃って私を惑わせにかかってきた。

「サワーならイケたよな? 確か」

 遠慮がちに差し出された、冷気をまとうレモンサワーの缶。結露して濡れてる。それに絡みついた長い指に触れたい。そのまま手を繋いで……なんて大胆な妄想が、慣れない酔いでおかしくなった脳裏にわき出す。
 ……ダメだ。くらくらしてきた。身体中にまとわりつく生温い熱気が、鬱陶(うっとう)しいを通り越して、今は、妙にしっくりくる。

『――悪酔いしたフリして、この後抱きついちゃえば?』
『――恥だけど、もう二度と会わないなら、いいじゃん?』

 そんなワルイ(ささや)きが、耳元でザワザワ、響く。

『――悪魔の誘惑とか、魔がさすって、こういうのを言うのかもね』

 すかさず、もう一人の賢者の自分がツッコミを入れた。彼女持ちの男の人と二人きり。真夜中の公園で、このまま一夜を過ごす。それ以上でも以下でもない。私から仕掛けない限り、きっと、何も起こらない。
 ……けど、何だか悪いことをしているみたいだ。

「……なぁ。大丈夫か?」

 ぼんやりとして反応の無い私に、何もわかっていない彼が心配そうに尋ねる。自分の方がずっとアブないのに。今の私に、アルコール追加するなんて……ダメだよ。
 この晩餐(ディナー)が終わったら、その時……私はどうなるんだろう。何がしたいんだろう。

 ――ああ……でも、いわゆる『誘う』のは出来ないだろうな。そんな度胸も勝算もないからってのは、もちろんだけど……
 大事な彼女がいるのに、他の女の誘惑にのるような人だったなら……こんなに好きになってなかった。
 いっそ、魔がさしてくれたらいい? この不毛な恋も冷めるし、彼に触れてもらえる……

 ――もう、めちゃくちゃだ。アルコールの侵食が進んで止まらない。思考が完全におかしくなってる。

 とりあえず今は、いわゆるプライスレスってやつの……過去最高に甘くて、苦くて、背徳的なこのデザート達を、まるごと――大事に味わいたい。

 初めて育てたけど、実が()る前に呆気なく散ってしまった、()()な花の残骸を添えて。



【了】