通路を抜けた先には、凪いだ湖のような静寂が広がっていた。
床は一面、鏡面のように磨かれた水晶板。天井も壁も存在を主張せず、空間全体が“無”を形にしたかのようだった。
にこは、ふと立ち止まり、ゆっくりと首を傾げた。
「……ここ、音がしない」
確かに、自分の足音すら聞こえない。言葉に出そうとしても、声が出てこないのではないかという錯覚に陥る。
奏太が前に出ようとしたそのとき──
〈入室条件:虚偽の共有〉
突然、空間の上部に、浮かび上がるように文字が現れた。幻影のようなそれは、淡く光を放っていた。
にこが息を呑む。
「……嘘?」
陽斗が眉をひそめる。
「この空間、音が消されてる……じゃなくて、“声が届かない”ようになってるんじゃないかな」
健司が小さくうなずき、指で「共有」と書くジェスチャーを示す。つまり──
「誰かが“嘘”を話すことで、扉が開く」
マリアがそう書いたボードを全員に見せた。
沙也加が問いかけるような視線をにこに向けた。
にこはかぶりを振る。
──できない。嘘は、どうしても、つけない。
実咲が足を止め、唇を尖らせる。
「この空間、誰かが“沈黙していること”自体が、全体を閉じてる構造かもしれない」
“誰か”──その視線が、にこに集まり始める。
にこは、何も言わず、ただ、膝の前で両手を固く結んでいた。
──だって、嘘をついたら、きっと、声が震える。表情が崩れる。
自分の弱さが、全部、ここで露呈してしまう。
宗一郎が気づき、笑顔で手を振った。
「任せなって。俺がいっちょ、百発百中の“でまかせ”言ってみせるよ」
そして彼は、堂々と嘘をついた。
「この前、温泉で宇宙人に会ったんだけどさ──」
その瞬間、壁にあった通路の一部が微かに揺れたが、開ききることはなかった。
「……うーん、軽すぎたか?」
ライランが手話のように両手を動かしながら示す。
「“共通の嘘”である必要がある」──つまり、皆で“同じ嘘”を共有すること。
誠が指を鳴らし、ホワイトボードに何かを書き始める。
『じゃあ、にこさんに合わせた嘘を、皆で考えて、にこさん以外が言えば?』
にこはその言葉に、かすかに顔を曇らせた。
──自分がネックになっている。それがわかってしまうのが、辛かった。
「待って」
にこが小さく、しかしはっきりと声を発した。
「私、やってみる……」
その声は、湖面を撫でる風のように静かで、けれど確かに空間を震わせた。
「私は……」
言葉が詰まり、喉が痛むほど緊張する。
仲間の視線が、あたたかいのに、重い。
「私は、奏太くんのことなんて……全然、信じてない」
瞬間、空間が震えた。
湖面のような床にさざ波が広がり、奥の通路が“音”と共に開いた。
にこはその場に膝をつき、顔を覆った。
「……ごめんなさい……今の、嘘です……でも、こんなことしかできない……」
奏太がゆっくりと歩み寄り、にこの肩にそっと手を置いた。
「ありがとう。にこの“そのまま”で、十分だよ」
健司が続いて、背中を支えるように立つ。
「誰か一人が“できない”なら、皆で支える。それが、この船のルールだろ」
マリアが通信機を見ながら微笑み、
「今の言葉、全回線で記録しておいたわ。にこの“本音”と“嘘”の両方、ちゃんと残しておく」
全員が再び一列に並び、通路の先へと歩を進める。
壁に残された文字が最後にひとつ──
〈共鳴には、“恐れた嘘”が必要〉
にこは、まだ涙の痕が残る顔で、それでも笑っていた。
床は一面、鏡面のように磨かれた水晶板。天井も壁も存在を主張せず、空間全体が“無”を形にしたかのようだった。
にこは、ふと立ち止まり、ゆっくりと首を傾げた。
「……ここ、音がしない」
確かに、自分の足音すら聞こえない。言葉に出そうとしても、声が出てこないのではないかという錯覚に陥る。
奏太が前に出ようとしたそのとき──
〈入室条件:虚偽の共有〉
突然、空間の上部に、浮かび上がるように文字が現れた。幻影のようなそれは、淡く光を放っていた。
にこが息を呑む。
「……嘘?」
陽斗が眉をひそめる。
「この空間、音が消されてる……じゃなくて、“声が届かない”ようになってるんじゃないかな」
健司が小さくうなずき、指で「共有」と書くジェスチャーを示す。つまり──
「誰かが“嘘”を話すことで、扉が開く」
マリアがそう書いたボードを全員に見せた。
沙也加が問いかけるような視線をにこに向けた。
にこはかぶりを振る。
──できない。嘘は、どうしても、つけない。
実咲が足を止め、唇を尖らせる。
「この空間、誰かが“沈黙していること”自体が、全体を閉じてる構造かもしれない」
“誰か”──その視線が、にこに集まり始める。
にこは、何も言わず、ただ、膝の前で両手を固く結んでいた。
──だって、嘘をついたら、きっと、声が震える。表情が崩れる。
自分の弱さが、全部、ここで露呈してしまう。
宗一郎が気づき、笑顔で手を振った。
「任せなって。俺がいっちょ、百発百中の“でまかせ”言ってみせるよ」
そして彼は、堂々と嘘をついた。
「この前、温泉で宇宙人に会ったんだけどさ──」
その瞬間、壁にあった通路の一部が微かに揺れたが、開ききることはなかった。
「……うーん、軽すぎたか?」
ライランが手話のように両手を動かしながら示す。
「“共通の嘘”である必要がある」──つまり、皆で“同じ嘘”を共有すること。
誠が指を鳴らし、ホワイトボードに何かを書き始める。
『じゃあ、にこさんに合わせた嘘を、皆で考えて、にこさん以外が言えば?』
にこはその言葉に、かすかに顔を曇らせた。
──自分がネックになっている。それがわかってしまうのが、辛かった。
「待って」
にこが小さく、しかしはっきりと声を発した。
「私、やってみる……」
その声は、湖面を撫でる風のように静かで、けれど確かに空間を震わせた。
「私は……」
言葉が詰まり、喉が痛むほど緊張する。
仲間の視線が、あたたかいのに、重い。
「私は、奏太くんのことなんて……全然、信じてない」
瞬間、空間が震えた。
湖面のような床にさざ波が広がり、奥の通路が“音”と共に開いた。
にこはその場に膝をつき、顔を覆った。
「……ごめんなさい……今の、嘘です……でも、こんなことしかできない……」
奏太がゆっくりと歩み寄り、にこの肩にそっと手を置いた。
「ありがとう。にこの“そのまま”で、十分だよ」
健司が続いて、背中を支えるように立つ。
「誰か一人が“できない”なら、皆で支える。それが、この船のルールだろ」
マリアが通信機を見ながら微笑み、
「今の言葉、全回線で記録しておいたわ。にこの“本音”と“嘘”の両方、ちゃんと残しておく」
全員が再び一列に並び、通路の先へと歩を進める。
壁に残された文字が最後にひとつ──
〈共鳴には、“恐れた嘘”が必要〉
にこは、まだ涙の痕が残る顔で、それでも笑っていた。



