面倒臭そうに私を見ると、何の確認もなく勝手に来た廊下を戻り始め、昇降口の方へ向かって一人で歩き出すので慌てて後に続いた。多分、話が済んだからもう帰ろうとしてるんだろうけど……え、送るって?

「お、送るとか別に……」
「は? ストーカーに狙われてるから放課後送れって言われて来たんだけど」
「……桃華先輩に?」
「おまえじゃないんならそういうことだろ」
「えぇ……」

 知り合いでもない男子にそんなこと頼まないで欲しい……桃華先輩が心配してくれてるのはわかってるんだけど。
 ……でも、きっとそれはこの人も同じ気持ちだと思う。なんで自分が?って思ってるからこんな態度なわけだし。

「なんでこんなこと引き受けたの?」

 明らかに面倒です、と顔にも態度にも出ているし、なんなら話し方にも出てる。派手なピアスがさっきっからずっと目につくし、制服の着こなしもどこかだらしない。この人のどこがおあつらえ向きだったのか……。

「俺、柔道やってたんだよ。だから強いの」
「え! 見えない!」
「だろうね。もうやめて結構経つから。今のおまえと一緒だよ。おまえももうガチガチに泳ぎ込んでた人間には見えないよ」
「…………」
「だからまぁ、桃華さんに頼まれちゃって仕方なく。様子見っていうか、とりあえず今日よろしくって放り投げられた。ストーカーとか言われたら無視するわけにもいかねぇし……赤の他人なのに意味わかんないけど」

 そう言いながら、一足先に昇降口に着いた彼は自分の靴箱の前に立った。
 なんだ、頼まれたからってだけじゃなくて一応ストーカーのことも気にしてくれてたらしい。

「私を送るのが桃華先輩じゃ、女子だから二人の時にストーカーに襲われたら危ないしね」
「……そういうこと」

 なんか、思ったより真面目な人なのかも……なんて、彼に少し感心しながら、私も自分のクラスの靴箱へと向かった。

「で? どこまで送るんだっけ?」

 靴を取り出し、履き替えた彼が私の方へやって来て訊ねる。それはちょうど、私が自分の靴箱の扉を開いた所だった。
 その瞬間——私はぴたりと、一点を見つめて動けなくなる。
 え、なんで……?

「……こ、これ……」

 そこには、一枚の白い紙が折りたたまれることなく靴の上に置かれていて、真ん中には文字が書かれていた。

「ん? どうした……それ」

 横から顔を出した彼も、ぴたりとそこに視線を止めると、迷うことなく手紙を靴箱から取り出し、それを声に出して読み上げた。

「『君の秘密を知ってるよ。君の願いを叶えてあげる』……だって。これか、そのストーカーからの手紙って」
「…………」
「秘密ねぇ……おまえの経歴のことだろ? やっぱ他に知ってる奴が居るってことか。ふっ、そいつがおまえの願いを叶えてくれるってよ。良かったな」
「…………」
「? おい、なんか言えよ。聞いてる?」

 そう言って私の顔を覗き込んだ彼は、目を丸くして動きを止めた。多分驚いたんだと思う。私の顔が酷かったから。
 すっと血の気が引いていったのが自分でもわかるくらいだった。そのうちに心臓が冷たくなって、内側からぞっと鳥肌が全身に広がっていき、頭の中で心臓の音が鳴り響いている。
 知らない……こんなの、知らない!

「ね、願いなんてもうないっ、今叶ってるの。だから別に……別に私、何も……な、なんで? 誰も私のこと知らないはずなのに」
「……ちょっと落ち着けよ」

 彼が宥めようとしてくれてるのはわかっていたけど、もうそれどころじゃなかった。
 寒い。怖い。どこから私を見てるの? ……もしかして今も? 今も見てる?
 何でこんなことを? 何でこのことを? 
 この人は私の何を知ってるの? この人に私の何がバレてるの!

「違う! なんでこんなこと、何が起こってるの? 誰? 誰なの?」

 きっともう全てを知られてるのだと思った。この人は私の全てを知っている。知っているから、こんな手紙を書いた。

“君の願いを叶えてあげる”、なんて!

「おい、こっち向け」
「!」

 縫い付けられたように手紙から離れなかった視線が頭ごと無理矢理彼の方へと向かされて、ハッと我に返った。
 真っ直ぐに私を見つめる目がそこにある。
 そこに私が映ってる。

「大丈夫。俺と桃華さんが居る」
「……!」
「守ろう、おまえの秘密。誰にも言わないし、こいつのことも何とか出来るよう手伝う。だからおまえはおまえの望んだ通り、おまえらしく居ろよ」
「…………」

 そう言うその、彼の張り詰めたような真剣な瞳——そこからふっと力を抜けて、視線が和らいだ。まるで私を安心させるように。

「今自分で言ってたじゃん、もう叶ってんだろ? おまえの願い」
「…………」
「だとしたらこの手紙の奴は出遅れたな。おまえはもう、自分で願いを叶えたからここに居るんだから」
「……叶えたから、ここに居る」

 そうだ、そう。私の願いは今、叶ってる。
 これはそういうことだ。そうだとしたら、何も怖がることは無い。

「……君、名前は?」
瀬戸内駿(せとうちしゅん)
「瀬戸内君……ありがとう。落ち着いた」
「……おう」

 “現実にする靴箱”。ここに入っていた手紙の内容は現実になる。だからここに手紙が入っている。誰かの願いを現実にするために。私の願いは今、叶っている。

「私は小向奈々美です。明日からもよろしくお願いしてもいい?」
「……ま、こんなの見といて放り出せないからな」

 瀬戸内君は気まずそうに目を逸らすと、「ほら、さっさと帰るぞ」と私を置いて歩き出す。私がどこに住んでるかも知らないくせに。

「あ。で? どこまで送ればいいんだっけ?」
「電車乗り換えて片道一時間半かかるけどうちまで来てくれるの?」
「さすがに金銭が発生するレベルなんですけど」

 ゲンナリしながらも断らない瀬戸内君につい笑ってしまった。なんだ、やっぱりいい人じゃんこの人。

「嘘嘘。学校の最寄駅まででいいよ、ありがとね」


 ——そうしてこの日から、放課後は毎回瀬戸内君と帰ることになった。それは私の毎日をガラリと変える出来事だった。