制服を着て出かけるなんて初めてで、なんだか緊張してしまう。うちの高校って寄り道いいんだっけ?
 道中、吉田さんはずっと会話を続けてくれていた。
 なんでも行きつけのカフェらしくて、道もすらすらと進んでいく。
 道検索とかしててくれた方が、会話あんまりしなくてよかったのに.....。なんて考えてしまう。

「清水さんは、カフェとかよく行く?」
 そう言って少し私の顔を覗き込む吉田さんを見て思った。
 この子、教室の隅で本ばかり読んでるし、派手な印象がないし、いつも1人だから気がつかなかったけどめっちゃ可愛い。
 目はぱっちり大きく、瞳はみずみずしい。
 シャープなフェイスラインが髪の毛と顔の間に空間を持たせて涼しげだ。
 口元は自然に上がる口角で優しくふんわりとした印象を与える。
 いいなぁ。可愛い。
「どうかした?」
「あ、ごめん。カフェ? あんまり行かないかな」
 吉田さんの顔に見惚れてたなんて言えるわけもなく、まぬけな返事しかできなかった。

 その後も社会の問題集にある一問一答みたいな会話をしながら、カフェにたどり着いた。
 いかにも隠れ家的なカフェ。
 木造でできた外観にはツタが張っていて、ツリーハウスを思わせる。
 重めの扉を開けるとカランカランとアイアン製のベルが鳴った。
「よくこんなところ見つけたね.....」
 席に着いても自然と店内を見渡してしまう。
 アンティーク風に統一された内装も、店員さんのしっとりと落ち着いた雰囲気も、女子高生行きつけのカフェとはかなりイメージが違った。
 確かに吉田さんの印象にはぴったりだけど。
「ここ、私の叔父さんが経営してるカフェなんだよね。今日は叔父さんお休みだけど」
「あっそうなんだ。確かに本も置いてあるね」
 所々に飾りとして海外の本が置かれていて、ちょうどそこに目が留まったところだった。
「そうそう。うち読書一家だからさ。小さい頃から本に囲まれて生活してたの」
「すごいね」
「その代わり、皆が読んでる漫画の話しとかについていけなくて、早々にグループ抜けちゃったりしてたんだけどね」
 全く気にしてない様子で話すから、同情するにしきれなくて「そうなんだ」と簡単な返事しかできなかった。

「あら、しおりちゃん。お友達? 珍しいね」
 シャープな体系のあばさまが店内から出てきた。
 高めにくくられたお団子ヘアのせいか少し怖そうにも見えるけど、話し方はゆっくりめで優しそう。
「あ! こんにちは。へへ。いつものお願いします!」
「いつものね。あなたはどうする? メニューこれね」
 店内につるされた黒板にチョークで書かれたメニュー。
「じゃあ、アイスラテで.....」
「ホイップつけると美味しいよ」
 吉田さんがこっそり耳打ちしてくれる。
「じゃ、じゃあ、ホイップも」
「かしこまりました。2人もホイップもりもりにしとくからね」
「やった! いつもありがとうございます」
 あばさまはにこっと目を細めキッチンの中へと消えていった。

「あの人はね、ここで1番長く働いてくれてるパートさんなの。あのピチピチな肌でなんと64歳」
「64⁈ 見えないね」
「でしょ。私もあんな素敵な64歳になることを目標にしてる」

 当初懸念していた、会話が無くなって気まづくなるという時間は全然なくて話は緩やかに続いていった。
 運ばれてきたラテは確かにホイップもりもりで「たれちゃうたれちゃう」と2人で急いでスプーンですくった。
 


「菜々ちゃんは、好きな人とかいないの?」
 ”清水さん”から”菜々ちゃん”になったことに違和感を感じないほど、話しつくした頃しおりちゃんから急な質問が来た。
 好きな人、か.....。
「いたよ」
「いた?」
 過去形であることに疑問がくっつく。
「うん。その人には他に好きな人がいるって分かってて告白して、撃沈」
 自虐的に笑って、あの時の事を思い出してしまう。
 
 あの日、誰もいないとわかってる家に上がってくれたことで少し期待してしまっている自分がいた。
 散歩の時、彼が見せた笑顔に心の距離が縮まったんじゃないかと勘違いしていた自分がいた。
 誘いに乗ってくれることで、他の人とは違う位置にいれてるんじゃないかと思いあがってる自分がいた。
 でも梨久君にはそんなこと以前に祈莉ちゃんのことしか目に映ってなくて、全てが祈莉ちゃんのための行動だったんだって知って何もかも嫌になってしまった。
 ”清水が好きなのは、僕に尽くす自分だよ”
 その言葉が私をひっぱたいた。
 それまでは「こんなに尽くしてるのに」「こんなに色々考えてあげてるのに」そんなことばかり考えていたけど、そのどれも梨久君からしたら余計なこと以上に邪魔な存在だったんだって気づかされてしまった。
 祈莉ちゃんの病院に乗り込むとき、自分がおかしなことをしてるとか、迷惑な行動をしてるって自覚がなかった。
 祈莉ちゃんに梨久君を奪われた。そういうふうに考えてしまっていたから。
 でも、実際に祈莉ちゃんを目の前にして急に恥ずかしくなった。
 梨久君を決めつけて梨久君を縛っていたのは私だ。
 目が見えないから梨久君からの同情を買ってるだけでしょとか思っていた自分が醜くて仕方がなかった。
 この2人の関係において障がいとか、お互いにハンディキャップがあるとかそんなの全く関係なかったんだ。
 ずっと低くて真っ暗な所で足踏みをしていたのは私だけだったと気づかされてしまった。
 そして止まらなくなってしまった気持ちで祈莉ちゃんを傷つけた。

「後悔、した?」
「後悔?」
「うん。告白しなければもっと関係が続いたかもしれないとか、色々」
 後悔か.....。
「後悔しかしてないよ。でもね」
「でも?」
「どちらにせよ、私の好きな人に私は映っていなくてその人のためを想ってしてると思ってたことは全部私の自己満足で、彼のプラスの感情と記憶に私がひっかることはなかったから。終わりの決まってる関係が少し早く終わっただけかな」
 ひとしきり語り終えて、自分と梨久君の関係を冷静に言語化して、どこまで言っても救えないなと鼻で笑う事しかできない。
 しおりちゃんは、もうほとんどのこっていないいつもの(・・・・)キャラメルラテをズッと吸ってゆっくり呑み込んだ。
「菜々ちゃんってさ」
 その言葉にドキッとしてしまう。
 今から私、責められるのかな。
 でも、しょうがないか。
 
「人よりも繊細で敏感だよね。だから色々考えすぎちゃう」

 初めて連ねられる言葉たちに「ん?」と聞き返してしまう。
「いやさ。多分同世代の子とかと”好きな人”とかの話しするときゃぴきゃぴした会話になることが多いと思うんだよ」
「ごめんね。暗くて.....」
「違う違う!」 
 慌てた様子で手をぶんぶんと振る。
 依然頭の上の「?」が増え続ける私にしおりちゃんは1個ずつ丁寧に説明してくれた。
「菜々ちゃんの発する言葉ってすごく大人びてるんだよね。自分の話しだけじゃなく、必ず誰か他の人の気持ちとかも含んで会話を成立させるでしょ? 何かを考えるとき、それがあってるか間違ってるかはその時々によると思うけど、もう1人違う誰かの軸をいれて考えられるのは、すごいと思う」
「そ、そんなことないよ。私はすぐ自分の利益を優先させて突っ走って、誰を傷つけてから気づくの。いつも1歩遅いよ」
「ほら今も」 
 しおりちゃんはピッと人差し指を立ててにこっと笑った。
「誰かを傷つけてしまうって、今菜々ちゃん自身の話しをしてたはずなのに”他の人”の話しがくっついてくるでしょ?」
「これはあくまで私の考えなんだけど.....」としおりちゃんは続ける。

「なにか過去に大きな傷を追ったり、苦しい、しんどいって思いをしていたとしたら、人と比べてしまったり誰かの目に留まることをしたいって暴走してしまうことはあると思う。だけどその分、人よりも経験が豊かなの。こうしたら傷つけてしまうとかこうしたら悲しい思いをさせてしまうっていうのがどんどん身について優しい人になるんだと思う」
 しおりちゃんの言葉は私の事をとても美化しているように感じた。
 人と比べてしまう性格は、自分をどんどん苦しめて絶望するだけだし、目に留まることをしたいと考えた結果暴走して人を傷つけ迷惑をかけた。
 そんな素敵な事じゃないし、素敵なことにしちゃいけないと思う。
 でも、私がしてきた経験だからこそ、そろばんをやっていてかけられてしまった呪縛を客観視できるようになったからこそ、私にしかできなことがあるのかもしれない。
 しおりちゃんのまっすぐな目が私にそれを伝えてくれた。

「菜々ちゃんのように人と自分の違いとか、傷つけてしまうことに怯える人は今の時代少数派じゃないと思う。でもそれを言葉という形にしたり客観視して立体的にできる人は少ないんじゃないかな。それをしっかり分析して今言葉にできてるのは菜々ちゃんの力だよ」

 しおりちゃんに過去の私の話しをしたわけでもないし、梨久君とのことや祈莉ちゃんとのことを詳しく話したわけじゃないのにここまで私が救われる言葉を、慰めじゃなくくれるのはどうしてだろう。
 しおりちゃんはきっと察する力が強い。
 本をたくさん読んできて、自分以外の人の視点や自分と全く違う人間の考え方を読んできたからこそ多角的な観点で人を観察することが出来る。
 でも、ここまで根拠立てて話せることにも疑問が湧く。

「実はね」 
 しおりちゃんが伏し目でつぶやいた。
 さっきまでの勢いを全く感じさせない弱々しい雰囲気で。

「2年生の時、祈莉ちゃんと如月(きさらぎ)君が話してるのを聞いてしまっていたの。あの日」
 如月君とは、梨久君のこと。
 あの日とは、私が梨久君の初めての表情を見た日のこと。
 明確に、私ではなく祈莉ちゃんを選んだ梨久君の背中を見て泣いてた日のこと。
 
「勝手に、ごめんなさい」
 肩を丸めて小さくなってしまったしおりちゃんに負の感情は何も湧かない。
「あの日、教室で1人泣く菜々ちゃんを抱きしめたかった。2人のこれまでの事は分からないけど、自分の事を見て欲しくてそしてから回ってしまうところとか、自分以外に圧倒的に叶わない相手がいることを分かった上で相手が離れていってしまう辛さや悲しさが、痛いほど伝わってきて」
 このしおりちゃんからの言葉を聞いて、1つ大きな気づきがあった。
 私は、梨久君に何かをいう時必ず「してあげる」という言葉を使ってた。
 「開けてあげる」「やってあげる」
 些細な言動から、梨久君の事を想っての行動じゃないことが出てしまっていたんだ。
 押しつけがましい浅はかな行動だったと今になって気づいた。
 しおりちゃんは今私に「抱きしめてあげたい」ではなく「抱きしめたい」と言った。
 利益とか、得とかそんなのじゃなくて、しおりちゃん自身が私の事を想ってくれた言葉だと素直に受け取ることができる言葉。

「ありがと。本当にとても嬉しい。だから話しかけてくれたの?」
「もちろんそれだけじゃないよ。菜々ちゃんと同じクラスになって、静かに、でも強いパワーを持って本と向き合いう姿にかっこいいと思ったし、仲良くなれたら嬉しいなと思った。色んな感情が私の背中を押したんだよ」
 人差し指の関節でメガネのフレームをのくいっとあげながら、優しく笑ってくれた。
 私もしおりちゃんと話せてよかった。
 
「嬉しい。ありがと。しおりちゃんのおかげで少しだけ自分のことが好きになれた気がする」
「へへ、よかった。また話そ、とっても楽しかった」
「もちろん、私もとっても楽しかった」
 2人で気恥ずかしく笑って、お店をあとにした。
 
 本気の絶望を経験した私だからこそできる事。
 私にしか伝えられない言葉。
 何があるだろう。
 帰りの電車で、SNSをスクロールする私の指が止まった。

”全国作文コンテスト ー私にしか紡げない言葉ー”

 これだ。
 私は、私にしか紡げない言葉で「誰か」を支えたい。
 「私なんかが」そう考えるより先に行動する。
 これが私の第1歩になるように。