秋彼岸の夕刻、風は冷たく、紅葉はわずかに色づき始めていた。
 桜洛の西丘にある小さな社――誰も訪れぬその静かな場所に、拓巳と智子は並んで立っていた。
 社の周囲は草に覆われ、古びた賽銭箱には、蜘蛛の巣がかかっている。
 だが、空は澄み渡り、風が竹林をすり抜ける音が心を静かに打った。
「……この社、覚えているか?」
 ふいに、拓巳が口を開いた。
「はい。……春の日に、あなたと初めて“まともに言葉”を交わした場所です」
「そうか。俺には“初めて、救われた”と感じた日だった。……おまえの布が、俺を庇ったからな」
 拓巳は、懐から一枚の反物を取り出す。春の日、智子が彼に差し出した、あの粗織りの布。まだ、血の跡が薄く残っている。
 智子は目を伏せる。あのとき、自分はただ、目の前の人を助けようと咄嗟に動いただけだった――それが、こんなところまで彼女を運んできたのだ。
「智子。……おまえを“闇の中”に引き込んだのは、俺だ。後悔はしていない。だが、赦しを乞う気持ちはある」
 その声には、あの黒狐の面影はない。拓巳の眼差しは、どこか脆く、どこか温かい。
「私は……あなたに導かれてきました。けれど、私が進むと決めたのです。リスクも、迷いも、すべて自分の手で選びました」
「ならば、聞かせてくれ。おまえは、これから何を織る?」
 智子は答える代わりに、袖をまくり、掌に乗せた小さな布を見せた。
 それは未奈と共に試作した、試作品の“光纏絹”――闇の中でほんのりと光を放つ、特殊な糸を織り込んだものだ。
「これは、闇のなかで、ただ光を誇る布ではありません。闇を恐れる者の肩に寄り添い、希望を映す……そんな布です」
「光と闇を、両方、纏うのか」
「ええ。人もまた、そうあるべきだと、今は思います。あなたのように。……そして、私も」
 拓巳は小さく笑った。
 その笑みに、かつての策士の鋭さはなく、ただ一人の“人間”としての揺らぎがにじんでいた。
「悪を背負う。だが、善を忘れぬ。そんな道を、おまえと歩けたこと……ありがたく思う」
「私も。……あなたと出会えて、良かった」
 竹がざわめき、赤くなり始めた葉がひとひら、二人の肩に落ちた。
 それは、罪と赦し、そして未来を織る者たちに捧げられた、秋の祈りのようだった。