冬至の朝、まだ陽も昇り切らぬ桜洛の北門裏。
そこは普段、人も獣も通らぬ忘れられた水路の上。
冬の寒波が何日も続いたせいで、流れは完全に凍結していた。
拓巳は、その氷の上に立っていた。
つま先で氷を軽く蹴る。乾いた音が返る。
「……滑らんな。使える」
「予想通りです。厚さ六寸。脚軽でも走れるでしょう」
声の主は、塀の上。凌が、すでに天幕を超えて姿を現していた。
手には縄と鉄爪。背の荷からは、夜間用の黒装束がわずかに覗いていた。
「水路の中央から十五間先。門の真下に潜り抜ける小橋があります。鎖を掛け、扉を開けば、三十人までは一度に進入可能です」
「……完璧だな、凌。さすがだ」
拓巳はそう言いながら、氷の上を滑るように数歩進んだ。
その姿は、まるで舞台の上の舞のように無駄がなかった。
「だが、問題は“音”だ。夜が明けきれば氷鳴りが響く。陽が昇る前に渡り切らねば意味がない」
「そのために、時間を読みました」
凌は腕のなかから、巻き簾に包まれた砂時計を取り出した。
粒は細かく、冬の空気でも滞ることなく落ちていく。
「この刻限――四半刻のうちに、すべてを済ませます。私が塀を降ろし、鎖を掛け、あなたが合図を出す。その間に、裏門を爆破する部隊が動く。……順です」
拓巳はふと、目を細めた。
「……まるで、舞台の転換だな」
「は?」
「見せ場は終幕に持ってこい。だが、こういう舞台裏の仕込みが、一番“芝居”を支える」
言いながら、氷上を一閃。拓巳は体を回転させ、氷を撫でるようにして止まった。
どこか楽しげですらあるその顔に、凌はあいまいな苦笑を漏らす。
「……まったく、肝が冷える場面で余裕ですね」
「冷えてるからこそ、火を入れたくなるんだ」
拓巳は最後に、帯から取り出した煙管を指ではじいた。
火をつけずに、ただその香木の残り香だけを吸い込む。
「今夜、すべてが変わる。お前の動きが、それを導く。……頼んだぞ、凌」
凌は一礼する。
「心得ております。……私もまた、“闇”を進むためにここにいます」
そして、彼は再び壁を登った。
冬の空に溶けるような黒影が、静かに塔を超えていく。
凍てついた水路は、これから炎を通す通路になる。
そこは普段、人も獣も通らぬ忘れられた水路の上。
冬の寒波が何日も続いたせいで、流れは完全に凍結していた。
拓巳は、その氷の上に立っていた。
つま先で氷を軽く蹴る。乾いた音が返る。
「……滑らんな。使える」
「予想通りです。厚さ六寸。脚軽でも走れるでしょう」
声の主は、塀の上。凌が、すでに天幕を超えて姿を現していた。
手には縄と鉄爪。背の荷からは、夜間用の黒装束がわずかに覗いていた。
「水路の中央から十五間先。門の真下に潜り抜ける小橋があります。鎖を掛け、扉を開けば、三十人までは一度に進入可能です」
「……完璧だな、凌。さすがだ」
拓巳はそう言いながら、氷の上を滑るように数歩進んだ。
その姿は、まるで舞台の上の舞のように無駄がなかった。
「だが、問題は“音”だ。夜が明けきれば氷鳴りが響く。陽が昇る前に渡り切らねば意味がない」
「そのために、時間を読みました」
凌は腕のなかから、巻き簾に包まれた砂時計を取り出した。
粒は細かく、冬の空気でも滞ることなく落ちていく。
「この刻限――四半刻のうちに、すべてを済ませます。私が塀を降ろし、鎖を掛け、あなたが合図を出す。その間に、裏門を爆破する部隊が動く。……順です」
拓巳はふと、目を細めた。
「……まるで、舞台の転換だな」
「は?」
「見せ場は終幕に持ってこい。だが、こういう舞台裏の仕込みが、一番“芝居”を支える」
言いながら、氷上を一閃。拓巳は体を回転させ、氷を撫でるようにして止まった。
どこか楽しげですらあるその顔に、凌はあいまいな苦笑を漏らす。
「……まったく、肝が冷える場面で余裕ですね」
「冷えてるからこそ、火を入れたくなるんだ」
拓巳は最後に、帯から取り出した煙管を指ではじいた。
火をつけずに、ただその香木の残り香だけを吸い込む。
「今夜、すべてが変わる。お前の動きが、それを導く。……頼んだぞ、凌」
凌は一礼する。
「心得ております。……私もまた、“闇”を進むためにここにいます」
そして、彼は再び壁を登った。
冬の空に溶けるような黒影が、静かに塔を超えていく。
凍てついた水路は、これから炎を通す通路になる。



