空間の中央に浮かぶ球体が、低くうねるような音を発した。音というよりも、心臓の鼓動に似た“振動”だ。
 ライランが息を呑みながら告げた。
 「共鳴が……強まっている。これは……意志を持っている」

 その言葉を皮切りに、球体の内部から映像が溢れ出す。
 まるでフィルムが破れたように、空間に大量の“記憶断片”が投影された。

 火災現場で取り残された子ども。
 事故を起こした運転手の絶叫。
 ひとこと謝れなかった父親。
 見殺しにした同級生。
 手放してしまった約束。
 ──そして、叶わなかった“もう一度”。

 「これは……人の、後悔……!」
 千紘の声が震える。

 「違う。これはもう、人じゃない」
 健司が操作パネルの数値を睨みながら言う。
 「これは、“集合意思”だ。後悔の想念が融合して、自律したひとつの生物になった」

 「群体生物だな。生まれた理由が……後悔?」
 宗一郎の問いに、沙也加が淡々と応じる。
 「すべては“心の映写”から始まったのかもしれません。負の感情は蓄積し、秩序を持てば、自らを保存しようとする。だから島は、こうして存在している……」


 にこが後退り、震える声で問う。
 「じゃあ……この島自体が、“後悔”そのものなの?」

 奏太がゆっくりと頷いた。
 「父さんのノートにあった……“記憶を定着させる土地”って、こういうことかもしれない。
 人間の後悔を、島が……いや、この生物が吸い上げて、保存してる」

 マリアが口を開く。
 「このままでは……無限に増殖していく。
 後悔は尽きない。人がいる限り、必ず生まれる」

 その言葉に一同が沈黙する。
 未来永劫、人類の負の記憶を抱えて増殖する存在。
 それは、人類の“裏側”そのものだった。

 「だからこそ、活用すべきだ」
 実咲の声が響く。彼女は一歩前へ出て、断言した。
 「これを封じることは、ただ目を背けるだけ。
 私たちは“痛み”すら糧にすべきなの。
 このエネルギーを使えば、もっと多くの命が救える!」

 「違う」
 ライランが言葉を遮る。
 彼の声は、低くも確信に満ちていた。
 「人の痛みは、糧にすべきものではない。
 誰かの悲しみを踏み台にして築いた未来は、必ずひび割れる」

 「それでも、今の現実は救えないじゃないか!」
 宗一郎が声を上げる。
 「使えるものは使う。感情を消化して、形にすればいい。
 お前たち、幻想に酔ってるだけじゃないのか?」

 激しくぶつかる視線と意見。
 実咲、沙也加、宗一郎──“利用派”。
 奏太、にこ、ライラン──“解放派”。

 「後悔は──昇華するべきものだ」
 にこが、まっすぐ前を見て言った。
 「誰かの痛みを見て、自分の都合で“使う”なんて、私はできない。
 そんな未来なら、いらない……」

 沙也加が低く反論する。
 「感情だけでは、何も残らない。
 誰かが理性的に判断しなければ、また同じことが繰り返される」

 「違う!」
 奏太が割って入る。
 その眼差しは、どこまでもまっすぐだった。
 「父は、後悔を“理解するための記録”として島を研究してた。
 利用するためなんかじゃない。誰かを苦しめないために──
 “同じ後悔を繰り返さないために”だ!」

 そのとき。
 脈動していた球体が、一瞬、動きを止めた。
 まるで、それぞれの意志を受け取って、沈黙したように。

 しかし次の瞬間──
 「警告:エネルギー収束限界を超過しました」
 制御パネルが赤く染まり、警報音が鳴り響く。

 「だめだ、話し合いじゃ間に合わない……!」
 健司が装置に駆け寄り、冷却システムを手動で起動するが、効果は薄い。
 迷宮全体がきしみ、壁に走る“映像の亀裂”から、人々の記憶が逆流し始める──

 「暴走が始まった!」

 割れた球体の一部から、世界中の“未処理の後悔”が吹き出し始めた。
 その光景は、まるで──地獄のようだった。