迷宮の奥、複雑な円弧を描いた廊下を進むと、やがて薄青い光を放つ円形の部屋へと辿り着いた。
中央には、一対の石柱が立っている。その間に浮かぶのは──一冊の、分厚い紙の束。
焼け焦げたような装丁。
だが、その中には──奏太が求め続けてきた“父の研究ノートの複写”が封じ込められていた。
「これは……」
呆然と立ち尽くす奏太。
父の死後、焼失したはずの研究成果。
何より、彼がこの航海に出る理由──父の遺志を証明する“唯一の証”だった。
「でも、どうしてこんな場所に……?」
問いに応える者はいない。
だが、部屋の空気が、何かを語っていた。
このノートは、迷宮が“映し出したもの”。
つまり──奏太自身の執着が、この形を取らせたのだ。
「これは……“試されてる”のか」
壁に刻まれた文様が、微かに発光する。
二本の石柱の間から、左右へ道が分かれているのが見えた。
左は、ノートを手に進む道。
右は、ノートを置いて進む道。
道標は、明確に示していた。
──ノートを持てば、後悔の群体は刺激される。
──ノートを捨てれば、共鳴は静まるが、証明の術は失われる。
にこが、言葉を詰まらせながらも言った。
「どちらにしても、奏太くんが……後悔するかもしれないってこと、だよね……」
「……そんなの、ずるいだろ」
拳を握る奏太。
父の声が脳裏に蘇る。「論文より、お前自身が未来を選べ」。
幼い頃、研究より遊びを優先したことで怒られたあの日──
でも、本当に父が望んだのは、研究の“正しさ”ではなかったのかもしれない。
「父さん……俺は、どっちに進めばいい?」
問いは誰にも届かない。
だが、周囲の仲間たちは、静かに彼を見守っていた。
静寂の中、誰も口を挟まなかった。
陽斗がそっと一歩近づき、肩に手を置いた。
「……俺だったら、持っていくよ。だけど、それが正解かなんて、分からない」
「……優しさで迷わせるなよ、陽斗」
にこは眉を寄せ、唇をかんでいた。
「嘘は言わない。私は、……ノートを置いていってほしいと思ってる」
「……どうして」
「それが、この場所が“前に進むこと”を求めてる証だから。……でも、あなたの願いを否定したいんじゃない」
「にこ……」
健司は腕を組み、黙って天井を見上げたままぽつりとつぶやく。
「資料も証拠も、大事だ。でも……それが“誰かの命”と釣り合うとは限らない」
沙也加が小さく頷く。
「論理だけでは測れない価値がある。……今は、その時間のようです」
選択肢は、あまりにも重い。
石柱の間のノートは、今にも消えてしまいそうな光を纏っていた。
――進むか、残すか。
それは、“父の遺志”と“仲間の未来”を天秤にかける行為だった。
奏太は、ゆっくりと歩き出す。
石柱の間に近づき、指先がノートの表紙に触れる。
厚み、質感、焦げた匂い──
それらすべてが、かつて父と過ごした時間の再構築だった。
「……俺は、手放す」
声が震えていた。
「たとえ、何も証明できなくなっても……それでも、俺たちが“帰れること”が大事だ」
「それが、父さんの望んだ未来だって、信じたい」
ノートから手を離す。
瞬間、それは淡く光って──霧のように、空気に溶けていった。
誰かが息を呑む音がした。
にこが一歩、彼の隣に立った。
「ありがとう……奏太くん」
壁の文様が一斉に点灯し、右手の通路が開かれた。
次の間へと続く道。──“共鳴の中心”へ向かう、本当の扉。
振り返ると、みんながそこにいた。
言葉よりも強い沈黙が、彼の選択を支えていた。
彼は微笑んだ。
父への後悔を、ひとつだけ、前に進めた気がした。
中央には、一対の石柱が立っている。その間に浮かぶのは──一冊の、分厚い紙の束。
焼け焦げたような装丁。
だが、その中には──奏太が求め続けてきた“父の研究ノートの複写”が封じ込められていた。
「これは……」
呆然と立ち尽くす奏太。
父の死後、焼失したはずの研究成果。
何より、彼がこの航海に出る理由──父の遺志を証明する“唯一の証”だった。
「でも、どうしてこんな場所に……?」
問いに応える者はいない。
だが、部屋の空気が、何かを語っていた。
このノートは、迷宮が“映し出したもの”。
つまり──奏太自身の執着が、この形を取らせたのだ。
「これは……“試されてる”のか」
壁に刻まれた文様が、微かに発光する。
二本の石柱の間から、左右へ道が分かれているのが見えた。
左は、ノートを手に進む道。
右は、ノートを置いて進む道。
道標は、明確に示していた。
──ノートを持てば、後悔の群体は刺激される。
──ノートを捨てれば、共鳴は静まるが、証明の術は失われる。
にこが、言葉を詰まらせながらも言った。
「どちらにしても、奏太くんが……後悔するかもしれないってこと、だよね……」
「……そんなの、ずるいだろ」
拳を握る奏太。
父の声が脳裏に蘇る。「論文より、お前自身が未来を選べ」。
幼い頃、研究より遊びを優先したことで怒られたあの日──
でも、本当に父が望んだのは、研究の“正しさ”ではなかったのかもしれない。
「父さん……俺は、どっちに進めばいい?」
問いは誰にも届かない。
だが、周囲の仲間たちは、静かに彼を見守っていた。
静寂の中、誰も口を挟まなかった。
陽斗がそっと一歩近づき、肩に手を置いた。
「……俺だったら、持っていくよ。だけど、それが正解かなんて、分からない」
「……優しさで迷わせるなよ、陽斗」
にこは眉を寄せ、唇をかんでいた。
「嘘は言わない。私は、……ノートを置いていってほしいと思ってる」
「……どうして」
「それが、この場所が“前に進むこと”を求めてる証だから。……でも、あなたの願いを否定したいんじゃない」
「にこ……」
健司は腕を組み、黙って天井を見上げたままぽつりとつぶやく。
「資料も証拠も、大事だ。でも……それが“誰かの命”と釣り合うとは限らない」
沙也加が小さく頷く。
「論理だけでは測れない価値がある。……今は、その時間のようです」
選択肢は、あまりにも重い。
石柱の間のノートは、今にも消えてしまいそうな光を纏っていた。
――進むか、残すか。
それは、“父の遺志”と“仲間の未来”を天秤にかける行為だった。
奏太は、ゆっくりと歩き出す。
石柱の間に近づき、指先がノートの表紙に触れる。
厚み、質感、焦げた匂い──
それらすべてが、かつて父と過ごした時間の再構築だった。
「……俺は、手放す」
声が震えていた。
「たとえ、何も証明できなくなっても……それでも、俺たちが“帰れること”が大事だ」
「それが、父さんの望んだ未来だって、信じたい」
ノートから手を離す。
瞬間、それは淡く光って──霧のように、空気に溶けていった。
誰かが息を呑む音がした。
にこが一歩、彼の隣に立った。
「ありがとう……奏太くん」
壁の文様が一斉に点灯し、右手の通路が開かれた。
次の間へと続く道。──“共鳴の中心”へ向かう、本当の扉。
振り返ると、みんながそこにいた。
言葉よりも強い沈黙が、彼の選択を支えていた。
彼は微笑んだ。
父への後悔を、ひとつだけ、前に進めた気がした。



