島の内陸へと足を踏み入れてしばらく、視界が突然開けた。
鬱蒼とした珊瑚質の林を抜けた先に、浅く光る湖面があった。
まるで鏡のような水──波ひとつ立たないその湖は、虹色の光を空に映し返していた。
全員が言葉を失い、ただその場に立ち尽くした。
「……静かすぎる」
陽斗が、反射的に声を低める。
「反響ゼロ。吸音されてるわけでもない……これは、心理的圧迫だ」
沙也加が端末を確認しながらつぶやく。
だが、にこは違う種類の不安を感じていた。
“何かを、見せられる気がする──”
それも、見たくない何かを。
湖の端に立ち、そっと水面を覗き込んだ瞬間だった。
──そこに、過去の自分がいた。
制服姿の高校生のにこ。
図書室の前で、友人から話しかけられている。
「ねえ、あの推薦のこと……。ほんとは、あなたが選ばれてたんでしょ?」
にこは、小さく首を振る。
「ちがうよ、たぶん……あたしじゃないって」
思い出した。
あれは、自分が推薦候補に選ばれたという通知を“見てしまった”あとで、
相手に気まずさを与えたくなくて──ごまかした場面。
「……うそ……」
自分の口から、ぽろりと言葉が落ちた。
“嘘をついた”という自覚は、当時はなかった。
ただ、穏便にしたかっただけ。
相手を気遣ったつもりだった。
だが湖は、それを容赦なく“映して”いた。
にこの膝が、すっと力を失うように折れた。
水面に反射する像──あのときの自分の“笑顔”が、今の自分にはとても耐えがたいものに見えた。
──私は、あのとき嘘をついた。
──正直なふりをして、“ほんとのこと”から逃げた。
「でも、それって……」
かすれた声が漏れる。誰に言うでもなく、自分自身への問いだった。
「相手を守りたかったからで、悪意なんてなくて……」
けれど、湖面の映像はその“言い訳”を飲み込むように、静かに輝きを濃くしていく。
にこは、目を閉じた。
「うそを、ついたんだ」
その瞬間、湖面が波紋を描いた。
反射していた映像がすっと消え、水面がただの水に戻る。
誰かが、背後からそっと肩に手を置いた。
振り返ると、そこにいたのは奏太だった。
彼は何も言わず、ただ隣にしゃがみ込んで、湖を一緒に見つめる。
「ありがとう。言ってくれて」
その一言は、何よりも優しかった。
責めない。ただ、共にその“認めた痛み”を抱えてくれるような、そんな言葉だった。
にこは深く息を吸い込む。
空気が重くても、喉が渇いても、それでも胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。
やがて二人は立ち上がり、再び歩き出す。
にこは思う。
“もう二度と、誰かのためと誤魔化して、自分に嘘をつかない”
そう誓ったその足が、先ほどよりも確かに地を踏んでいた。
(第17章 完)
鬱蒼とした珊瑚質の林を抜けた先に、浅く光る湖面があった。
まるで鏡のような水──波ひとつ立たないその湖は、虹色の光を空に映し返していた。
全員が言葉を失い、ただその場に立ち尽くした。
「……静かすぎる」
陽斗が、反射的に声を低める。
「反響ゼロ。吸音されてるわけでもない……これは、心理的圧迫だ」
沙也加が端末を確認しながらつぶやく。
だが、にこは違う種類の不安を感じていた。
“何かを、見せられる気がする──”
それも、見たくない何かを。
湖の端に立ち、そっと水面を覗き込んだ瞬間だった。
──そこに、過去の自分がいた。
制服姿の高校生のにこ。
図書室の前で、友人から話しかけられている。
「ねえ、あの推薦のこと……。ほんとは、あなたが選ばれてたんでしょ?」
にこは、小さく首を振る。
「ちがうよ、たぶん……あたしじゃないって」
思い出した。
あれは、自分が推薦候補に選ばれたという通知を“見てしまった”あとで、
相手に気まずさを与えたくなくて──ごまかした場面。
「……うそ……」
自分の口から、ぽろりと言葉が落ちた。
“嘘をついた”という自覚は、当時はなかった。
ただ、穏便にしたかっただけ。
相手を気遣ったつもりだった。
だが湖は、それを容赦なく“映して”いた。
にこの膝が、すっと力を失うように折れた。
水面に反射する像──あのときの自分の“笑顔”が、今の自分にはとても耐えがたいものに見えた。
──私は、あのとき嘘をついた。
──正直なふりをして、“ほんとのこと”から逃げた。
「でも、それって……」
かすれた声が漏れる。誰に言うでもなく、自分自身への問いだった。
「相手を守りたかったからで、悪意なんてなくて……」
けれど、湖面の映像はその“言い訳”を飲み込むように、静かに輝きを濃くしていく。
にこは、目を閉じた。
「うそを、ついたんだ」
その瞬間、湖面が波紋を描いた。
反射していた映像がすっと消え、水面がただの水に戻る。
誰かが、背後からそっと肩に手を置いた。
振り返ると、そこにいたのは奏太だった。
彼は何も言わず、ただ隣にしゃがみ込んで、湖を一緒に見つめる。
「ありがとう。言ってくれて」
その一言は、何よりも優しかった。
責めない。ただ、共にその“認めた痛み”を抱えてくれるような、そんな言葉だった。
にこは深く息を吸い込む。
空気が重くても、喉が渇いても、それでも胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。
やがて二人は立ち上がり、再び歩き出す。
にこは思う。
“もう二度と、誰かのためと誤魔化して、自分に嘘をつかない”
そう誓ったその足が、先ほどよりも確かに地を踏んでいた。
(第17章 完)



