黒狐の悪謀、光を織る姫──和ノ国、咎と誓いのシンデレラ

 舞踏会を翌日に控えた晩、屋敷の裏にある工房の窓からは、かすかな明かりが漏れていた。虫の音すら届かぬほど静まり返った宵、そこにはふたりの人影があった。

 ひとりは、無表情で黙々と作業を続ける少女――未奈。
 もうひとりは、目の前の機械に興味津々で身をかがめる、背の高い大男――広大。

 「これ……マジで、動くの?」

 広大がしゃがみ込み、軸受けに指を入れて、金属の継ぎ目をじいっと覗き込む。工房の灯りを背にしたその姿は、まるで祭の屋台を見つめる子供のようだった。

 未奈は、何も言わなかった。声を発することなく、目の前の“それ”に細かな部品を組み込んでいく。その姿には、迷いもためらいもなかった。彼女の手が触れているのは、糸車――ではない。

 それは、糸車を改良して作り上げた“回転式二重繰糸機”。
 従来の踏み板駆動ではなく、横手式の推進ギアを採用。
 振動を抑えるための繭座が左右に備えられ、さらには繰糸の光量を調整するための小型の反射盤まで設けられている。

 工房の片隅に積まれた道具や木片が、それが即席の改良品ではなく、緻密に設計された一台であることを物語っていた。

 「なんか、すげぇ……祭りの屋台よりすげぇ……」

 広大が感嘆の声を漏らす。彼の太い指先は、慎重に軸をなぞりながら、その構造を見極めようとしていた。歯車の噛み合わせ、糸の張力、滑車の回転角度――見よう見まねでも、それが“ただ者ではない”ことは彼にもわかった。

 そんな広大の反応にも、未奈は特に表情を変えない。ただ、調整ネジを最後のひとつまで締めきったとき、ほんのわずかに手を止めた。

 「……回す?」

 その一言だけで、広大はぱっと顔を上げて頷いた。

 「おう!」

 彼が意気込んで横手のハンドルを握り、力を込めると、金属の機構が滑らかに動き出す。ごとりという音もなく、まるで空気を滑るように、二重繰糸機の輪が静かに回転を始めた。

 「……っ! 回転数……前より早ぇ! しかも、静かすぎる……!」

 耳を澄ませばわかる。普通の糸車が持つ“カラカラ”という規則的な音が、まるで奥に沈み込んでいるかのように抑えられている。響かず、鳴らず、ただ動く。まるで、音を押し込めて回っているかのようだった。

 未奈はその様子をじっと見つめていた。頬に汗がひとすじ、静かに伝う。

 「お前、ほんっとすげぇな。なんでそんな顔ひとつ変えずに、こんなの作れんだよ……」

 広大が思わず口にしたその言葉に、未奈は答えなかった。けれど、彼女の顔――普段は仏のように無表情なその頬に、かすかに赤みが差していた。

 「……智子のため」

 ぽつりと、未奈はつぶやいた。

 「へ?」

 「“これがあると助かる”って、言ったから。……それだけ」

 その言葉に、広大の顔がぱっと明るくなる。心から嬉しそうな、まっすぐな笑顔だった。

 「そっか……そうか。人のために本気出せるって、やっぱ、すげぇよ」

 「すごくない」

 未奈は即答した。だがその口調には、いつもの無機質さに混じって、わずかに照れの色がにじんでいた。

 「私、道具作るしか、役に立てない。だから、せめて……誰かの“間に合う”を作る」

 その言葉には、誇りと願いが込められていた。“目立たないけれど、誰かの一助になりたい”という、未奈なりの矜持が。

 広大は、その言葉を聞いて力強く頷いた。

 「じゃあさ、おれも“運ぶ係”やるわ。これ、智子さんと薫さんとこまで、担いで持ってく。あんたはもうひとつ作っといて!」

 「……わかった」

 未奈は短く答えた。

 設計図を広げ、また別の改良案に目を走らせる。工房に紙がめくれる音と、鉛筆が走る音が響く。

 だが、彼女の手つきにはさっきよりも少しだけリズムがあった。繰り返す動作の中に、微かに心の高まりが見え隠れしている。

 工房の灯りが、今夜も変わらず揺れていた。けれど、その揺らぎには――どこか温かな色が混じっていた。