通路の突き当たりに、小さな作業小屋のような部屋があった。
 錆びた工具、油の匂い、剥がれかけたマニュアルの紙。
 まるで“古びた機関室”を再現したような空間に、誠は静かに立ち尽くしていた。

 「……あれ?」

 机の上に置かれていたのは、見覚えのあるスパナだった。
 高校時代、自作のロボット製作で使っていた、自分で削った工具。

 誠がそっとそれに触れると、空気が揺れ、映像が投影される。

 ──中学の教室、機械いじりが得意な少年の姿。
 ──しかし“使えない奴”と揶揄する同級生の声。

 《どうせまた壊したんだろ。役立たず》

 ──部室の隅で泣きながらパーツを磨く、自分自身。

 「……“道具を作る”ことで、認めてもらえると思ってた。
  でも、俺自身には価値がないって、ずっと思い込んでたんだ」

 手の中のスパナが、重くなった気がした。
 それは、これまで自分が抱えてきた“代替品としての存在価値”の象徴だった。

 「壊れた時、役に立てなかった時……俺は、“無”になると思ってた。
  でも──本当にそうなのか?」

 部屋の隅に、もう一つの映像が浮かび上がる。

 ──今回の航海中、彼が密かに修理した換気ダクト。
 ──それに気付かず快適に作業する仲間たち。
 ──誰も彼を褒めなかったけれど、誰も不満もなかった。

 「俺は……“気付かれないまま、誰かを支える”ことを選んできた。
  それって、何か間違ってたのかな」

 扉の前に、金属の箱が現れた。
 開くと、中には一枚の紙──彼がかつて提出をためらった“ロボット工学コンテスト”の応募用紙。

 そこには書きかけの言葉があった。
 ──《このロボットは、人を助ける“手”になれます》
 ──《だけど本当は、俺が誰かの“手”になりたいんです》

 誠は息を呑んだ。

 「俺が“作った道具”じゃなく、俺自身が役に立ちたいって、
  ……最初から、そう思ってたんじゃないか」

 誠は、ふらりとその応募用紙を取り上げた。
 端に小さく記されていた日付は、提出期限の前日だった。

 「……出せなかったんだ。自分の言葉に、自信がなかった。
  “俺なんか”が誰かを助けたいなんて、おこがましいと思ってた」

 だが今、この仲間たちと旅をしてきた日々がある。
 静かに支え、気づかれなくても役に立とうとする日々。
 それは、自分を偽った結果ではなかった。
 自分を肯定できなかっただけの、未完成な願いだった。

 「俺が作った道具が役に立つんじゃない。
  俺が、その手で、誰かに向かおうとすること自体に──意味があったんだ」

 誠の目に、じわりと涙がにじむ。
 手にしたスパナが、温かく輝き始めた。

 扉の前の認証装置が起動し、声が問う。
 《“あなた”がここに存在する理由は?》

 誠は、もう迷わなかった。

 「俺は、人の役に立ちたい。
  役に立てるかじゃなくて──立ちたいって思う自分で、ここにいたいんだ」

 その瞬間、装置が開き、扉の奥から淡い光が差し込んだ。
 それはまるで、“自分自身の価値”をようやく見つけた者を祝福するようだった。

 振り返ると、仲間たちが彼の背を押すように見守っていた。
 宗一郎がにやりと笑う。

 「言ったな、“俺がいたい”って。やっと本音出たじゃねえか」

 誠は照れ笑いしながら、それでもしっかりとうなずいた。
 自分は道具じゃない。自分が、“誰かのために在る”という意志そのものだと──ようやく言えたのだ。

 小さな一歩を踏み出す誠の足元で、機械の床が柔らかく振動した。
 それは、彼の“存在の肯定”に応えるような、小さな共鳴だった。

(第29章 完)