ほかほかの握り飯にふろふき大根、牛蒡と人参のきんぴら、里芋と人参の煮物、それに豆腐の味噌汁が膳に並ぶ。台所で調理していた夜斗に声を掛けて、香月も手伝わせてもらった。やったのは白米を握るだけのことだったが……。
部屋に四人分の膳を運ぶと、他の三人と共に膳の前に着座する。玄侑が、では頂こう、と静かに言った。

「今日のお食事がおにぎりなのはですね、香月さまが握ってくださったからなんですよ!」

夜斗に満面の笑みではっきりと説明されて、香月は顔を赤くして俯いた。良い年頃の娘が、料理も出来ずに米を握るだけしか出来ないとは……、と恥ずかしかったからなのだが、玄侑はそれを聞いて、そうなのか、と感嘆もなく言っただけだった。

香月は妖魔を呼ぶとして家では父が結界を施した牢に繋がれていた。香月に逃げる意思はなかったが、夜、妖魔の餌として外に出されるとき以外は足かせが付いていた。もちろんまともな食事は出ず、椀に盛られた雑穀がわずかばかりだった。時に投げ入れられた椀から雑穀が零れ、香月はそれを集めて握って食べていた。だから炊事と言っても出来ることは穀物を握ることだけだが、桔梗から華族令嬢らしい生活の話を聞かされていたから、やはりこの年で米を握るしか出来ないのは、無能だろう。更に落ち込んでいると、君も食べなさい、と言って、彼は香月に食事を促した。

「頂きます」
「頂きます!」

美しい所作でみそ汁に口を付ける玄侑に続き、鷹宵も夜斗もそれぞれ食事を摂り始める。緊張しながら香月は玄侑の様子を見て居た。出来ることが限られている香月の、この屋敷で最初の仕事だったからだ。

「……なるほど」

握り飯を頬張ってふと呟いた玄侑が、香月を見る。見ていたのを見咎められたかと背に汗が伝ったが、彼はそう言う意味で香月を見たのではないようだった。

「香月。これからは日々の食事、握り飯でも良いから夜斗とともに作ってくれないか」

香月は目を見開いた。食事を口にし、これからも作って欲しいと言われるということは、つまり香月の握った握り飯の味は、気に入ってもらえたのだ。神世に来てから香月の何もかもを受け入れてくれるような玄侑の言葉に、香月はまた胸の奥からふつふつと喜びとやる気が湧きたつのを感じた。

「はい、是非!」
「印を付けたことが、こんな風に作用するとは思ってもみなかった」

しかし玄侑は考えるようにそう言って、もう一度握り飯を口に運ぶ。咀嚼する様子は、美味しいというより何かを考えているようだった。途端に不安になって、玄侑を窺う。

「あの……、お味に何か……」
「いや、味の問題ではない」

味の問題でなければ、なにを考えたのだろう。心配と不安で先ほどとは違った動悸が、胸を打つ。しかし玄侑が口にしたのは、香月の心配には当たらないことだった。

「君の手のひらに、俺の印を付けただろう。その手で握られた米に、印を通して君の力が宿っている。君の手のひらに接触せずとも、こうやって君の力を得ることが出来れば、体に力を蓄えていくのにちょうど良い、と思ったんだ」

手のひら、と言われて、香月は自分の右の手のひらをまじまじと見た。そんなことが出来ているのなら、香月もあれは恥ずかしかったし、丁度いいと思う。香月は五家の一員だし、彼らに配分する力を自分が補えるのなら、それは今まで破妖の仕事が出来なかった蓮平にも報いられるのではないかと思った。しかし。

「少量ずつの摂取の方が、俺の体も馴染むだろう。上手く取り込めば、万事上手くいくかもしれない」

玄侑の言葉に、自分の出来ることの小ささを知る。人世から妖魔をなくし、五家を解体することが目的であるのに、その為の彼の力になれることの手段が握り飯程度では、なんとも申し訳ない。。それに。
玄侑の責と、五家の代わりに果たさなければならない香月自身の役目の二つを両手に載せて見比べれば、たった握り飯を作るだけと、圧倒的に香月がやれることが少ない。

玄侑たちが認めてくれている能力だって、香月自身ではどうにも使えない。玄侑と契約し、ここに居候させてもらうからには、玄侑や鷹宵たちの期待に応えなければならないが、その方法をあまりにも思いつけなさすぎる。
そわり、そわりと内臓から這い登って来る不安感は、見通しのきかない夜闇で妖魔をおびき寄せながら食われないよう逃げるそれに等しい。

「…………」

腹の前で両手をぎゅっと握る。早く闇夜が明けて欲しかった子供の頃から、自分を守ろうとするときに香月はそうやって耐えてきた。力を入れ過ぎて手のひらが白くなる。

「手を緩めろ」

静かだが厳しい声で、玄侑が言った。

「人が傷ついて喜ぶ神は居ない。加えて言うなら、君が血を流せば妖魔が欲して集まって来る。神世の際はしっかりしているから入って来るほど妖気の強いものはいないと思うが、気を付けて欲しい」

指摘されてハッと手を緩める。契約したとはいえ、香月は玄侑の支えがないと能力も発揮できないし、この屋敷だって玄侑のものだ。不興を買って追い出される、という状況は、実に想像しやすく、家族の目の前で彼らに反した玄侑に攫われて来ている為、それは避けたかった。

「も……、申し訳ありませんでした……」

委縮する香月を見た鷹宵が、間に入った。

「まあまあ、お二方とも。こんなに緊張を強いられる食事の場もないですよ。少し気を緩められてください。玄侑さま、香月さまには色々知って頂くことはございますが、情報を飲み込まなければならない香月さまのお気持ちも慮って差し上げてください。それに香月さま。玄侑さまはああ言いましたが、先ほどの力を受けて玄侑さまのお力は玄侑さまがおっしゃるほど足りてないわけではございません。ご安心なさってください」

にこりと微笑まれると、玄侑が凍らせた空気も幾分和らぐ。やや安堵し、肩の力を抜くと、厳しいことを言う傍で、香月のことを気遣ってもらったことに気がついた。

(やっぱりこの方は、おやさしいのだわ……)

心にポッとぬくもりが届く。香月は玄侑に会って以来の何度目かの胸のぬくもりに、知らず口の端をあげた。