桜洛・市中の南端、四条広座。
 そこは町人たちの賑わいと物売りの掛け声が入り混じる、俗と活気の真ん中だった。昼下がりの陽が行き交う人々の肩越しに差し込み、軒先の干物や香の煙がゆらりと揺れていた。

 その一角に、今日だけ奇妙な“屋台”が現れていた。

「ほらほら見てって〜! 異国のプリンセスと幻の絹! 感動の超大作――《絹姫伝説》、限定本ですよ〜!」

 呼び込みの声がやたらに通る。和傘を広げた布屋の陰に、即席で作られた木箱の台。その上で、異国風の衣装を着た少女が勢いよく冊子を掲げ、まるで舞台の上の役者のように堂々と手を振っていた。

 彼女の名はエマ・バードン。
 アクセルに同行して桜洛入りしたばかりだが、どうやら職務とは別に“個人的使命”があるらしい。小柄な体をめいっぱい使って、身振り手振りを交えながら熱弁をふるっていた。

「これ、わたしの描いた同人誌なんですけどね! モデルは桜洛の織姫と、黒装束の策略家――ふたりの禁断の愛と陰謀の物語! すごくない?」

 その言葉に、通行人たちが足を止める。奇抜な表紙に惹かれて覗き込む者、くすくす笑う者、真剣に読み耽る者までいる。

 そこへ、偶然通りかかったのが、買い出し帰りの智子だった。籠を手に、菓子舗からの帰り道。ふと耳に飛び込んできた“織姫”という単語に、無意識のうちに立ち止まっていた。

(……あれ? この絵、どこかで……)

 エマの冊子の表紙には、なんと緋色の反物を抱えた女性と、仮面をつけた男が寄り添う絵。筆致は稚拙ながら、妙に情感がこもっていて、見覚えのある色遣いだった。

(まさか、私……?)

 智子は混乱しかけたが、すぐに周囲のざわめきがそれを押し流した。

「おお、見てみい! これ、噂の“仮面姫”やないか?」
「こっちは“黒狐”じゃろ、あの政の裏で暗躍するっていう……」

「実話を元にしたフィクションです! 一部誇張はあります! でも魂は実在です!!」

 叫ぶエマ。笑う町人。売れていく冊子。
 智子は思わず近づき、小声で囁いた。

「……これ、どこから情報を?」

「あ、あなたが智子さん?」

 エマはぱあっと目を輝かせた。その瞳は本気だった。

「え、ホンモノ!? あの糸を織った、あの姫様!? うわあ、感激っ!」

「ち、違います、私はただの……!」

「すごいよ! あなたの織った布、うちの国の王妃様がご所望になるかもってアクセルが!」

「そ、そんな……」

 智子は混乱しつつも、エマの言葉の中に真剣な想いを感じ取っていた。布の向こうに、誰かの憧れや夢が宿るということ。――それは、彼女がいつか願っていた“届く織物”の形に、どこか似ていた。

 そのとき、町の背後から怒声が飛んだ。空気が一気に引き締まる。

「なんじゃこの騒ぎは! 無許可の販売など――」

 奉行所の下役が、腰に脇差を下げたまま人垣をかき分けてやってくる。町人たちがわずかに引き、空気が一瞬だけ静まった。

 だが、エマはまったく動じなかった。むしろ、すっくと背を伸ばし、手にした冊子を堂々と掲げた。

「これは文化活動です! 架空物語です! 著作権は私にあります!」

 異国訛りの言葉に、下役は眉をひそめる。

「き、きさま、それは何語で――」

「ジャパニーズ・フリーダム・オブ・エクスプレッション!!」

 エマの叫びと共に、周囲からどっと笑いが起きた。子どもが拍手し、大人たちが肩を揺らして笑う。下役はあっけにとられ、言葉を飲み込んだまま一歩後ずさった。

 その隙をついて、エマは満面の笑みで智子の手を取った。

「あなた、本当に素敵なヒロイン。私は全力で応援する!」

 その手の温かさに、智子は戸惑いながらも少しだけ微笑んだ。異国の少女が、自分の織った布に夢を見て、その夢を人に伝えようとしてくれている。その情熱が、まっすぐに胸に届いた。

 たしかに、恥ずかしい気持ちはあった。顔を赤くしたいくらい、仰々しい表紙や物語の演出。しかし、それでも――

(こんなふうに、見ず知らずの誰かが、私の織ったものに想いを重ねてくれる)

 そのことは、不思議と嬉しかった。

 それは、誰かと心をつなぐ糸のようで。

 桜洛の空は、少しだけ澄んで見えた。