その部屋は、空っぽだった。
 誰の声も届かない、完全な静寂。
 壁には通信端末のような機器が何百も並び、そのすべてが赤く点滅している。
 ネットワーク遮断状態──まるで“孤立”そのものを象徴する空間だった。

 マリアはゆっくりと歩みを進め、中央の台座に立つ。
 まるで待ち構えていたかのように、映像が点灯した。

 ──幼い頃の自分。
 ──誰にも話しかけず、黙々とドローンを組み立てる少女。
 ──クラスの輪から外れ、担任の呼びかけにも応じない。

 画面の中で、少女マリアがぽつりと呟いた。

 「繋がると、壊れる。だったら最初から、繋がらなければいい」

 マリアの瞳が静かに揺れた。
 「……忘れてた。こんなこと、思ってたんだ」

 それは記憶というより、痛みの再上映だった。
 あらゆる人間関係が“裏切り”か“見捨て”で終わったという実感。
 仲間になると期待する。期待すると依存する。依存すれば、壊れた時に自分が傷つく。

 だから彼女は、最初から繋がらない方を選んだ。
 それは臆病ではなく、自衛という名の鎧だった。

 だが今、その鎧の意味を──彼女は問い直していた。

 「……でも、ここまで来たのは、一人じゃなかった」

 彼女はバックパックから、携帯端末を取り出す。
 通信は不通のまま。だが、モジュールには微弱な信号を拾う機能があった。

 「繋げ」
 マリアは短くそう言って、再接続操作を試みる。

 “ビーッ”というノイズ。
 数秒の沈黙のあと、小さな応答音。

 ──《……マリア? 聞こえるか? こちら陽斗、全員無事だ。君は?》

 通信が、つながった。

 ヘッドセット越しに聞こえる陽斗の声が、鼓膜の奥まで届いた瞬間、
 マリアは無意識に肩の力を抜いた。まるでそれだけで、世界との距離が一歩、近づいたようだった。

 《そっちはどんな状況?》
 《何か異常はある?》
 《無理するなよ、戻ってきてもいい》

 言葉の一つ一つが、マリアの胸の奥に染み込んでいく。
 これは報告ではない。確認でもない。
 “自分という存在”が、誰かの思考の中に確かにあることの証明だった。

 「……私は、大丈夫。少し、過去を見てた」
 《そっか。……戻ってくる? それとも、そこでもう少し?》
 「……もう少しだけ。すぐ追いつく」

 マリアは答えながら、端末の隅に表示された“接続成功”のアイコンに、じっと目を留めた。
 かつてはあれが“束縛”に見えた。
 だが今は違う。それは、“誰かと共にある”ための、静かな光だった。

 「繋がると、壊れる。けど……繋がらないと、何も始まらない」

 彼女は自分の過去映像を見つめながら、そっと画面に指を滑らせる。
 幼い自分が、小さなロボットに夢中になっている姿。
 ──無表情だった顔が、ふと笑った。

 その瞬間、室内の通信端末群が一斉に緑に変わる。
 赤い断絶の印は消え、代わりに“通話可能”を示すランプが柔らかく点滅を始めた。

 マリアはそのまま部屋を振り返り、無人の空間に向かって言った。

 「ありがとう。独りにしてくれて。
  でも今からは……一緒にいる」

 歩き出す。軽やかに、しなやかに。
 彼女はもう、“独り”ではなかった。

(第23章 完)