*
人世、蓮平家の応接室には、桐谷浩次朗が訪ねてきていた。桔梗は流行りの洋装を身にまとい、にこやかに彼の前に座っていた。
「浩次朗さまがお姉さまの使い道を教えてくださったから、蓮平にも平和が戻ってきました」
あの日、浩次朗に促されて姉の手から力を得た桔梗の剣は、以前よりも格段に妖魔を斬ることが出来ていた。おかげで街の人たちからは涙ながらに感謝され、桔梗の自尊心はたいそう満足を感じていた。
「これでまた、陛下の為に働けます。浩次朗さまは蓮平の恩人ですわ」
優美な微笑みを浮かべ、やはり帝の手足として活動できる自分は、あなたの最高の婚約者なのだ、と含みを持たせる。そのことですが、と浩次朗は前置きして、持っていたティーカップをテーブルの上のソーサーに置いた。
「桔梗さん。もはや僕にとって蓮平は必要ないものとなった。今後君たちは自助努力で自分たちをどうにか支えることだ」
なんの温度も含ませない声に、桔梗は一瞬何を言われたのか分からなかった。
そんな桔梗のことなど、もはや関心もなくした浩次朗は、ソファから音もさせずに立ち上がる。そこではっと我に返った桔梗は彼を呼んだ。
「浩次朗さん!?」
驚く桔梗を見据えると、丸眼鏡を光らせて、浩次朗は薄ら笑った。
「ああ、でも、姉上殿のことを教えてくれたことについては、感謝申し上げる。その恩に対してだけは、君たちが今後も無事陛下のご信頼を得られるよう、祈っていますよ」
部屋を出て行こうとした浩次朗を追いかけるように、桔梗は立ち上がった。
「ま……、待ってください! 姉から得たあの剣の力があれば、浩次朗さんと別れなくても良いはずです!」
再び剣に破妖の力を得た桔梗は、浩次朗にとって良い結婚相手であるはずだ。それなのに彼に捨てられる理由が分からない。浩次朗の腕にすがると、彼はうっとうしげに腕を振って桔梗を振り払った。
「所詮、穴の開いた器に入れた水に過ぎない。分かりませんか? 泉である姉上殿には、あなたはどう逆立ちしたってかなわないのですよ」
「ですが、それは浩次朗さんも同じのはずでは……!」
だったら、姉を神世から取り戻し、蓮平と浩次朗で利用したって良いはずだ。そう訴えた桔梗に、浩次朗は冷徹な笑いを向けた。
「君と僕とでは、何もかもが違うんだ。蓄えた力の大小もわからない君には、考えも及ばないことだと思うけどね」
それだけを言うと、浩次朗は桔梗に背を向け、もはや振り向くことはなかった。唇を噛みしめて彼の後ろ姿を見つめるしかなかった桔梗の頭の中は、香月に対する憎しみでいっぱいだった。地団駄を踏みながら、姉に対する恨みを叫ぶ。
「お姉さまの所為で、全てが狂ってしまったわ!」
こうなったら、浩次朗が香月を利用できないようにするしかない。しかし、どうやって神世に連れて行かれた香月のもとへ行けるだろうか。そのとき、男の声がした。
「あなたの姉上を黒たる神から引き離したいとお考えか」
「誰!?」
玄関から出て行った浩次朗以外に、この場に人は居ないと思ったのに。そう思って声の方を睨むと、そこには黒衣の男がひとり、居た。手には銀色の小さな鐘のようなものを持っている。
男は再び、問うた。姉上殿を取り戻したいか、と。
「もちろん……、もちろんだわ! お姉さまさえ蓮平に戻れば、全て元通りなのよ!」
桔梗の叫びに男は頷いた。では、おいでなさい、と。桔梗は男が誘(いざな)う方向へ、ふらり、と歩を進めた。
人世、蓮平家の応接室には、桐谷浩次朗が訪ねてきていた。桔梗は流行りの洋装を身にまとい、にこやかに彼の前に座っていた。
「浩次朗さまがお姉さまの使い道を教えてくださったから、蓮平にも平和が戻ってきました」
あの日、浩次朗に促されて姉の手から力を得た桔梗の剣は、以前よりも格段に妖魔を斬ることが出来ていた。おかげで街の人たちからは涙ながらに感謝され、桔梗の自尊心はたいそう満足を感じていた。
「これでまた、陛下の為に働けます。浩次朗さまは蓮平の恩人ですわ」
優美な微笑みを浮かべ、やはり帝の手足として活動できる自分は、あなたの最高の婚約者なのだ、と含みを持たせる。そのことですが、と浩次朗は前置きして、持っていたティーカップをテーブルの上のソーサーに置いた。
「桔梗さん。もはや僕にとって蓮平は必要ないものとなった。今後君たちは自助努力で自分たちをどうにか支えることだ」
なんの温度も含ませない声に、桔梗は一瞬何を言われたのか分からなかった。
そんな桔梗のことなど、もはや関心もなくした浩次朗は、ソファから音もさせずに立ち上がる。そこではっと我に返った桔梗は彼を呼んだ。
「浩次朗さん!?」
驚く桔梗を見据えると、丸眼鏡を光らせて、浩次朗は薄ら笑った。
「ああ、でも、姉上殿のことを教えてくれたことについては、感謝申し上げる。その恩に対してだけは、君たちが今後も無事陛下のご信頼を得られるよう、祈っていますよ」
部屋を出て行こうとした浩次朗を追いかけるように、桔梗は立ち上がった。
「ま……、待ってください! 姉から得たあの剣の力があれば、浩次朗さんと別れなくても良いはずです!」
再び剣に破妖の力を得た桔梗は、浩次朗にとって良い結婚相手であるはずだ。それなのに彼に捨てられる理由が分からない。浩次朗の腕にすがると、彼はうっとうしげに腕を振って桔梗を振り払った。
「所詮、穴の開いた器に入れた水に過ぎない。分かりませんか? 泉である姉上殿には、あなたはどう逆立ちしたってかなわないのですよ」
「ですが、それは浩次朗さんも同じのはずでは……!」
だったら、姉を神世から取り戻し、蓮平と浩次朗で利用したって良いはずだ。そう訴えた桔梗に、浩次朗は冷徹な笑いを向けた。
「君と僕とでは、何もかもが違うんだ。蓄えた力の大小もわからない君には、考えも及ばないことだと思うけどね」
それだけを言うと、浩次朗は桔梗に背を向け、もはや振り向くことはなかった。唇を噛みしめて彼の後ろ姿を見つめるしかなかった桔梗の頭の中は、香月に対する憎しみでいっぱいだった。地団駄を踏みながら、姉に対する恨みを叫ぶ。
「お姉さまの所為で、全てが狂ってしまったわ!」
こうなったら、浩次朗が香月を利用できないようにするしかない。しかし、どうやって神世に連れて行かれた香月のもとへ行けるだろうか。そのとき、男の声がした。
「あなたの姉上を黒たる神から引き離したいとお考えか」
「誰!?」
玄関から出て行った浩次朗以外に、この場に人は居ないと思ったのに。そう思って声の方を睨むと、そこには黒衣の男がひとり、居た。手には銀色の小さな鐘のようなものを持っている。
男は再び、問うた。姉上殿を取り戻したいか、と。
「もちろん……、もちろんだわ! お姉さまさえ蓮平に戻れば、全て元通りなのよ!」
桔梗の叫びに男は頷いた。では、おいでなさい、と。桔梗は男が誘(いざな)う方向へ、ふらり、と歩を進めた。



