仮面舞踏会の夜も、深さを増す。
  金と絹で飾られた会場の余韻が残る中、静かな離れ座敷にふたりの影があった。
 「……本当に、これが全て?」
 智子の声は、わずかに震えていた。
  その手には、美鈴と真之介が命懸けで写した巻物の写し。
  ――賄賂帳、献上品の抜け荷記録。
  そして、摂政家が裏で操る密貿易の証。
 「すべて、だ」
  拓巳は火鉢のそばに腰を下ろし、炎をじっと見つめていた。
 「これを世に出せば、摂政家は終わる。だが、その前に……もっと深く、あの“闇”を割らねばならない」
 「……あなたの言う“闇”って……」
 「民を騙し、飢えさせ、自分の名を太らせる支配者たちのことだ。奴らは根を張っている。上層ばかりではない。町人にも、武士にも、役人にも」
 智子は返す言葉を失う。
  これまで彼の行動の裏にあった“理(ことわり)”が、徐々に明らかになるにつれて、拓巳の背負う“重さ”が、自分にはまだ計り知れぬものだと知る。
 「君に、この先も歩ませるには――」
 拓巳はそこで言葉を切った。
  炎の揺らぎが、その瞳に“ためらい”を映している。
 「……私は悪役で構わぬ。いや、むしろそう在ることで、君が汚れずに済むのなら、それでいい」
 智子ははっと顔を上げた。
 「そんなふうに……自分だけが泥を被るつもり?」
 「泥どころではない。剣を抜き、人を騙し、命を奪う。私は、そういう道具になった。誰もが成し得なかったことを、成すためにな」
 その瞳には迷いはない。
  けれど、同時に“哀しみ”の色が濃く滲んでいた。
 智子は、小さく息を吸い、そして膝を進めた。
 「私には……そんなこと、できない。嘘も、策も、誰かを犠牲にすることも」
 拓巳の目が、一瞬揺れる。
 「けれど、私は……あなたの目指す“先”を見たい。暗闇の先に、何かがあるなら、私も一緒に見たいの」
 彼女は懐から、まだ機を終えていない試作の反物を取り出した。
  それは、白布の上に金糸で“ほの光”を刺したもの。
 「これは“光纏絹(ひかりまといぎぬ)”の試し織り。まだ未完成だけど――あなたに、見てほしかった」
 「光……を、纏う布……か」
 拓巳の声がわずかに低くなる。
  彼の目が、その布の織り目を見つめる。そこには、どこまでも真っ直ぐな意思が編み込まれていた。
 「君は、やはり……“光”だな」
 「違う。私は、怖がりで、逃げたくて、でも、あなたと共に在りたいと思ってしまっただけ。だから、私は……」
 布をそっと彼の膝に置き、智子は言った。
 「あなたの“闇”の中に、この布が役に立つのなら、私は、喜んで光で在るわ」
 拓巳はしばし沈黙し、そしてゆっくりと布を抱きしめるように手に取った。
 「……“光を抱いた悪役”か。――案外、悪くない生き方かもしれないな」
 その声には、初めて滲んだ柔らかな温度があった。
 月が雲の合間から差し込み、ふたりの影をひとつにした。