深夜――天守に併設された奉行所の奥、
 厳重に封じられた公文書庫の扉が、静かに開いた。
 響子は燭台を掲げ、手にした布袋から小冊子を取り出した。
 それは、美鈴が周到に複写してきた摂政家の帳簿の写し――贈賄、賄賂、脱税、収奪。
 法に触れる数字が、まるで血痕のように綴られていた。
 彼女は鼓楼の鐘の音を待った。
 それが合図だ。地下で拓巳と智子が摂政を揺さぶる間に、
 城内すべての耳目をこちらへ向けさせる――それが役割だった。
「時刻、丑の二つ刻。よろしい、開始します」
 響子は帳簿を片手に、奉行所の伝声管――
 すなわち城全体に響く法令通達用の放送管へと語りかけた。
「こちらは、奉行所・書記官 響子である。
 ただいまより、摂政家の公金使用に関する調査結果を朗読する」
 静まり返る城内に、その声は低く、明晰に響いた。
「第一項目――領内耕作地における強制徴用とその謝金の未払い。
 対象人数、二百四十二名。未払い額、金五百二十四両」
「第二項目――城下警備費名目の虚偽計上。
 実際には賄賂として、武家奉行三家へ金三百両ずつが流出」
 響子の声は一切の感情を伴わず、それでいて、
 その事実の重さを的確に届ける冷徹な刃のようだった。
 やがて、奉行所の外でざわめきが起こる。
 夜番の兵士たちが慌てて廊下を駆け、城内の文官らが顔を青くして声を潜める。
「空気など要りません。必要なのは、事実のみ」
 響子は帳簿の一ページをめくる。
 その背筋は、まるで鍛えられた刀のようにまっすぐだった。
「第五項目――“緋鶴遊郭”より摂政家への献金。
 名義は接待費。だが、実態は“政治的抱き込み”である。
 ……接待相手の名簿には、幕府役人十四名の名が含まれる」
 しん、と鼓楼が再び鳴った。
 人々は黙り込み、耳をそばだてるしかなかった。
 すでに民たちの間では、「黒狐の一手」なる噂が広まっていた。
 だがこの夜、
 噂ではなく、法と記録に裏付けられた「暴露」がなされたのだ。
 ――誰もが、真実に向き合わねばならなくなった。
 響子は帳簿を閉じ、最後に一言を残す。
「すべての記録は、奉行所前掲示板に写しを貼り出す。
 私は、ただ事実を述べたに過ぎない」
 それだけを言い終えると、彼女は道具を整え、席を離れた。
 何も誇らず、何も責めず。
 論理だけを武器に、正しさを城の空に解き放った。