洞窟の奥へと続く階段を降りた一行は、巨大なドーム状の空間へと辿り着いた。
 その中心に、不釣り合いなほど古びた“木製の扉”がぽつんと立っていた。
 まるで学校の教室の入り口のような──どこか懐かしさと不安を同時に誘う存在。

 「なんで、こんなところに……」
 陽斗が眉をひそめる。
 マリアが周囲を警戒しつつ、端末を翳す。
 「金属反応なし。……でも、開かない。鍵が要るみたい」

 そのとき、実咲がふと足を止めた。
 ──扉の表面に、ひとつのプレートが嵌め込まれていた。
 そこには、見覚えのある日付と名前。
 そして──“決裁未了”という文字。

 それは、大学時代のプロジェクト。
 彼女がリーダーに指名されながら、プレッシャーに負けて“副リーダーに判断を譲った”ときの記録だった。

 「……やめてよ、そんなの」
 口に出した声は、誰にも聞こえないほど弱々しかった。
 けれど、扉の前に立つと──
 壁の映像が、彼女の“過去”を勝手に映し始める。

 映像の中の実咲は、皆に囲まれながらこう言っていた。
 「私は、どっちでもいいよ。任せる。みんなで決めて」
 周囲の視線が、期待と困惑の入り混じった色で彼女を見ている。
 その目から逃げるように、彼女は微笑みを作った。

 「私は決めない。責任、取れないから──」

 映像が止まり、今の彼女だけがその場に残された。
 木製の扉が、静かに軋む。
 鍵穴はひとつ──だが、鍵など持っていない。

 「……決めなきゃ、いけないの?」
 彼女の問いに、扉は答えない。
 代わりに、その表面に新しい文字が浮かび上がる。

 “責任の所在が不明なままでは、通過を許可しない”

 実咲は、扉の前で立ち尽くしたまま、心の中に押し込めていた過去をゆっくり掘り返すように思い出していた。
 大学のプロジェクト。誰かがリーダーを引き受けるしかなかった。
 けれど、彼女は一歩引いた。選ばれたのに、責任が怖かったから。

 ──私には向いてない。判断なんて無理。
 ──他の人の方が、ちゃんとできるから。
 そう言って、責任を他人に預けてきた。
 楽をしたつもりはない。でも、楽だったことは確かだった。

 だが今、目の前にあるこの扉は──
 そんな自分では開けられない。

 「逃げてた。私……ずっと、怖かっただけだ」
 吐き出すように言った言葉が、自分でも驚くほど重かった。

 その瞬間、扉の鍵穴がかすかに光る。

 実咲は、一歩前へ出た。
 右手を胸に当て、深く吸い込んだ息とともに、誰に向けるでもない宣言を放つ。

 「この先に進む責任は……私が引き受ける。誰のせいでもない。私が、決める」

 ぴたり、と音が止む。
 鍵穴の光が伸び、まるでそれ自身が“鍵”のように回転を始める。
 ガチャ──
 扉が、ゆっくりと開いた。

 風が吹き抜けた。
 湿り気を帯びた空気が、彼女の頬を撫でていく。

 背後で陽斗がぽつりとつぶやいた。
 「……よく言ったな、実咲」
 「すごいね」とにこも頷く。
 実咲は、照れくさそうに微笑みながらも、その目はまっすぐだった。

 「たぶん……今までで、一番ちゃんと“自分で決めた”かも」

 彼女が最初に通り抜けると、仲間たちも後に続く。
 開かれた扉の向こうには、さらに深く入り組んだ“迷宮の層”が待っていた。

 その一歩一歩が、“他人任せではない人生”への足音だった。

(第19章 完)