「小向ー、帰るぞー」

 教室に顔を出す瀬戸内君に返事をして、慌てて鞄を手に持ち彼の元へ駆け寄る。いつもいつも、迎えに来るのが早いのだ。

「今日も早いね。瀬戸内君は他に予定ないの?」
「これが俺の予定なんだけど。さっさと終わらせて自分の時間に戻りたいわけ」
「あー……なるほど」

 逆にね。やる気満々とかじゃなくて、逆に嫌だからこそ早く終わらせる的なね。
 申し訳なさを感じつつも、そのまま昇降口へと向かい、まず始めに二人で私の靴箱の中身を確認する。

「…………」
「今日もですかい」

 遠慮なく手紙を取り出すと、瀬戸内君はいつも通りに内容を読み上げた。

「『あの日からずっと君が心に焼き付いて離れない』だって。あの日って?」
「……知らない」

 知らない。何も知らない。私の知らない人が、知らない所でこれを書いて、私の靴箱に入れている。
 毎日だった。毎日それは放課後の靴箱の中に入っている。少しは慣れてきたけれど、この手紙を確認する度にどこかで誰かが私のことをずっと見ているんだと実感して、心が騒ついてしまう。

「熱烈なファンがいるもんだな。おまえのどこがそんなにいいんだか」
「……ほんと、今は前の私と違うのにね」

 新たなファンがついたとは考えられない。この人は前から私のファンだったんだと思う。だって前の手紙に『秘密を知ってる』なんて書かれていたし、今の私はとことん地味で目立たないし。それが私の望んだことなんだけど。

「はぁ……」

 つい、最近増えている溜め息がここでもこぼれた。地味で目立たない教室での私のことを思い浮かべると毎回つまらない気持ちになって、嫌な気持ちを逃がすように無意識のうちに溜め息をついている。 

「何。でかい溜め息だな」
「溜め息も出るよ。毎日手紙が入ってるし、その度今の輝いてない自分について考えさせられるし……」
「あぁ、今のおまえってなーんにも無い顔してるもんな」
「…………」

 ムッとして瀬戸内君を睨みつける。なんにも無い顔をしてる、なんて。

「失礼過ぎない?」
「え、鏡見たことないの?」

 本当にムカつく。この人はいつもそう。私がちょっと傷ついても関係ないといった態度がデフォルトである。
 だから瀬戸内君に反省させるには戦わないといけない。向こうが勝手に折れることはないから、だから私も迎え撃つしかない。

「そんな顔してない」
「そうか? 迎えに行くたびいつも思うけど。不満がありますって顔して席に座ってんのに、関わるつもりはありませんって周りと線引いてるだろ? だって私は特別だから。あなた達とは違うから。って態度じゃ、そりゃあ友達の一人も出来ねぇわ」
「別に居ないわけじゃないし。挨拶してくれるし」
「それはご近所付き合いだろ? おまえ、友達居たことある?」
「あるに決まってんじゃん! 今が特別なだけで別に競泳仲間とか居たし、地元にも友達居るもん」
「ふーん」

 そして、いつものように勝手に歩き出す瀬戸内君に続いて、苛立ちながらも仕方なく私も歩き出す。このまま学校の最寄駅まで送ってもらうために。

 ほんと、なんでこの人はいつもこうなんだろう。
 何もない顔からなんで友達が居ない話になるんだろう。友達が居ない顔って何? 迎え行くたび思うって何?
 そこまで酷くはなくない?
 ——と、その時。

「お、瀬戸内ー!」
「ん? おう、田中!」

 後ろから声をかけられて振り返った瀬戸内君が、にこっと笑って手を挙げる。
 ……へ?

「瀬戸内おまえ、明日忘れんなよ! 絶対だからな!」
「あー、俺も忘れたくは無いんだけど……約束は出来かねる!」

 なんて、態とらしい困り顔を作った瀬戸内君がはっきりと言い切ると、「なんだそれー!」と向こうの男子から返ってくる。別に本気で怒ってるわけじゃない向こうの声色も、瀬戸内君の大袈裟な反応も、過去、自分の周りで見覚えのあるやり取りだった。
 これは、仲良しの友達同士のやり取りだ。

「じゃあ寝る前一分おきに電話してやんよ、これで解決だな!」
「そんなのおまえの彼女に疑われるじゃん……あ! おまえ彼女居ないんだった」
「よーしもういい。おまえとはここで絶交だ」
「嘘嘘! 明日な! ちゃんと持ってくから!」

 そんな楽しそうなやり取りを、私は隣でじっと見つめていた。
 初めて見る瀬戸内君だ。きっとこれが、本来の瀬戸内君の姿。
 あはは!と、大きな笑い声が聞こえて来る中、私は瀬戸内君から少し距離を取る。それはじりじりと離れ始め、気づけば足は自然と先に歩き出していた。二人の関係が眩しくて、どうしても居心地が悪かったから。
 足元に黒い沼が這い寄ってくる、みたいな。心に泥が溜まっていく、みたいな。
 それは私をどんどん醜くさせていった。こんな所に居たら私はもう私で居られなくなってしまう。

「あ、おい」
「…………」
「おい、小向!」
「…………」

 その内に、呼びかける声と共に後ろから追いかけてくる足音がして、仕方なく足を止めて振り返る。もちろん、追いかけてきたのは瀬戸内君だった。

「おまえさぁ……ほんと、性格悪いよな」
「は?」
「普通先行く? こっちはおまえに付き合ってやってんだろ」

 そしてゲンナリした顔で瀬戸内君は続ける。

「おまえに友達が居ないわけだわ」

 その一言に、カチンときた。

「だから、友達は居るって言ってる!」
「今の話だよ。相談出来る人間も居ないからこんなことになってんだろ?」
「桃華先輩が居るし。てか普通に考えて相談って信頼出来る人にしかしないものじゃないの?」
「だから信頼出来る人間をもっと作れって言ってんだよ」
「は? 出来るわけないじゃん。どこで誰が私のこと知ってるかわかんないし、またストーカーが増えたらどうすんの? ていうかさ、」

 イライラしていた。ムカムカして、どうしようもなく腹が立っていた。今ので心の中に溜まっていたモヤついた感情に火がついてごうごうと燃え上がる。
 それが、嫌な形になって口から噴き出した。

「さっきの奴がストーカーだったらとか考えないわけ? 考え浅過ぎじゃない?」
「……は?」

 その私の言葉に、瀬戸内君は目を丸くして言葉を失ったあと、すっと冷えた瞳で私を見る。そこあるのは嫌悪感だった。

「おまえさ……ほんと勘違い女。おまえのことなんて誰も何も見てねーよ。そもそもあいつは俺しか見てなかったし、おまえを見てんのは知らねぇキモい手紙の奴だけだよ。わかってんだろ? わかってるからムカついたんだよな、仲良い友達が居る俺のこと。知ってるか? それってただの八つ当たりっていうんだよ」

 冷たい瞳が私に向けられる。それが胸に深く、深く突き刺さる。

「おまえの中に溜まった鬱憤の捌け口として俺を使うな。おまえがやってること、最低だよ。そんなこともわかんないの?」
「…………」
「おまえって、何様?」

 答えられない私を置いて、瀬戸内君は歩き出す。が、ついて来ない私に気づいて振り返ると、

「歩いてくれないと困るんだけど。何? 次はストーカーなんて大丈夫だから送らなくていいとか言い出す? それでもし何かあったら俺のせい?」

 という当然の正論で刺されて、重たくなった足を無理矢理動かした。
 どちらも口を開かないまま駅に着くと、瀬戸内君は帰っていった。
 私はもう、何も言えなかった。