過去と一緒に、自分の腕にある傷をなぞった。
あれから癖になってしまい、死ぬという目的以外でも辛いことがあった時だれかに相談するでもなく、SNSに書き込むでもなく、物に八つ当たりするでもなく、この腕に全ての感情をぶつけていた。
傷跡はひどいものだ。
こんな傷があったって誰かが慰めてくれるわけでもないのにね。
私は所詮、死に損ない。
じゃあ、死に損なった私。
私は何ができる?
祈莉ちゃんが生きたかった今日を私は生きている。
そんな私にできる事はなに?
きっと梨久君も前を向く。
めそめそしてる姿を祈莉ちゃんには見せられないでしょ。
祈莉ちゃんに許してもらうためだけじゃない、祈莉ちゃんが「ありがと」と言ってくれることをしっかりと成し遂げたい。
そろばんでぐちゃぐちゃにされた人生。
でも、祈莉ちゃんは自分が死ぬとわかっていても、治らない病を抱えているとわかっていても、最期まで闘い抜けた。
そんな祈莉ちゃんに今日しっかりと宣言してきたの。
―――探すよ。私がすべきこと。できる事。そして次会った時には.....。
過去に浸ってめそめそして、逃げるのはもうやめ。
祈莉ちゃんの人生に触れて、今自分の過去を整理して、ここからは、未来へ。
そのためには、ちゃんと片付けておかないといけないことがあるね。
遺書もそろばんも捨てない。
でも、それは過去を戒めるためじゃない。
今日この決意をしたことを忘れないため。
だから、机から青色のペンを取り出してでかでかと文字を書いた。
『私は、生きる』
これが次の私への”魔法”。
私はもう、過去の私に屈しない。
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「会ってくれると、思わなかった」
「学校で会ってるだろ」
「クラスメイトだから。それは会ってるって言わない」
こんな冷めた会話から始まるのは最初の頃とあまり大きく変わってなくて、今さらいちいちへこんだりしない。
学校終わりに時間をくれないかと直談判し、駅中のカフェで私はホットカフェラテを、梨久君はホットコーヒーを頼んだ。
「今日は伝えたいことがあって時間を作ってもらったの」
”伝えたいこと”
私がこの言葉を使うと、梨久君は一瞬だけ眉間にしわを寄せてでもすぐに力を抜いた。
きっと彼の頭に中にある私との記憶が、彼の眉に力をこめさせて、そして私の目を見てその心配はいらないんだと理解してくれたんだと思う。
「私は、祈莉ちゃんと梨久君の関係性が羨ましかった」
絶対に感情を吐露させまいと思って今日来たのに、覚悟を決めたはずなのに、話始めると少しだけ声がかすれた。
心の内にあることを、人に話すのは苦手だ。
ずっと隠して、自分を傷つけることで解決してきたから。
「カフェで私がチーズケーキを食べちゃったときのこと、覚えてる?」
「うん、なんとなく」
「その時、私は梨久君に怒ってほしかったの」
”意味わかんでしょ”と自虐的に笑う。
私は、人と感情のキャッチボールをしたかった。
何か相手に得がないと出来上がらない関係性じゃなくて、意味もなく、でも私と一緒に居てくれる存在が欲しかった。
誰かの感情の吐け口でも、言う事を聞くだけの人形でも、奴隷でもなんでもなく、嬉しいことも、悲しいことも、むかつくことも全部共有して、同じ目線で笑いあってくれる友達が欲しかった。
中学生の頃、人から感情のゴミ箱にされていた私は、それを求めていた。
「でもね、私が人と対等に扱ってもらえるには、こちらから何か利益をもたらさないとそばに置いてもらえないと思ってた。人との接し方がそれしか分からなかった。いつしか、私のすることでその人が”こいつがいて楽できた”と思ってもらえるならそれでいいやと思うようになった。自分がされて悲しかった”yesマン”の立場を自分から作りに行ってしまっていたの」
「清水は、自分が相手に何か利益をもたらさないと自分と一緒に居てくれるメリットがないと思ってたってこと?」
「うん。だから梨久君のように、世間一般的に見てハンデを背負ってる人の力になることが、自分の存在価値を証明することだと思い込むようになってしまったの」
この言葉はきっと梨久君や祈莉ちゃんからしたら余計なお世話、思い上がりにすぎなくて、”別に求めてない事”を相手に押し付けて自分の存在価値を自分で証明しようとしていた。
「それがお葬式に時に言ってた”ありがとうの数だけ生きていられた”の答えだね」
梨久君はこんな意味の分からない私の被害者面トークとも捉えられかねない話を真剣に聞いてくれた。
梨久君の中で私の言葉の何かがそうさせたのか、祈莉ちゃんの死を乗り越えて考え方が変わったのかは定かではないけど、門前払いされないことにほんの少しだけ安堵して、さっきよりも落ち着いて言葉を話せるようになっていた。
「最初は自分にも心休まる場所や相手が欲しいと考えてたはずなのに、自分の存在価値を押し付けることばかりになってしまっていた。それに気が付いたの。だからね」
梨久君は1度コーヒーに落とした視線をまっすぐこちらに向けた。
「だからね、今度こそちゃんと”人の役に立てること”をしたいと思ったの。私が自分でそういう生き方を選択したのなら責任もって最後までやり遂げたいと思った」
押し付けるばかりじゃなくて、私の何かにそっと支えられる人が現れてくれたらいいなって思うようになった。
自分のために相手に利益をもたらそうとすのではなく、誰かのために自分で行動したい。
そうした先に、自ずと心休まる場所や人に巡り合える時が来るといいなって。
「余命があったとしても、目が見えなくなってしまったとしても、ずっと諦めずに頑張って、生きて、そして梨久君と巡り合い、最期まで誰かのためにと前を向き続けた祈莉ちゃんのように、私もめげずに、今ある命を頑張って生きてみようと思うの」
話があるって呼びだしたわりには最後はただの宣言のようになってしまって、できた沈黙に心拍数が上がる。
私が”祈莉ちゃんのように”なんておこがましいのは分かってる。
祈莉ちゃんを傷つけた私が、今となって手のひらを返したようにこんな綺麗事をつらつらと並べることを梨久君はよく思わないかもしれない。
でも、それをずっとうじうじと考えて何もしなければ、それこそ祈莉ちゃんへの気持ちが嘘になってしまう。
「祈莉ちゃんに次会った時、目を合わせられない私でいたくない。しっかりと目を見てちゃんと”ごめんなさい”が言えるように私も頑張りたい」
震える声を聞かなかったことにして、強く握られる拳も見なかったことにして、今は梨久君から目をそらさずにまっすぐと見た。
梨久君は依然私を見つめたまま、浅く呼吸をする。
でも、フッと息を吐いてコーヒーを少し口に含んだ。
長い時間をかけて呑み込んで
「僕も」
とつぶやいた。
「僕も祈莉の死を受けて医者になろうと思ったんだ」
「医者?」
「うん。僕も祈莉に背中を押された1人だ。清水が祈莉に言った言葉はなかったことにはならないけど、沢山考えて前を向いて頑張ろうとする姿を祈莉が否定するわけない」
こらえていた涙が、大きく溜まって、重力を持ってしまう。
「さっき清水が言ったように僕らは祈莉が生きれなかった”今”を責任をもって生きる義務がある。だから、頑張ろう」
”祈莉と、祈莉が見ていた「誰か」の為に僕らは生きるんだ”
「うん。うん.....!」
涙はあふれて、机に落ちる雫を見て思った。
あの時とは違う涙。
死ぬことばかり考えて、人に必要とされることだけに意味を見出して、孤独と自分の存在意義に絶望していたあの頃の涙とは。
私は私にできる事を。
祈莉ちゃん、見ててね。



