「結局一緒に来る必要ありました?」

 桃華先輩が着替え終わるのを待って、三人で帰り道を駅に向かって歩いていた中で不満の声が上がる。もちろん瀬戸内君だ。

「あるよ! だって奈々美は怖いの苦手なんだから!」
「わかってんならちゃんと説明してやってくださいよ。めっちゃびびってましたよ。死体見つけちゃったらどうしよう〜って」
「ちょ、瀬戸内君!」

 呆れた顔の瀬戸内君にそんなことない!と言い張ると、桃華先輩は「見たかったな〜奈々美の怯えてるところ」なんてにやにやする。

「つーか、わざわざ来なくても鍵だけ学校で渡せばよかったんじゃないですか?」
「駄目なんだよ、ちゃんとここで説明して渡すっていうのも受け継がれて来た伝統なんだから。渡す方も受け取る方もそれなりの覚悟がないと」
「覚悟って……」
「あの! 私は来れてよかったです! 現場の桃華先輩も見られたので!」
「やだ、犯行現場みたいに言わないで」

 何言ってんだこの人は、みたいな顔で桃華先輩を見る瀬戸内君にはらはらして慌ててフォローをいれると、先輩が笑ってくれたのでほっとした。怒ると怖いって知ってるくせに……瀬戸内君は先輩の前でも変わらず瀬戸内君である。

「それとあとは、もちろんストーカーの件もあるし。さすがにこんな夜まで張り付いてないと思うけど……」
「夜の学校まで居たら大したもんですよ。朝から晩まで一生こいつに張り付いてんじゃん、暇すぎんだろ」
「まぁ、瀬戸内君の言い方はムカつきますけど、言ってることはその通りかなと思います……今までこう、ピンポイントに私生活を指摘するようなこと書かれたこともないし、手紙しか届かないし」
「もし居ても見てるだけなら問題ないもんな」
「いや、問題はあるけどね。あるけど、まぁ……気づかなきゃわからないまま終わりますし」

 正直、段々手紙にも慣れてきて、今日もある!ってゾッとする感覚も薄れてきていた。いつも大変じゃないのかな、とか、実際のところ私のことどこまで知ってるのかな、とか、いつどんな顔してこれを入れてるのかな……とか、人物像を想像してみたり出来るくらいには余裕が生まれていた。だって、直接何かの被害にあったわけでもないし。
 だから、

「学校の時間の中じゃないし、夜のプールに来る時は瀬戸内君は付き合わなくていいよ」

 今回は瀬戸内君無しで行けそうだなと判断した。自由に一人で泳ぎたいし、見られてるのも気まずいし。

「え、当然夜も付き合わされる予定だったの?」

 信じられない!と、そのつもりなんてさらさらなかった瀬戸内君が目を丸くしてこっちを見るので、初めて見る瀬戸内君の反応に桃華先輩と二人で大笑いしてしまった。

 そしてそのまま和やかに、三人で駅に向かって歩いていった。
 久しぶりに楽しかった。心の内の足りない部分に気がついて埋めてもらえたような、そんな気持ち。
 私の心、少しマシになったかもしれない。
 これが願いが叶うことなのかなと少しだけ思った、そんな夜だった。


 次の日の朝を迎えると、目覚めた瞬間から新しいことの始まりに胸がドキドキしていた。
 ——私、泳げるんだ。
 それは綺麗な酸素を胸いっぱいに吸い込んだ時のような感覚。もらった鍵が古く光るのを、奇跡を見る感覚でいつまでも眺めていたい。だけど早く支度して学校に行かないと。
 今夜は早速泳ぎに行くんだ……!
 
「行って来まーす」

 外に出ると、晴々としたいい天気だった。
 あぁ、早く夜にならないかな……。
 そんな風に何かを楽しみに思ったのは随分と久しぶりのことだった。





「おーい、小向。行くぞー」

 ワクワクした気持ちを抱えたまま一日の時間割りを終えていよいよ放課後になり、いつも通りに迎えに来た瀬戸内君と一緒に靴箱に向かう。
 気持ちが上向きだったこともあって、躊躇うことなく私は自分の靴箱の扉を開くと中を覗き込んだ。

「『笑顔の君も素敵だよ』……ほんとなんか、最近は全肯定してくれる人みたいな気持ちになってきた……」
「今日のおまえやけにニヤついて気持ち悪いもんな。フォローしてくれたんじゃね?」
「本当に君って嫌味人間。さすがにそんなニヤニヤしてないし。楽しみでウキウキはしてたけど」
「外から見ててそれがわかるんだからきっとおまえのこと気持ち悪いくらい見てんだろな、お似合いじゃん。おまえ相手にめっちゃ健気」
「……まぁ、そうかもね……」

 ああ言えばこう言う人なので、もう受け入れることにした。確かに言ってることは間違ってないような気もするし。

「手紙の人も、私がいつもより楽しそうだってわかったのかもね」

 だから今日の手紙はこんな内容だったのだと思うと、本当にこの手紙の主はこの学校で同じ時間を生きているんだなと実感した。いつどこで見てるんだろう。どのタイミングでこの手紙を書いて私の靴箱に入れてるんだろう。私はこの人に会ったことがあるのかな。

「まぁおまえ、いつも死んでるみたいな顔してるし」
「そんなに?」
「つまんねーって顔して、不満ですってめっちゃ伝わってくる感じ。そば寄りたくねぇもん」
「あぁ、だから友達居ないみたいな話されたやつね……」
「そ。だからわざわざ水の中に死にに行かなくても、おまえは陸で十分死体みたいなことやってると思うけど。陸のただの死体未満」
「陸のただの死体未満……」

 つまり何? 私には水の中で死んで自由になることふら烏滸がましいってこと?

 それはさすがにぐさっと来た。そんな言い方はないと思う。
 瀬戸内君はいつもどういうつもりでそういうことを言うんだろう。私のことをやたら否定してくるけど、私を傷つけたいのかな。それともただ揶揄ってるだけ?

「そんなのただの私への悪口じゃん。そんなことばっかり言われてたら私、本当に死んじゃうけどいいの?」

 だから、ちゃんと傷ついてると伝えなければと思った。わかっていないのなら教えてやらないとと。
 けれど、

「や、違う違う。生きたら駄目なの?って思った」

 瀬戸内君の考えもまた、私に伝わってはいなくって。

「いいじゃん別に、自分からわざわざ死体にならなくても。死んだ顔して生きてたっていいんじゃねぇの? 死にそうなおまえも、輝いてないおまえもおまえだろ?」
「でもそれが悪いことみたいに瀬戸内君だって言ってくるじゃん。今だって友達居ないとか、そば寄りたくないとか」
「悪いっていうか、俺は今のおまえってそんな人だよって教えてるだけ。立ち上がるには現実を受け入れる必要があるだろ? そんな自分も自分だって受け入れてやれよ」
「……受け入れてるよ。だから一度死んじゃった人間としてまた新しく生きられるようになるための場所をもらえたんだよ。死にに行くんじゃなくて、生き返りに行くの」

 話してて思う。瀬戸内君って本当に強い人間なんだなって。きっと自分のことを自分で励ませる人なんだ。自分の存在を人から殺されちゃったことがないんだ。死んで生まれ変わりたいと思ったことがないんだ。

「瀬戸内君にはわからないよ。別にわかってくれなくてもいいけど。だって私達は別の人間なんだから」
「…………」
「いつもありがとう。心配してくれてるんだよね。でも正直余計なお世話だからもう一生言わないで欲しい」
「……そうかよ」

 あーあ。結局こうなっちゃった。
 なんでいつもこうなんだろう。私と瀬戸内君ってきっとすごく相性が悪いんだと思う。
 お互いに傷つけあってばっかりだ。