「“現実にする靴箱”って噂、知ってる?」

 私の靴箱に入っていたと伝えて、見てもらったその手紙。内容を確認した先輩が固い声で訊ねるので、私はそれに頷いた。

「確か、この学校にある言い伝え?みたいなものですよね。靴箱に入っていた手紙の内容が現実になるって話。クラスの子達が言ってました」
「そう。おまじないみたいなノリでお互いの靴箱に入れあったり、それこそ告白したり、結構みんなやってるんだけど……これはちょっと……」

 言い淀んだ先輩がもう一度手元の手紙に目をやる。そこには、『君のこと、いつも見てるよ』という一文が真っ白な紙の真ん中に書かれていた。

「……これ、おまじないとはちょっとテンションが違うよね。奈々美(ななみ)、心当たりとかある?」
「いえ……。桃華(ももか)先輩も知っての通り、私、誰も私のことを知ってる人が居ないと思ってこの高校に入学したんです」
「そうだよね、そう言ってたよね。偶然私が居たけど……。競泳関係者以前に体育会系の子が来るような学校じゃないし、住んでる所からも遠いし……」
「……やっぱり、私のこと見てるって言ったらそういう関係のことになりますかね……」

 私は幼稚園から水泳を始め、中学まで競泳の選手として練習を積んできた。しかしJOCに出場したくらいからその界隈で変に目立つようになり、ファンやらアンチやらの反応に振り回されるまま心身共にやられてしまって引退。
 そして今年、自宅から離れた場所に位置する、そういった競技関係とは無縁の高校に入学した今、普通の女子高生として新しい人生を歩み始めたつもりだった。
 ——が、まさかこんなことになるなんて。

「奈々美、有名だったからね……特別だったよ。速くて将来有望な選手がめちゃくちゃ美人なんだもん」
「違いますよ、観客達が騒ぐのに私がちょうど良かっただけです。どうせ私が辞めたあとは別の子がそのポジションについてますよ、何か話題を作って騒ぎたいだけなんだから」
「そんなことないよ。一緒に練習してきたけど、奈々美には泳力と他に人の目を引く何かがあったよ。そういうのを才能とかスター性っていうんだよ。限界を感じ始めてたのもあるけど、奈々美みたいなのも自分には無いなって思ったから私、競泳から離れてることに決めたんだもん。なのにまさか奈々美が同じ高校に入学してくるからびっくりしちゃった」
「……迷惑でしたか?」

 桃華先輩がそんな風に思っていたなんて知らなかったから、もしかしたら嫌われてたのかな、なんて気持ちで訊ねてみると、

「ううん。また違う形で出会ったなんて運命だなって。だから私に相談してくれて嬉しかったよ」

 そう言って、桃華先輩はにっこり笑ってくれた。

「折角新しい人生を始めようとしてる所に、昔のファンが……なんて他の子に事情話す訳にもいかないもんね。私に任せて。おあつらえ向きの奴がいるから」
「おあつらえ向きの奴……?」
「いつも見てる、なんて言われて一人なの怖いよね。放課後に向かわせるから、教室で待ってて」
「?……は、はい。ありがとうございます」
「あ、一応手紙、写真撮っといてもいい?」
「ど、どうぞ……」

 どういうことだろうと思いながらも、張り切る先輩の圧に負けて、写真を撮り終えた手紙を受け取ると、それ以上何も訊ねられないまま教室へと戻った。

 教室内はもうすぐ始まる次の授業に向けてざわついている。ざわざわ、ざわざわ、人の声が、視線が、表情が、その全てがうるさい。
 以前の自分に集まるそれが嫌で嫌で仕方なくて、怖くて、全部から離れたくて、だからこの高校に入学した。ここなら私を知る人は居ないと思ったから。だから今の私の元に過度な関心が集まることは無いし、ここに居る同級生の中に私に興味を持つ人は居なかった。
 このままその状態を保てるようにと、これまでなるべく周りの人と深く関わらないようにしてきた。友達とは呼べるけど、親友とまではいかない、みたいな。クラスメイトとと言う名のただの知り合い、みたいな。
 でも、そんな現状が正直寂しい。だって私はここに居なくても良いみたいだから。そんな状況、初めてだったから。