「これで、ほんとに全部?」
 にこが確認するように言った。彼女の手元には、航海日誌。中身は、今まで誰もが目を逸らしていた小さな失敗や、些細な衝突、無駄話すら丁寧に記録されている。
 「うん。嘘は、一文字もないよ」
 にこの声は、少し震えていた。でも、それは弱さではなかった。ようやく見つけた自分の言葉、自分の責任に対する確かな覚悟だった。
 「すごいじゃん」
 千紘がにこに親指を立てた。
 「わたし、日誌に“絢香が怪談で場を和ませた”って書いたの。嘘だって言われたら困るからって本人に確認したら、あの子、泣きそうな顔で“そうだよ”って笑ってさ」
 「泣いてたのか……あいつ」
 永遠がぼそりと呟いた。誰もが見たことのなかった顔が、記録を通して初めて見えてくる。
 「でさ、この日誌。誰の名前で提出するの?」
 宗一郎が聞くと、にこは少し迷って、首を振った。
 「全員の名前で、共同記録にしたい。……でも、まとめたのは私だから、代表者の欄だけは、空けておいて」
 「責任者に記名しないの?」
 美紗が真面目な顔で問うと、にこはゆっくりと答えた。
 「うん。だって、これは、誰か一人の記憶じゃないから。全部で一つだから」
 その言葉に、誰もが納得したように頷いた。
 にこの航海日誌には、誰もが避けたがった“心の揺れ”が正直に記されていた。けれど、それが不思議と温かかった。欠点や後悔があってこそ、記憶は生きている。事実を“飾らない”ことで、逆に強さを持つことがある。
 「じゃあ、提出のときは、全員の手で箱に入れようか」
 誠が小さな箱を持ってきて、にこのノートをそっと中に入れた。続いて、千紘が表紙に小さなリボンを結んだ。マリアが箱の角を補強し、ライランが全員分の名前を封筒に書き添える。
 「さあ、完成だ」
 陽斗が誇らしげに笑った。
 奏太が最後に一歩進み出て、少しだけ躊躇いながら、にこに言った。
 「この記録、きっと……俺の父さんにも、届くと思う」
 にこは静かにうなずいた。
 「嘘がないって、怖い。でもね、それでも信じてもらえるって、思いたい」
 全員の視線が、箱の中の小さな日誌に向いた。
 そのページには、傷と涙と、笑顔がすべて刻まれていた。
 嘘のない航跡。それは、きっと、誰よりも遠くまで届く真実だった。