傷つけたいと思ってるわけじゃないのに。多分瀬戸内君もそう。あんな言い方だからわからないけど、真実や本音を言ってるだけで、私を困らせたいとか害したいとか、そういう感情から来てるものではないのだ。
 でもお互いに、根本的な部分での認めあえない、通じあえない部分があるから結果的にぶつかりあってしまう……もう、仕方のないことなんだって思うしかない。
 自分以外は他人なんだから、わかりあえないこともある。わかってもらえないことも、わかってあげられないこともある。そんなのはとうの昔にわかってる。
 だから私は今ここに居るんだ。あの頃の人の感情の真ん中に立ち続ける人生が嫌になったから。私は今、私のためだけにここに居る。

 あぁ、もう面倒くさい。考えたくない。
 早く、早く水の中に入りたい。





 ——バシャンッ

 夜を迎えるとともに、私は早速学校のプールに来ていた。

 蒸し暑さの中で飛び込んだプールは室内で管理されたものと違うため、思っていたよりもだいぶ冷たい。
 ただ浸かっているだけだとどんどん冷えてしまうと感じた身体は、無意識のうちに泳ぎ出していた。

 水に入るまでは懐かしさを感じるかなと思っていたけれど、入ってみると案外そうでもないもので。自然とあって当たり前のようなもの——まるで空気のような感覚で心が、身体が、それを受け入れていた。

 そうだよね。ずっとこの水の中に居たんだから。それが当たり前だったんだから。

 それが、私だった。

 思い出すと共に泳ぎが身体に馴染むと、頭がどんどんクリアになっていく。
 速く泳ぐ必要もない。長く泳ぐ必要もない。私が私のためだけに泳ぐ時間。
 私は泳ぐの好きだ。今もずっと好きなんだ。そんな当たり前のことを感じた頃には息が上がり、ぼんやりと水面に浮かんで夜空を眺めていた。
 今日は月が綺麗だ。

「……なんであんな風に言っちゃったんだろう」

 すっきりした頭の中は泳ぐことをやめた途端ただの空洞になり、そこに嫌な思い出が蘇ってくる。放課後の瀬戸内君とのやりとりが、最後に言い捨てた私の台詞が、頭の奥の方からじわりと滲み出して段々黒く私を染めあげていく。
 そんな私を、お月様が照らしてる。

『——死んだ顔して生きてたっていいじゃねぇの? 死にそうなおまえも、輝いてないおまえもおまえだろ?』

「あれは、どんな私でも生きてていいんだよって言ってくれたんだと思う」

 今ならわかる。わかってる。だけどあの瞬間の私にはそれが受け入れられなかった。
 だってそんな私が嫌だから、毎日不満が募って苛立ちをぶつけてしまったのだ。そんな顔して生きてる私を私は受け入れられない。受け入れたくない。死体みたいだなんて言われたくない。だからここに来て、気持ちを整理出来るようになれたらって、そう思ったのに。

「私は間違ってるのかな」

『——ここでは何をしても大丈夫。だって私達は水死体なんだから』

 その先輩の言葉に、なんて魅力的なんだろうと感じたのは間違いじゃない。その時私は私の現状を肯定するそれを救いの言葉だと受け取った。私は私の好きなようにしていい。誰も私に何も求めない。それを求めて私はここに居るのだから、それが答えなのだと思った。
 ——でも、いざここで浮かんでみてわかった。

「……一人で浮かんでても、楽しくないな」

 だって、情けない自分しか見つからないから。
 ここではなんでも出来るけど、自分の中にあるもの以上のものは生まれない。
 誰にもバレないけど、誰にも見つけてもらえない。
 自由だけど、何も残らない。
 それが死んだ私。水死体の私の生き方。

 放課後の瀬戸内君の言葉はまるで、自分から死ににいくなと、私に念を押すために告げられたような言葉だった。
 今のそのままの私を捨ててやるなと、嫌な所も全部大切にしろと、そういうことなのかもしれない。死んだ顔しても生きていろと、死体だと諦めるなと。
 でも、

「こんな私、求めてない」

 そう。そもそも私は求めていないのだ、死んだ顔をした私自身を。ここで死体になってしまえれば楽だったのに。
 願いはいつ叶うのだろう。
 自分で叶えたはずなのに。
 もう叶えたはずだったのに。

『君の秘密を知ってるよ。君の願いを叶えてあげる』

「……その人は、全てを知ってる……」

 あの日の手紙の内容が頭を過った、その時だ。ふっと視界の端で動く何かを捉えて慌てて立ち上がると、目が合ったような間を置いて、校舎内を駆けていく人影が目に入った。
 ……え? 今、誰か居た?
 時刻はもうすぐ二十一時といったところ。こんな時間に校舎内に人が居るなんて——

「っ! 嘘でしょ……っ、」

 ザバッと水から上がると急いで更衣室で着替えを終えて、荷物を片手に逃げ出した。
 誰か居た。絶対誰か居た。大人じゃなかった。同じくらいの——でも、制服じゃなかった。
 どういうこと? なんでこんな時間に人が? 桃華先輩は誰にも会わなかったって言ってたのに……え、まさか——……





「何? ストーカーが居たぁ?」
「うん、そう。きっとそう。多分」