死にたかったのに死ねなかった私と、生きたかったのに死んでしまった貴女。

 世界は残酷だね。
 本当は貴女のような人が生きるべきなのに。
 私なんかが生きてたって、彼は笑わない。

「後悔は、ある?」
「うん。もちろん」
「そう」
「でも、そんなこと言ったら祈莉(いのり)が悲しむから。今は楽しかった思い出で頭をいっぱいにした」

 お葬式会場の後ろで彼女の遺影をまっすぐ見る。
 相変わらず淡泊気な彼だけど、その瞳は揺れていた。
 祈莉ちゃんのお母さんから受け取ったiPadをすぐに開くのかと思ったけど、依然大切そうに抱え込むだけ。
 今パッドを開かない理由も、彼の頭の中にある後悔も、祈莉ちゃんとの楽しい思い出も、私はなに1つとして知らない。 
 傷ついている彼を抱きしめることも、涙を流せない彼の手を握ることも、私にはできない。
 
 何を思い上がってたんだろう。

 ―――祈莉ちゃん、またね。

 そう心の中で唱えて帰路についた。
 祈莉ちゃんのお葬式は急遽行われたものでご家族、親戚、病院の先生以外の人物は私と梨久(りく)君しかいなかった。
「謝るなら今日が最期だから」
 梨久君のこの言葉が頭の中で反復する。
 反復するだけで私の思考が何か上書きするわけでは無いまま、冷たい風が頬を撫でる道をぽつぽつと歩く。
 ”またね”
 自然とそう心で唱えたことに別にいまさら驚きもない。
 ため息交じりで吐く息は白くあがって、そして虚しく消えていく。
 
 家に着けば、外との寒暖差に指先が少しかゆくなる。
 ジンジンする指先には興味を示さず、「ただいま」も言わずに自分の部屋へと入って行った。
 制服を脱ぐよりも先に、部屋の電気をつけるよりも先に、押し入れの奥に入ってる巾着袋を取り出す。
 中身は、そろばん。
 と、一緒に出てきた封筒。
 その封筒を見て心臓がキュッと痛むのを感じた。

【遺書】

 そう書かれた紙は、涙でふやけたのが渇いて少しパリッとしている。
 所々文字は霞み、消しゴムで乱雑に消した部分がクシャッとしわになっていた。
 
 きっと祈莉ちゃんのお母さんが梨久君に渡したのは、祈莉ちゃんの遺書か何か。
 私のものとどう違う?
 彼女の遺書は美しいものなんでしょう? きっと。
 見てよ、私のこの真っ黒でドロドロな遺書を。
 そして、滑稽にも生き残ってしまった私の姿を。
 
 暴走して、梨久君に捨てられ、八つ当たりをした祈莉ちゃんには直接謝ることも出来ず、こうやってまた過去の呪いに触れている私を、だれか叱ってほしい。
 抱きしめてほしい、なんて欲は言わないから。
「久々にそろばん打ってみる?」
 自分にそう言って、机に座る。
 そこでようやくデスクライトをつけた。
 スマホでそろばん練習用のyoutubeを開き、言われた数字をただひたすらに打ち込む。
 うわ、やっぱり腕落ちてるな。
 まあ元々そんなに早打ちできる人間じゃなかったけど。
 そろばんを打っていると色んなことが思い返されてしまう。
 だから、押し入れの奥底にしまい込んである。 
 数字に支配されるべき私の頭の中は、邪念と、後悔と、悔しさでいっぱいになってしまう。

 このそろばんはね、私の涙も、血も、悲痛な言葉も、全部受け止めてくれた相棒なの。
 でも、世界で1番嫌いな相棒。
「5473」
「答えは、5478です」
「はは、間違えてんじゃん」
 自虐的に笑って、そろばんを撫でると、でこぼこと指に突っかかりを感じる。
「いつになったら呪いを解いてくれるの?」
 そう語り掛けてもそろばんは答えてくれない。

 私がこのそろばんに呪いをかけられたのは中学2年生の時だった。