公園のベンチ。
 ぼくはクラスメイトの関口玲凪(せきぐちれな)とそこにいた。
 
 玲凪は両手を腰に当てたまま、ぼくの前に立ちはだかっていた。
 そしてぼくを見つめると、ふう、とひと息ついた。
 
「さて、と……。
 まず、これから話すことは、あたしと滝浦くんとの間だけの秘密にしてもらって、いいかな?」

「もちろん。
 約束する」
 
 ぼくは即答した。
 すると、玲凪はスカートの後ろを両手でかかえ、ふたたびベンチに腰掛けた。
 そして、愛嬌のある笑顔をまたぼくに向けて続けた。
 
「オッケー。約束ね。
 それでは、経緯を話します」

 玲凪は空を見上げた。
 そして、頭の中で記憶をたどったり順序を整理するときの癖なのだろう、なにかを追うかのように青空に向けて目を動かしながら、彼女の二人の友だち、つまり鮎原明美(あゆはらあけみ)菊池紗英(きくちさえ)がケンカするに至った経緯をぼくに話し始めた。

 「……えとね、話の発端は先週月曜日のこと。
 明美と紗英とあたし三人で、休み時間に話してたのね。
 始めのうちはいつものように、たわいもないことを言って大笑いする、そんなだけの会話だったんだけど。

 で、そのときに紗英があるものをあたしたちに見せたの。
 それは、紗英が付き合ってる彼氏からもらったっていう、かわいいキャラのぬいぐるみ。
 A組に高光啓(たかみつけい)くんって人がいるんだけど、紗英は新学期になってすぐぐらいから、彼と付き合い始めたのね。

 紗英の話によると、前日の日曜日に二人でゲーセンに行って、クレーンゲームで引き当てたペアのぬいぐるみを分け合ったらしい。
 つまり、そのぬいぐるみは紗英の彼氏からのプレゼント、愛の証、ってわけ。
 紗英は、そんなぬいぐるみの経緯をあたしたちに説明して、そしてそれを紗英のリュックにつけていつも持ち歩くようにしたって、うれしそうに言ってた。
 明美とあたしは、紗英と高光くんの仲を応援するよ、って励ましたの。
 そのときは、なにも不穏な空気は感じなかった。少なくともあたしには。
 
 それから数日後、木曜日。
 あたしたちが体育の時間で教室を留守にして、もどってきた昼休み前に事件は起こったの。

 紗英のリュックにつけられていたぬいぐるみがなくなってた。
 最初に見つけたのは明美。ふと紗英の机の脇にかかっていたリュックを見て、

「あれ?紗英のぬいぐるみ、どうしたの?つけるのやめたの?」

 「え?」

 そこから紗英が大騒ぎになっちゃって。
 
 「ぬいぐるみ、盗られた!」って。
 
 ファスナーの取っ手にある通し穴に、ぬいぐるみから出ているひもをしっかりと結んでいたから、自然にほどけて落ちるとかは絶対あり得ない、って。
 
 「だいたい朝、家を出て学校に着いて、この机にかけるまでぬいぐるみがちゃんとついているのを見ているから!」
 
 って、紗英は言ったの。

 次の授業があるから、いったんそこで紗英は黙ったんだけど、相当苛立ってるのは後ろの席から見てても明らかだった。
 
 それからの休み時間ごとにも、あたしたち三人で必死に心当たりのありそうなところを探し回った。
 だけど、どうしてもぬいぐるみは見つからない。

 そのうち、紗英は明美にこう言い始めたの。

「……ぬいぐるみ盗ったの、あんたじゃないの?」

「え?
 紗英、なに言ってんのよ。
 あたしが盗むわけないじゃない?」

「……わかんないじゃない……。
 あんたには、盗む理由がある。
 だいたい、なくなったのを最初に教えたのもあんたよね。
 怪しいよ」

「なにバカ言ってんの!!
 んなこと、するわけないでしょうが!」

 こんな流れで、紗英と明美はケンカになっちゃった。
 あたしはそのときには、なんでこんなことになっちゃったのかわからなかったし、ただオロオロしてしまって……。
 結局、その日は三人ともバラバラに帰った。
 あたしも、二人のどっちにも味方できないじゃない?
 だからね……」

 そこまで話すと玲凪は憂鬱そうに、ふーっ、とため息をついた。
 そして両腿に肘をついて両手で頬杖をつくと、ぼんやりと前を眺めた。

 玲凪の悲しい気持ちは、ぼくにもわかった。
 なにか彼女を慰めるようなことを言おうかとも思ったが、言葉が思いつかない。
 
 しばらくすると、玲凪はこう話を続けた。

「……でもね、紗英が明美にそんなことを言い始めたのには、理由があったの。
 そのことを、家に帰ってから思い出した……」

 ぼくは玲凪の顔を見た。
 うつむいた横顔は、先を続けるのを逡巡している表情にも見えた。

「どういうこと?」

 ぼくの目つきを見た玲凪は、ちょっと気圧されたようだった。
 少しの間、視線を下の方に泳がせてから、意を決したようにぼくを見つめ直すと口を開けた。

「と、いうのはね……。
 そのぬいぐるみ事件が起こる前、二週間くらい前かな。
 紗英が高光くんと付き合い始めた、って明美とあたしに初めて伝えてきたときの話になるんだけど……。
 実は、紗英からそのことを聞かされた明美がね、こう言いだしたの。
 
「……高光くんは、やめたほうがいいよ!」

紗英もあたしも、びっくりしちゃって。
だって、なんで明美がそんなこと言い出したのか、わからないから。

「なんで明美がそんなこと言うの?
 あんた、高光くんのこと、なにを知ってるっていうの!」

紗英はそう言って、明美にくってかかった。
するとね、明美がこう言ったの。

「高光くんのこと、先に好きだったのは、あたしよ!」
 
 そこからは明美も紗英も、おたがいすごいヒステリックになっちゃって。
 言い合いになったの」

「ははあ……。
 三角関係、というわけか」

「三角関係、か……。
 あたしは好きじゃないけど、そういう言葉。
 でもまあ、そういうことだね」

「で、そのときはその後どうなったの?」

「あたしが間に入っていさめたんで、いちおうそのときは収まった。
 それ以上険悪な雰囲気にはなるのは、とりあえず避けられたの。
 まあしかたないよね、これまでどおり仲よくしよう、って感じで」

「ふむふむ」

「でもね……」

 そう言いかけた玲凪の表情には、一抹の不安が見てとれた。

「なんかおかしいな、って思うんだ。
 っていうのは、紗英は高光くんと1年のときも同じクラスだったし、そもそも中学のときからの知り合いなんで、そういう仲になって不思議じゃないのはよくわかるんだけど、明美と高光くんとは中学も別だし、高校でも同じクラスだったことはないし、部活もちがうし……。
 明美と高光くんの二人には、接点が全然ないんだよね」
 
 玲凪の話に、ぼくは聞き耳を立てた。

「ほう……」

「つまり、明美が高光くんに出会った時期とか、好きになったきっかけが、つかめないんだ」

「なるほど……」

 ぼくはその一言だけ返すと、考えた。

 ひととおり聞いた話だけだと、よくある一人の男の子をめぐっての女の子どうしの争い、って感じだが……。

 でも、ちがう。

 顔を曇らせてうつむいている玲凪に、ぼくは尋ねてみた。

「ぬいぐるみがなくなったの、体育の時間の間って言ったよね?」

 玲凪は顔を上げてぼくを見た。

「うん」

「菊池のリュックは教室に置いてたんだよね?」

「そう。
 着替えのため女子はみんな女子更衣室に行ったんだけど、その時点では紗英はなにも言ってなかったから、そのときはまだちゃんとあったんだと思う」

 ぼくは玲凪に、確かめるようにこう言った。

「……昼休み前の時間ってことは、3限だな……。
 この時間帯は、廊下の人通りも多そうだし、空の教室に忍び込むようなやつがいたとしたら、目立つだろうな。
 その教室のクラスの人間なら別だけど。
 ……体育の時間に、途中で抜け出た人はいなかった?」

 玲凪は思い出すように、うーん、と言ってしばらく考えるしぐさをした。

「明美はずっとあたしたちといっしょにバレーボールやってたから犯人じゃないし……」

 そして、はっ、と思い出したように、

「そういえば!
 秋野さんがトイレ行ってくる、って言って途中で出ていったかな。
 ……でも、秋野さんが盗むわけないよ。
 だいたい、紗英とほとんどかかわりもないし」

と言った。

 ふむ。

秋野仁美(あきのひとみ)だな。
 関口さんや鮎原とも、ふだんほとんどつきあいはないの?」

 玲凪はきっぱりとした口調で答えた。

「秋野さんは森田さんたちのグループといつもいっしょだから、あたしたちのほうに入ってくることは全然ないね。
 だいいち、秋野さんには彼氏がいるから。
 彼氏に会いに行ってることが多いんじゃないの?」

「彼氏って、だれ?」

「C組の角田(つのだ)くんだよ。
 角田郁人(つのだいくと)

 角田郁人というのは、隣の2年C組にいる男子だ。
 ちょっとチャラい感じだが、まあまあイケメンなやつではある。

 しかし、新たな登場人物が二人、か。

 ぼくは玲凪にふたたび顔を向けて言った。
 その勢いに、玲凪がちょっとびっくりしたように見えた。

「……あのさ。
 鮎原と高光が接点がない、って言ってただろ。
 ってことはさ、鮎原が高光のことを好きだ、って言ったのはさ、鮎原がうそを言ったか、それとも鮎原がなにか別のことを隠そうとして、そういう作り話をした、とは考えられないかな?」

「……え?
 別のこと……って?」

 ぼくは腕を組んで上を向いた。

「……んー、いまはまだわからないけど、それが高光になにか関係してるんじゃないか、とか。
 菊池が高光とつきあうことに反対した、というのは、鮎原は高光に関してなにか知ってることがあるとも、考えられる」

 玲凪は半ば口を開けて、ぽかーんとした顔でしばらく考えているようだったが、急にひらめいたように目を大きく開けて叫んだ。

「それ!そうかも!
 ……でも、なにか、って、なにを知ってるのかな」

「え、それに思い当たることがないのに同意するのかよ!」

「……ごめん……。
 ただ、滝浦くんの目のつけどころがナイスだな、となんとなく思ったんで……」

 おいおい。だいじょうぶか。
 それだけで気安く同意するなよ。

 ぼくは、ふうっ、とため息をついた。
 そして、頭の中で言葉を整理しながら玲凪に言った。 

「関口さん、これ、少し調べる必要があると思わないか?
 いま、きみの話に出てきた人物それぞれについて、相関関係をまとめたいな。
 なにか新たにわかることが出てくるような気がするんだ。
 ……そして、ぬいぐるみを盗んだ真の犯人がだれかも、ね」

 玲凪は、うんうん、とうなずきながらぼくの話を聴いていた。
 で、ぱっ、と表情を明るくするとまた立ち上がって声を上げた。

「……調査だね!
 事件当日、当時間の各人物の行動を調べる。
 そして各人の証言を集めて、それをもとに実際に起こったことはなにか、隠された事実はなにかを推理する……。
 まさに探偵の仕事だね!ワオ!」

 そう言うと玲凪は飛び跳ねて、ワーイ!と雄叫びを上げた。
 おい!
 早合点するな。
 
「ちょっと待て、関口さん。
 探偵って、こんな学校の中の小さな出来事の調査だろ。
 大げさすぎるよ」

「え、なんで?
 小さな事件って、あたしたちにとっては学校の中の大事件だよ!
 それを滝浦くんとあたしの二人で解決するんだよ!
 すごくない?」

 そう言って玲凪は跳び上がる。
 やれやれ。
 村上春樹ふうにこう言ってみたくなる。

 だけど確かに、やること自体は基本的には探偵の仕事と同じだ。
 つまり、ぼくと玲凪の二人で、調査を進めるのがいいだろう。
 玲凪はこの事件の当事者たちの親友であり、また顔が広くそのほかのクラス内外の人物のことも知っている。
 この学校ではほぼ「校内引きこもり」に近いポジションのぼくよりも、聞き込みをするのにははるかに適役だろう。

 いっぽうぼくには、推理と洞察力がある。
 こいつは自分でも少々自信がある分野だ。
 だから、集まった事実、証言、証拠をもとに、実際に起こったことがなんなのかを推理するのは、主にぼくの役目になるだろう。
 玲凪にもはたしてその能力があるか、現在のところはまだ未知数だが、二人で力を合わせればけっこうなところまでやれるのではないか。

 ぼくは、うれしそうにはしゃぎながらぼくの肩をたたく玲凪に少々辟易しながらも、

 ……うん、この探偵コンビは、まあまあイケるのかも……。

 そんなことを考えた。