香月は声を潜めて恐る恐る問うた。

玄侑の持つ力が濁ってはいても『神気を消す』ことに特化しているのであれば、その力を武具に籠めて出来ることは、神気を消すことだ。桔梗たちは玄侑の力を頂いて破妖の仕事をしようとしており、それはつまり、妖魔は神気と同等のものであることを示している。であれば、その妖魔が濁った神気を餌とするのも、よく理解できる。自分を形作っているものを摂取するということなのだから。

しかし香月はその考えを自分の中で認められないでいた。人を襲う妖魔が、人を守ろうとする神さまの力であるなどと、考えられない。
動揺に何も言えない香月をどう思ったのか、鷹宵は、誤解しないでください、と静かに言った。

「凶つ力を持った時点で、それは神の力とは呼びません。神の力は人世を守るためにあるのですから」

その言葉を聞いて、少し安堵する。しかしそうなると、香月が玄侑と契約したことで蓮平に神力の付与が行われなかったことが気になる。

「今回の神渡りで、玄侑さまは蓮平にお力をお分けになりませんでした。私が居たためにそうなったのであれば、玄侑さまのお役目の妨げになります。どうして玄侑さまは私と契約なさったのでしょう……?」

玄侑の片腕として働いている五家――蓮平――に力の配分がなかったことにより、人世に妖魔が溢れてしまっては、玄侑が始祖神から与えられた本来の役目、つまり人世を守ることが出来なくなる。自分がその原因になっているのでは、と香月が蒼白していると、背後から静かな低声が香月の耳に響いた。

「君は何故、自分が俺と契約するに足る能力を持っていると思わないのだ」

声の方を振り向くと、そこには先程とは違って軽装の玄侑が居た。黒の着流し姿は先程の着衣とは違い、少しやわらかな印象を受けるだろうか。それでも神たる威厳は損なわれることなく、この屋敷の主として堂々とそこに居た。

「能力とはどういうことでしょうか……。私は蓮平で破妖の力がなく、無能でした。遣い手が一人少なかったために、家族には迷惑をかけ続けてきました。私になにか能力があったのなら、私は家族に余計な負担を強いなくて済んだのです……」

由緒ある破妖の家に生まれながら、何も出来ずにいた日々を思い出し、香月は顔をうつむけた。いや、それだけではない。妖魔の血を持つ破妖の娘など、あってはならなかった。香月の存在は、二重に家族を苦しめた。自責の念に駆られる香月に、しかし玄侑は嘆息を漏らした。

「君がそうなってしまったのには、理由がある。君は能力を封じられていただけだ」

玄侑の言葉に、香月はぱちり、と瞬きをした。言われたことを、にわかに信じられなかった。

「……能力を……、封じられ……て……?」

誰に。どんな能力を。何の理由で。
香月の頭に疑問がぐるぐると沸いた。胃の奥底がじわりと苦く熱くなる。そんなことがなかったら、香月は家族と一緒にお役目を果たし、桔梗たちと仲良く暮らせたかもしれないのに。そんな、……そう、悔しさが、香月の体の中を駆け巡った。
玄侑はそんな香月を見て眉宇をひそめた。そして己の右手を上に向ける。

「良いか、見ていろ」

そう言って玄侑は、己の手のひらの上に揺らめく炎を沸き立たせた。ゆらゆらとたちあがる炎は青みを帯びた黒色で、炎の周りだけ空気が濃いような気がした。

「これは、俺に由来する力だ」

つまり、この炎が濁った神気を消すための力なのだろう。この力を分け与えられて、桔梗たちは破妖の仕事をしていたのだと理解し、頷くと、玄侑はおもむろに香月の手を掲げ、手のひらにある印にふっと唇を当てた。

「!?」

息を呑む。彼の唇が手のひらに当たったからでもある。しかしそれ以上に驚いたのは、玄侑が触れた文様がじわりと熱を持ち、そこから溶かされるように、体の中に渦巻いていた何か(・・)がとろりと出てくる感覚を覚えたからだ。次の瞬間。

「……!」

玄侑の手に、輝く光が炎のような揺らめきとなって噴出した。明るい月のような輝きは先程の青黒い炎と違い、噴出したそれは屋敷の中を明るく照らし、そして一瞬の後に消え去った。

「……、…………」

一瞬の光景に驚きで呆然としていると、玄侑が香月を見たまま言った。

「分かったか。君の力は俺の力を強くする。君は無能ではない。力を封じられていたにすぎないんだ」

無能ではない。
その言葉が、香月の固く鎧をまとった心にひびを入れた。ひびのすき間からはやさしい空気は染み入り、神世を照らす月のような明かりが細く届いた。光は暗く中を覆っていた心の暗雲から香月の視界を取り戻し、暗闇の中で蹲っていた幼い少女は闇を退けた光に触れ、ふう、と顔を上げた。
……頬には涙が伝っていた。しかし、それもやさしい風が乾かしていく。

「……、…………っ」

生まれてからこれまでの人生を、救ってもらったような気持ちになった。自分でさえ己に価値はないと思い込み、強いられたからではない、どこか諦念の極地で妖魔の前に躍り出ていた時の無力感が薄れ、未来に希望を見つけようという輝きを眼(まなこ)に映した。

「わたしに……、力が……」

震える言葉が、唇からこぼれ落ちる。自らに確認するように呟かれたそれに、玄侑は感情を載せるでもなく頷いた。

「そうだ。今の現象で証明できただろう」

耳に届いた言葉は、事実を述べていた。玄侑の瞳には励ましもやさしさも、労わりすらないというのに、そのことが逆に彼の言葉が事実に基づいて発されていると、香月は理解できた。利用するために持ち上げようとする気遣いすらない玄侑に、香月は己の真実を見ることが出来た。すると、次には疑問がわく。

「では、何故私の力は封印されていたのでしょうか……」

玄侑が封印を解くまで、香月は自分の有していた能力を知れなかった。知っていて、それを活かせる能力があったら、蓮平で能無しのまま生きずに済んだのに、という思いがにじみ出たのだ。

「君は蓮平の娘だ。俺の助力になることを()が嫌って、君のこの力を封じた。妖のものを見分ける黒の血が、その証だ」
「やつ……とは……?」
「妖魔を生み出しているものだ」
「妖魔を……?」

香月のおうむ返しに玄侑は瞳の色を昏く変えた。それがどういう意味なのか、香月には分からない。しかし、妖魔は凶き力を含んだ神気であったものであることは先ほど鷹宵が明らかにした。であれば、その妖魔を生み出しているものは……。
そわり、と背筋が寒くなる。表情を硬くした香月に、玄侑は淡々と続けた。

「だから君にはこの力を俺の為に使ってもらう。その為の契約だ。分かったか」

香月の芯まで射抜こうとする眼光の鋭さに、しかし香月は彼の強い意図を理解して、腹に力を込めると首肯した。

「承知いたしました。存分にお使いください」

今までは自ら選択できなかった。今の香月は、流されたとはいえ、自らの選択による時間を歩み始めている。それは己に責任を持つと言うことなのだと、香月は思った。
どくん、どくん。
体の内から大きな拍動と共に力が湧いてくる気がする。みなぎっているのだ。気持ちが。
妖魔の前に命を差し出せと言われ続けていた蓮平に居た時とは違った気持ち……、そう、気力が。期待されるということが、こんなに気持ちを高揚させるものだと、香月は知らなかった。
香月の目に力が宿る。煌めく月のようなその光を見て、玄侑は何かを言い掛けて、止めた。

「俺は五家には破妖の仕事を止めさせるつもりでいる。今、妖魔が人世に流入しているのは、妖世との境目が揺らいでいるからだ。その際さえ定めれば、守りは堅くなり、破妖の仕事は必要なくなる。そうなれば五家に力を配分しなくてもよく、その分俺自身が責を全うできる。その為の道具を作るのに、君の力が必要だ。問題は君の力をその道具に封入する作業だが……」

淡々と事実を述べる玄侑の言葉を、鷹宵がなだめる。

「まあ、直ぐに解決しなければならない問題でもありますまい。今の摂取で、玄侑さまはかなりお力を得ておられるはず。際が不安定でも人世の力を消すことなど、造作もありませんでしょう」

鷹宵の言葉に、玄侑はそうだな、と応じた。

「では、日常に戻ろう。夜斗に食事の支度をさせろ」

御意、と頭を下げる鷹宵の横で、香月は意気込んで申し出た。

「私にもやらせてください。頑張りますので」

玄侑に十分な力を与えてしまったからと言って、のうのうとして居られる性質(たち)ではない。ずっと牢に閉じ込められ居たから出来ることは限られるが、桔梗だって、破妖の仕事をする上に良家の淑女としての知識作法を学ぶために女学校へ通い、日々勉学に励んでいた。勤勉であることは褒められることで、香月もその教えに従って行動した。