迷宮の一角、奇妙に静まり返った空間に足を踏み入れたのは、沙也加だった。
照明器具の代わりに天井からぶら下がる光の粒子が、まるで静電気のように彼女の肩を撫でる。
「ここ、演算室……?」
壁一面に並ぶのは、幾何学的な文様と、手動式のスライド装置。
数字、記号、そして見たこともない論理演算式が、床から浮かび上がっていた。
彼女は静かに息を呑む。目を細め、指をひとつずつ動かしながら、論理記号を慎重に追っていった。
「……選べってことね。この扉を開くために、最も合理的な選択を」
沙也加は周囲を見回した。
一行は少し後方に控え、彼女に判断を委ねている。これまでも何度かそうしてきたように。
彼女は冷静に、複数の解答ルートを即座に洗い出した。
「最短距離で障害が少なく、消費エネルギーが低い選択肢。数学的には、これが最善……」
迷いなく、沙也加はスイッチを押す──
──しかし、道は開かれなかった。
代わりに、壁面が音を立てて変形し、瓦礫の雨が落ち始めた。
「沙也加、下がれ!」
奏太が叫ぶ。マリアと永遠が即座に飛び出して、彼女を引っ張った。
なんとか瓦礫を避けて立て直したものの、開くべき扉は完全に封鎖されてしまっていた。
「……どういうこと? 計算上は、あれが最善だったはず……」
沙也加は自分の思考回路を疑うように眉を寄せた。
扉の上部に浮かび上がる、見慣れない文字列。
それはまるで、数式ではなく詩の一節のようだった。
『感情の値、定義せよ。心なき論理は扉を閉ざす』
沙也加は思わず、息を呑んだ。
「……論理だけじゃ、駄目ってこと?」
背後から、陽斗が声をかける。
「たぶん、あの選択肢のひとつは、誰かの“気持ち”を優先するルートだった。犠牲があっても、後悔しない選択……とか」
にこが小さく頷いた。
「沙也加さん、さっきのルート、誰も傷つかないって言ってたけど……あなた、自分の感情、無視してなかった?」
彼女は目を伏せた。
迷路の中、何度も同じように“正しい”を選んできた。でも、それは他人のためではなく、自分が“間違わない”ためだったのではないか――
「……わたし、間違えたのね。最善を選んだつもりで、心を置いてきた」
沙也加は静かに装置の前に立ち直った。
もう一度、選択肢が浮かび上がる。
今度、彼女は論理ではなく、あのとき見えた“仲間の不安そうな顔”を思い出して選んだ。
カチリ――
封鎖されていた扉が、ゆっくりと開いた。
感情を欠いた完璧な論理ではなく、少しの迷いと共感が、道を拓いた。
沙也加は初めて、自分の中の“揺らぎ”を肯定する。
「……正しさは、時に間違いより残酷ね。でも、それでも、進まなきゃ」
彼女は背後の皆に、確かな声でそう言った。
照明器具の代わりに天井からぶら下がる光の粒子が、まるで静電気のように彼女の肩を撫でる。
「ここ、演算室……?」
壁一面に並ぶのは、幾何学的な文様と、手動式のスライド装置。
数字、記号、そして見たこともない論理演算式が、床から浮かび上がっていた。
彼女は静かに息を呑む。目を細め、指をひとつずつ動かしながら、論理記号を慎重に追っていった。
「……選べってことね。この扉を開くために、最も合理的な選択を」
沙也加は周囲を見回した。
一行は少し後方に控え、彼女に判断を委ねている。これまでも何度かそうしてきたように。
彼女は冷静に、複数の解答ルートを即座に洗い出した。
「最短距離で障害が少なく、消費エネルギーが低い選択肢。数学的には、これが最善……」
迷いなく、沙也加はスイッチを押す──
──しかし、道は開かれなかった。
代わりに、壁面が音を立てて変形し、瓦礫の雨が落ち始めた。
「沙也加、下がれ!」
奏太が叫ぶ。マリアと永遠が即座に飛び出して、彼女を引っ張った。
なんとか瓦礫を避けて立て直したものの、開くべき扉は完全に封鎖されてしまっていた。
「……どういうこと? 計算上は、あれが最善だったはず……」
沙也加は自分の思考回路を疑うように眉を寄せた。
扉の上部に浮かび上がる、見慣れない文字列。
それはまるで、数式ではなく詩の一節のようだった。
『感情の値、定義せよ。心なき論理は扉を閉ざす』
沙也加は思わず、息を呑んだ。
「……論理だけじゃ、駄目ってこと?」
背後から、陽斗が声をかける。
「たぶん、あの選択肢のひとつは、誰かの“気持ち”を優先するルートだった。犠牲があっても、後悔しない選択……とか」
にこが小さく頷いた。
「沙也加さん、さっきのルート、誰も傷つかないって言ってたけど……あなた、自分の感情、無視してなかった?」
彼女は目を伏せた。
迷路の中、何度も同じように“正しい”を選んできた。でも、それは他人のためではなく、自分が“間違わない”ためだったのではないか――
「……わたし、間違えたのね。最善を選んだつもりで、心を置いてきた」
沙也加は静かに装置の前に立ち直った。
もう一度、選択肢が浮かび上がる。
今度、彼女は論理ではなく、あのとき見えた“仲間の不安そうな顔”を思い出して選んだ。
カチリ――
封鎖されていた扉が、ゆっくりと開いた。
感情を欠いた完璧な論理ではなく、少しの迷いと共感が、道を拓いた。
沙也加は初めて、自分の中の“揺らぎ”を肯定する。
「……正しさは、時に間違いより残酷ね。でも、それでも、進まなきゃ」
彼女は背後の皆に、確かな声でそう言った。



