カラン、カラン……。
 足元を踏みしめるたびに、何かが割れるような乾いた音がした。

 千紘が立っているのは、鏡のような床と、ガラス片のような破片が無数に散らばる広間だった。
 壁には額縁が飾られ、そのすべてに彼女自身の笑顔が映っている。

 だが、どの写真にも“彼女しか”いなかった。
 友人の姿はない。仲間の姿もない。
 あるのは一人きりでトロフィーを掲げる彼女の笑顔だけ。

 「これ……私、だよね」
 千紘はそっと額縁に手を伸ばした。
 触れた瞬間、映像が動き出す。

 ──中学時代の音楽祭。
 ──グループ演奏で、最終的に彼女のピアノソロだけが賞を取った。
 ──結果発表のあと、メンバーの一人が彼女を避けるように背を向けた。

 「……あのとき、私、みんなに“ありがとう”って言ったよね」

 だが映像の中で、彼女はただ一人ステージに立ち、インタビューに答えていた。
 ──「自分の努力が報われてうれしいです」
 ──「ここまで来るのは、簡単じゃなかった」

 周囲の表情が、少しずつ曇っていく。
 称賛を独占した笑顔が、どこか空虚に見え始める。

 千紘はその場に膝をついた。

 「違うの。あれは、ほんとは……」
 声が掠れた。
 どこまでが言い訳で、どこまでが本音なのか、自分でもわからなかった。

 「みんなで取った賞だって……思ってた。でも……伝えてなかった。
  伝えてなかったら、それは“思ってない”のと同じだよね……」

 彼女の目に涙が浮かぶ。

 そのとき、部屋の中央の台座に、白紙の表彰状が投影された。
 ペンを取るように、光が促している。

 千紘は立ち上がると、ふるえる手でそのペンを握った。
 そして、こう書いた。

 ──「この成果は、私一人のものではありません」
 ──「喜びは、みんなと分け合って、初めて意味を持つものです」
 ──「ありがとう。一緒にいてくれて」

 書き終えた瞬間、床に散らばったガラス片がすべて虹色に変わり、軽やかな音を立てて空へ舞い上がっていく。

 舞い上がった虹色のガラス片は、まるで音符のようにきらめきながら旋回し、
 やがて壁の額縁に一枚ずつ吸い込まれていった。

 再び現れた写真は、まるで修正された記憶のようだった。
 そこには──
 仲間と肩を並べて笑う千紘。
 誰かの肩に手を置く千紘。
 拍手する彼女を見て、笑っている友人たち。

 「これが……本当に、見たかった景色……」
 彼女の頬をつたう涙は、悔いの涙ではなかった。
 それは、ようやく分かち合えた“喜び”の、静かな結晶だった。

 台座の上に浮かぶ表彰状が、一枚にまとまり、まばゆい光を放ちながら壁の中央へと吸い込まれていく。
 その瞬間、前方の扉がゆっくりと開いた。

 後方から駆け寄ってきた陽斗とマリアが、彼女の肩を軽く叩く。

 「お疲れ。……泣いてる?」
 「うるさいっ」
 千紘は笑いながら涙をぬぐい、胸を張って言った。

 「ちゃんと、みんなの名前、書いたよ。今度は独りじゃないからね」

 そう言って歩き出す背中は、少し誇らしげで、どこか軽やかだった。

 成功とは、何かを得ることじゃない。
 本当の成功とは、喜びを“共に”感じられる場所に立てたこと。

 千紘はそれを、ようやく手にしたのだった。

(第24章 完)